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16 嘘つきアクトレス

岸本くんの名前は考えてありません

 二学期が始まり、二週間ほどが経った。

 肌を焦がすような日差しはいくらか弱まり、セミの鳴く声も随分遠くに聞こえる。丁度、夏と秋の境目。

 とはいえ、まだまだ残暑は厳しい。そんな中、わたしは、熱気の篭る教室で自分の作業に黙々と取り組んでいた。二学期の初めの行事、文化祭のための。

 教室内は随分と騒がしい。いや、学校全体が、だろうか。全員文化祭を楽しみにしているのか、この暑さの中わくわくしたといった表情を浮かべている。一方でわたしは、この暑さで少し参っているのだけど。

 そんなわたしが今していることは、小物の作成。わたしのクラスは投票により劇をすることになり、それに使う小物をこうしてせっせと作っているのだ。

 肝心の劇の内容というのは、まあ、よくあるラブストーリーだ。ある国の姫と兵士の、身分の差による禁じられた恋物語。初めはなんとかバレずに逢瀬を重ねるも、中盤で王様にバレてしまい、姫は自室に軟禁状態。兵士は牢獄へ。それでも、友人の力を借りて何とか牢屋から脱した兵士は、最後に姫を連れて遠くへ逃げていく。所謂、駆け落ちだ。

 そんな感じの劇をやるのだけど、わたしの配役はというと、姫の住むお城の小間使いの一人。何てことない脇役だ。まあ、あまり目立つのが得意ではないわたしにとっては正直嬉しい役だ。一方、注目の姫と兵士はといえば、姫はクラスの中で男子から一番人気の子、兵士はなんと岸本くんに決まった。

 物語の中心となる二人。それだけにセリフも多く、見る人の注目も集まる。なので、セリフの多い人は劇の練習が主となり、わたしみたいな脇役はこうして小物作りに勤しんでいるというわけだ。まあ、これはこれで気持ち的には楽だからいいんだけど。

 今も、劇の中心人物たちは教室の真ん中で演技の練習をし、わたしたちは隅っこで彼らの声をBGMにしながら作業を続けている。

 そんなとき、唐突にチャイムが鳴った。下校時刻を告げる鐘の音だ。

 ふぅ、と一つ息をつくと、わたしは作業を止め、帰りの準備を始める。他の子たちも同様。ウチの学校は文化祭の準備時間に規則があり、規定の時間外での教室の使用は禁止されているのだ。

 なので、みんなさっさと帰宅の準備を済ませ、教室を後にしていく。中には、またこの後にどこかで集まって練習する人もいるかもしれない。それほど、文化祭に対して真剣なんだ。うん、クラスが一丸になるっていうこの空気、緊張感も悪くはない。

 とはいえ、わたしのような脇役はその空気の中に入り辛いので、早く家に帰って小物作りを再開しようと思い、荷物を掴んでさっさと帰ろうとする。しかし、教室のドアに手を掛けたところで、

「園田さん」

 と声を掛けられた。首を回して振り返れば、そこには劇の主人公の兵士、もとい、岸本くんが立っていた。彼も荷物のリュックを背負っていた。

「ん?」

「い、今から帰り?」

「うん、そうだけど……どうしたの? わたしに何か用?」

 と返すと、岸本くんは目を右へ左へ泳がせる。何だろう、とわたしは小首を傾げる。

「あ、えっと、言いにくいんだけどさ……」

 彼は少し悩んだ末、こう続けた。

「もしよかったら、今から俺の練習に付き合ってくれないかな?」

 そして、岸本くんは恥ずかしそうにはにかんだ。

 同級生の唐突のお願いに、何とも言えない不思議な気持ちを覚えたわたしは、少しの戸惑いの後に何とか言葉を絞り出す。

「えっと……ここじゃ何だし、歩きながら話を聞くよ」



 話を聞くと、どうも岸本くんはあまり演技が上手ではないみたい。配役決めのときも、岸本くんはイケメンだからという裏の理由で主に女子達の投票によって決められたようなものだったから、演技の力の程は考えていなかったんだろう。確かに、言われてみればさっきまでの練習の時間も、主に岸本くんが他の子たちにいろいろ言われていたような気がする。今思えば、演技の酷さに苦言を垂れていたのかもしれない。

