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第5話 飛耳長目アルバイト

「お待たせしました、ふんわりまろやかチーズのカルボナーラになります」


 9番席に注文された料理を男の目の前に置く。特にリアクションは無い。そのまま男は新聞を読み続けるだけだ。

 特に何事もなく俺はその場を後にした。恐らくこの手の輩が次何をしてくるかは分かりきっている。

 1分も経たないうちに、店内にベルが鳴り響く。どこからの要求かは最早分かりきっている。

 ホールに出ようとすると妙に背後から視線を感じた。振り返ると、佐々山がこちらを見ていた。先程より表情が強張っているのは多分気のせいだろう。

 親指だけ立てておき、俺は9番席に向かった。


「お客様、どうされましたか?」

 

 男の顔は、まるで生ゴミを見つめるかの如く歪んでいた。


「このパスタ、このブラックペッパーかけたのどいつだよ」

「この…上の部分でしょうか?でしたら、私はの調理担当になりますが」


 そういうと男は、暫く俺を睨み付ける様に眺めた後、溜息を吹きかける様に吐いた。


「これの商品名、言ってみろ」

「えと…ふんわりまろやかチーズの…」

「もっと大きな声で!」


 怒気を含めた要求。なるほど、先程のは"品定め"だったわけだ。

 雰囲気や話し方で実力行使が使えるかどうかを判断している。


「ふんわりまろやかチーズのカルボナーラですね」

「ふーん。で、これのどこがまろやかなんだよ?え?」


 男はカルボナーラをフォークに巻き付けながらつまらなさそうに言う。


「お味の方がお気に召さなかった、という事でしょうか?」

「味じゃねぇよ。味はいいのに調味料のせいで最悪になったんだ」

「そういう事でしたか。誠に…」

「あーいい」


 謝罪をしようとした俺を男はぶっきらぼうな言葉で遮った。鬱陶しさを感じているのを全面に出している。この男には「それ」が欠けているのが明白だった。


「どうせこういう時のマニュアルあるんだろ?お前みたいなのは顔見てれば"取り敢えず謝っとこ〜"みたいな気持ちが見え透いて分かるんだよ」

「…そうでしたか」

「だからもっと意味のあること話せ」

「意味のある事、というのは?」

「あ?」


 その一声で場の空気が重たいモノへと変わる。奥のサラリーマンがこちらを訝しげに見ている。さっさと収集つけなければ。


「どう考えても一つしかねぇだろ。無償だよ、無償。…ったく、今時のバイトってこんな単純なこともわかんねぇのかよ」

「無償、ですか」

「そうだよ。はっきり言って詐欺だろこんなの。ふんわりってのは許容してやるけど、まろやかってなんだよ。え?どこがこれのまろやかなんだよ!言ってみろよ!」


 捲し立てたのち、男は机裏を膝で蹴り上げる。カップからコーヒーが溢れた。


「…誠に申し訳ございません。それではまずこちらの商品を回収させて頂きまして、改めて作り直させて頂きますのて…」

「あーこれは置きっぱなしでいいわ。どうせ捨てちまうんだろ?ならこっちで処理してやる。んで、それよりも俺が求めているのは無償化な。新しいのをタダで食べさせろって話。俺はまろやかなカルボナーラを食べに来たんだ。それをお前の味付けで台無しにしたんだから、こんくらい当然だろ」


