第八話 アタシはヴァミリア
「はぁ……はぁ……っはぁ……はぁ」
変身が解けたことを、美沙は遅れて実感した。
背中の重さが消え、黒い翼は霧のようにほどけていく。
手にあったはずの鎌も、いつの間にか消えている。
そして、美沙の体は異常なほどの疲労を見せていた。
眩暈のように視界はぐらつき、腕はガクガクと震える。
息は上がり、足は震えて立つこともできない。
そのような姿にも一切の心配の様子を見せない視線を浴びせるのは、黒いドレスに身を包んだ、一人の少女だった。
「……で」
少女は腕を組み、じっと美沙を見下ろした。
「……一つ聞くけど。さっきの『スカーレット・リーパー』って何? 悪いけど、反吐が出るほどダサいわよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなったわ」
「……え、あ……」
美沙は、肩で息をしながら顔を真っ赤に染めた。言われてみれば、夢中になっていたとはいえ、とんでもなく恥ずかしいことを叫んでいた気がする。
「あ、あれは……はぁ……はぁ……その、なんだかすごく気持ちが高ぶっちゃって……。こういう世界なら、あーいう必殺技みたいなのがあった方が、はぁ……はぁ……ファンタジーっぽくていいかなって……」
「ファンタジー? 必殺技? なにそれ。そんな下らないことのために、恥をさらすなんて」
少女は心底呆れたようにため息をついた。だが、その瞳の奥には冷やかしだけではない、鋭い観察の光が宿っている。
「……まぁいいわ。名前のセンスは絶望的だけど、強大な一撃だったのは事実。アンタ、一体何をしたのよ」
「わ、私だって……よくわかんないよ……。頭の中にこう、ばぁぁっというか、何ていうか、こう……すごい感覚が」
「参考にならないわ」
少女は少し溜息をついて、また口を開く。
「それなら、一体アンタは何者なのよ」
不躾で、率直な問いを投げかけた。
「……何者って?」
「そのままの意味よ。アンタはどこから来たのって話。聞いたこともない言語に無駄に凝った服。羽も生えてないし、肌の色も違し貧弱すぎるし。かと思えばアタシの予想以上に力を引き出して」
美沙は息を整えながらも、言葉を絞り出す。
「多分……私は、別の世界、異世界ってところに来ちゃったのかも。私は元々日本っていう国で……普通に高校に通ってて……気づいたら、ここにいて……友達も、一緒に来てて……」
美沙は日本のこと、両親のこと、祖母のこと、この世界に来たこと。
そして、天のことも包み隠さず話した。
「……あっそ。やっぱ興味ないわ」
「えぇぇぇ! 君が話してっていったのに!」
疲労により、美沙の声は情けなく裏返る。
「勘違いしないで。高校? だの家族だの友達だの……この世界じゃどうでもいい」「そんな……」
「重要なのはただ一つ。アンタがアタシの力になるってこと。それ以外のアンタのことは、必要のない知識よ」
少女は冷徹に答える。
「えーっと。君にとって、私はどんな存在なのかな?」
「道具よ。使い勝手のいい道具」
「ひどい!」
「安心して。使い潰すつもりはないわ。ここで倒れられたら、アタシの第一の目的が果たせなくなる」
「……目的?」
「ええ。アタシは怠惰の国に行くつもりだった」
「怠惰……の国?」
「さあ、もう歩けるでしょう。今からそこに向かうわ。準備しなさい」
そう少女が言うと、美沙の腕を掴み、無理やり立たせた。
「わぁ! もう、無理矢理なんてひどいよ!」
よろめきながらも、美沙はなんとか足を前に出す。
膝はまだ震えていたが、完全に動けないほどではない。
少女はちらりと横目でその様子を確認すると、ふん、と鼻を鳴らした。
「ほら見なさい。動けるじゃない」
「動けるのと、動かされるのは違うよ……!」
「細かいことを気にする余裕があるなら問題ないわね」
取り付く島もない返答だった。
植物が一本も生えていない、岩だらけの大地を、二人はゆっくりと歩き出す。
つい先ほどまで戦場だった場所は、今や嘘のように静まり返っていた。
風だけが、焼けたような匂いを運んでいく。
「……で、その怠惰の国っていうのは、どんなところなの?」
美沙が息を整えながら問いかけると、少女は少しだけ視線を前に向けたまま答えた。
「正確には【眠りの国】。寝ることが何よりも好きな連中が作った国よ」
「うんうん」
「働かない、争わない、動かない。ただ陰気くさいやつらが集まってる」
「なんだか……平和で、良い国そうだね」
「ふん。アタシに言わせれば、あんなヤツらただ自分のやるべきことを後回しにして、大した苦労もしないろくでなしの集まりよ」
「だから、怠惰の国?」
「そう。だけど、その国に用があるんじゃなくて、その国随一の‟図書館”に用があるわ」
美沙の足が、今度こそぴたりと止まった。
「図書館……?」
「ええ。歴史や地理の専門書や、口伝や伝説がまとめられた資料など……」
少女は淡々と続ける。
「この世界の“すべての知識”が詰まっていると言われている。つまり」
その言葉を聞いた瞬間、美沙の瞳が大きく見開かれた。
「もしかして……!」
自然と、前へと一歩踏み出す。
「元の世界に帰る方法も……あるかもしれないってこと?」
少女は一瞬だけ、美沙を見た。
そして、興味なさそうに視線を外す。
「さぁ? それは知らない」
「でも、調べる価値はあるよね!」
「だから向かってるんでしょう?」
ぶっきらぼうな言い方だったが、否定はしなかった。
美沙は、ぎゅっと拳を握る。
「……天ちゃんも、その図書館にいるかもしれない」
小さく呟いたその声には、確かな希望が宿っていた。
少女はそれを聞き流すように、前を向いたまま言う。
「もちろん、アタシの手伝いもしてもらうわよ」
「え?」
「天使について」
短く、だがはっきりと。
「アイツらが何者なのか。どんな目的でやってきたのか。もしかしたら、アタシの知らない神話や伝承にその手掛かりがあるかもしれない。それを見つけ出して見せる」
そして――
ほんの僅かに、声音が低くなる。
「……このアタシから奪ったこと……後悔させてやる」
その言葉には、先ほどの戦闘中とは違う、冷たい怒りが滲んでいた。
美沙は思わず言葉を失う。
「……そっか」
やがて、小さく頷いた。
「じゃあ、目的は一緒だね」
「一緒?」
「うん。私は帰る方法と天ちゃんを探す。君は自分が調べたいことを調べる」
にこっと、少しだけ笑う。
「どっちも、その図書館、そして眠りの国に行けば分かるかもしれないんでしょ?」
少女は一瞬だけ黙り込んだ。
それから、ふっと息を吐く。
「……あくまで目的達成のために一時的に行動するだけよ。使い物にならないと判断したら、すぐに放っていくわ」
「分かった」
「はぁ……」
呆れたように肩をすくめながらも、少女は歩みを止めない。
その横顔は、ほんの少しだけ――
「アタシはヴァミリア。この世で最も高貴なる者の名よ。アンタは?」
美沙も続けて名前を言う。
「私は松岡美沙。これからよろしくね」
「ふん。足を引っ張るんじゃないわよ、‟道具”」
「もう。せっかく名前を教えたんだから、名前で呼んでほしいんだけどな」
「誰が道具に名前をつけるのよ」
短いやり取りのあと、二人は荒野を並んで歩いて行った。
赤黒い空はより暗くなる。
異世界の夜が訪れようとしていた。