 なるほど、1皿目を回収させず、更にもう1皿タダ食いを要求する事で無料で2皿食べられるということか。素晴らしい策略だ。


「つまり、お客様は“料理の方が見本と大きな差異があった"という点で料金を支払わない…という事でよろしいでしょうか」

「あぁそうだ。当然の権利だろ」

「なるほど、そういう事でしたか。では、今回の方は無償という事で大丈夫です」


 そう伝えると男から不機嫌そうな表情が一変、ニヤついた薄気味悪い笑みを浮かべた。対象的に、奥のサラリーマンは露骨に残念そうな顔をした。


「やっとかよ。こんくらいもっとパパッとやらないとバイトリーダーになれねぇぞ?え?」

「これからは善処していく所存でございます。それではお客様、2皿食べるという事で大丈夫でしょうか?」

「ちげぇよ、1皿は"処理"だ。食うんじゃない」

「あっ…失礼致しました。それでは、1皿新規にこちらに提供致しますので少々お待ち下さい。それと…この度の不手際、大変申し訳ございませんでした」

「分かりゃいいわ。じゃ早よ持ってきて」

「かしこまりました。ではすみません、伝票の方を回収致しますね」


 深々と一礼をして顔を上げる頃には、男はこスマホを弄り始めた。

 俺はホールに一度戻ると、ハンディから出てきたものと元伝票をホチキスで止める。そして再度9番席へと向かった。


「すみません、こちら修正済みの伝票になります。ご確認下さい」

「あーはいはい。これなら初めっから……は?」


 素っ頓狂な声が男から鳴る。


「2200円って、これ記録上だよな?名目は…」

「いえ、そちらが正規の料金になります」

「は?お前さっき自分でタダでいいっつっただろうが」

「はい」

「ならこれどういう事だよ!あぁ!?」


 男は立ち上がると床に伝票を思いっきり叩きつけた。伝票はそのままどこかへ飛んで行った。

 その顔は赤らめ、生え際部分には血管が浮き出ていた。そもそも髪が少ないので生え際部分が頂点近くなのだが。


「ええ。当店ではこちらの不手際により、何か食事に支障が出た場合、支払い料金の免除などの処置を取らせて頂いております」

「ならなんで」

「"ルールを守るお客様"、に限ってですが」

「ルールって…は?」


 その言葉に男は顔を歪ませた。


「お客様、申し訳ございませんが、そちらの鞄の中身の方をお見せしてもらってもよろしいでしょうか?」

「…なんでだよ。別に何も関係はないだろ」

「いえ、一応の確認です。もしかすれば関係のあるものが入っているかもしれないので」

「……いや、断る。別に義務じゃない。見せる義理もない。大体、客に対して要望するとか、お前は何の権限があって俺に言ってるんだ!」


 この後に及んでコイツから反抗の意思が消えないのは最早尊敬に値する。謙るだけ謙っておこう。


「そうですね、確かにそうでした」

「だったら早く料理持ってこいよ!チンタラしやがってよ」

「かしこまりました。それとお客様…」

「あ?」

「1週間前の新聞を何度も何度も読むのは楽しいですか?」


 その一言に男の表情が明らかに焦燥へと変わった。得られる結果と快感の質には大きな差があるだろうが、何故佐々山が面倒事を引き受けるのか少し理解できたかもしれない。


「なんだよ…それが…」

「当店は全席禁煙、というのはご存知でしょう。入口と各席のテーブル、それと最初に対応した店員にも食事前に伝えられている筈ですが」

「……んだよ。俺がタバコ吸ったっていいてぇのか?え?」

「いいえ、タバコではないですよね。吸っていらっしゃるのは」


 先程までの猛獣の様な勢いはどこへ行ってしまったのか。男の表情に更に焦りが足されていく。もうコイツには"そうする"必要が無いので、後は適当に敬語を織り交ぜればいいだけだ。


「タバコであれば、万が一火災報知器が作動してしまうかもしれない上、匂いも恐らくこのコーヒー3杯程度では隠せない。煙も出てしまいますしね。ですが、電子葉巻であれば匂いも極力抑えられる上、煙も出ない」

「んなこと…」

「通路側に新聞を向けることに集中し過ぎていて、ガラスに映る自身の姿には目が行かなかったようですね。反射している所はバッチリ監視カメラで捉えています。…もっとも、先程外ののぼり旗回収に出向いた際にはもっとハッキリと見えましたが」

 

 男は目を泳がせながらどうにか反論に持ち込もうとしていたが、それも俺の追撃により失敗したらしい。今では歯を食いしばって睨みつけている。


「通る度に頻りに新聞を捲っていらっしゃいましたが…あまりにも早すぎましたね。当店にも入口横には雑誌類がありますが、1週間前の新聞は流石に置いてはおけません。それに、その新聞は私が先週末に裏口付近に出しておきましたので流石に覚えているんですよ。折角結んだ筈の新聞類が散らばっていたので回収が大変でした。…まぁなので今度からはもう少し初面が特徴的ではなく、油汚れがついていないモノを選ぶのをお勧めしておきますよ」


 言い分を言い切り男に会話の主導権を委ねる。


「そ…それが…それ、なんだよ。だからなんなんだよ。俺が、吸ってたからなんなんだよ…」


 が、辿々しい口調で言葉を並べるだけの様だ。


「料理に何か不手際があるのであれば、私から再度謝罪致します。ですが、ご自身はルールを守らないことはおろか、やってはいけないと自覚しながらもそれを行い、更には自身の要求を通そうと駄々を捏ねる。…無理がありますよね?」

「……」

「このままご退店されるか、2皿…或いは1皿の料金を支払われるかお選びください。店のルールに従えない場合や、他のお客様の迷惑となる場合、最悪の場合には警察を呼ばせて頂く事になります」


 金を払うなどコイツの捻じ曲がったプライドが許すわけがない。男は怒りに震えながら俺に視線をぶつける。そんな事をしたところで、別に状況が好転しない事くらいお前も分かってるだろ。自分がした事と同じ様なことを今俺もしているんだから。


 男は俺に視線を合わせず、貧乏揺すりをしながら考えている。もっとも、ここでの"考える"というのは手を出すか出さないかの判断だろう。


「………チッ」


 どうやら結論は出たらしい。自分の残った自尊心の搾りカスを優先する事にしたようだ。そうした方が客観的に見てもまだ面目は付くだろう。

 敢えて聞こえる様に男は舌打ちをしてバッグを肩に掛け、俺を押し除ける様にして店の外へ出ていった。

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