「だから、もしよかったらでいいんだけど、これから少し練習に付き合ってくれないか?」

 校門へと続く道を、岸本くんと並んで歩く。傾いた日は濃い赤に染まり、西の空はすっかりみかん色に染まっている。西を向く岸本くんの顔も、同じくみかん色だ。

 練習、か。幸いにも今日はバイトを休みにさせてもらってるし、急いで家に帰らないといけない用事もない。それに、何より友達の頼みだ。むしろ協力しない理由がない。

「うん、いいよ。じゃあ、どこで練習しよっか」

 そう返すと、岸本くんの顔がぱっと華やいだ。

「ほ、ほんとに!? ありがとう! 場所は、そうだな、この近くに公園があるだろ? そこはどうかな?」

 こ、公園か、と一瞬たじろいでしまう。公園で練習するということは、赤の他人にその風景を見られてしまうということ。は、恥ずかしい。けれど、岸本くんからしたらむしろいい練習になるのかもしれない。ここは友達として、人肌脱ごうじゃないか。

「う、うん、わかった。そこにしよう」

「よし、決まり! じゃあ、早く行こう。日が暮れる前に」

 そして、岸本くんは駆け足になる。彼に遅れまいと、わたしも地面を蹴った。



「じゃあ、始めよっか」

 わたしたち二人は、学校の近くの公園の隅の、大きな木の陰の下で向かい合う。二人の手には演劇の台本。岸本くんのはしわしわのくたくたで、わたしのはほぼ新品。わたしは、まだ固いページを捲る。

「どのシーンから練習する?」

「う~ん、やっぱラストの、兵士が姫を迎えに行くところかな。さっきも、そのシーンでずっと上手くできなくて、みんなから呆れられたよ」

「あはは、教室の隅で聞いてたよ」

 笑いながらラストシーンのページを捲る。それは、ある月夜のこと。投獄された兵士が牢から抜け出し、城の外壁をよじ登って姫の軟禁されている部屋へ辿り着いたところから始まる。息が絶え絶えになりながらも、窓ガラスを割り、姫と再び顔を合わせることに成功する兵士。そして、兵士は姫へと手を差し伸べる。

 ……読んでいて、ため息が出る。

「準備はいい?」

「うん」

 そして、わたしたち、二人だけのシーンが幕を開ける。二人とも、揃って深呼吸をする。



『姫! ご無事でよかった!』

 窓から部屋に入ってきた兵士が安堵の表情を浮かべる。わたしも、ほっと胸に手を当てる。

『よかった。あなたも無事だったのですね』

 わたしの声に、兵士は力強く頷く。

『もちろんです。さあ、早くここから出ましょう。追っ手に見つかってしまう前に』

 兵士はわたしに手を差し伸べる。男らしく、逞しい手。しかし、わたしはその手を取ろうと伸ばす腕を、思わず引いてしまった。兵士ははっとわたしの顔を覗き込む。

『姫? どうかされましたか?』

 俯くまま、わたしは細い声を漏らす。

『私、怖いの。もし、もう一度捕まってしまったらと思うと』

 夜空に浮かんだ雲間から月光が漏れ、わたしの頬を照らす。そして、月光を散らす滴が一つ、また一つと流れていく。

『きっと今度は、あなたは投獄なんかじゃ済まないわ。もっと酷いことをされる。もしかしたら、死刑にされてしまうのかもしれない。私、怖いの。心から愛するあなたが、私のために命を落とすことが』

 わたしは彼に背を向け、涙を一つ一つ掬っていく。けれど、それは止まることなく流れ続ける。あなたへの愛と同じように。

『私、どうしたらいいか分からないの。貴方と一緒になりたいって心の底から思ってる。でも、それ以上にあなたを失うことが怖いの』

 止め処なく流れ続ける涙を拭うことを止め、顔全体を両手で覆い、さめざめと泣いた。小さく震えるわたしの体を、いつしか兵士はが後ろから抱いていた。耳元で、兵士が囁く。

『ご安心ください、姫。私は、決して貴女様を置いていったりはしません。どれ程追っ手が来ようとも、嘗て貴女様に捧げた剣に誓って、必ず私がお守りします。そして、どこか遠い、この国の手の届かないところで、二人で静かに暮らしましょう』

 兵士は、そっとに私の手と彼の手を合わせる。温かくて大きい。心の中がオレンジ色で満たされる。

『心の底から愛しております、姫』

『あなた……』

 二人は向かい合い、お互いの顔を見つめあう。その時、二人の心が繋がった。

 しかし次の瞬間、部屋のドアを激しく叩く音が聞こえた。何者かが鍵を開けようとしているのだ。

『さあ、行きましょう』

『はいっ……!』

 兵士の差し出す手を取り、二人は窓の外へ。そして、二人は闇夜の中へ消えていった。



「ど、どうだった? 俺の演技」

 シーンが終わるなり、岸本くんが食い気味で聞いてきた。わたしは少し体を後ろに反らし、言葉を選ぶ。

「う、う~ん、わたしもこういうのは素人だから偉そうなことは言えないけど、もっと感情を込めるといいんじゃないかな?」

「感情を込める?」

「うん、例えば、身振り手振りを少し大袈裟にやったり、声にメリハリをつけたり……ん~、よく分かんないけど」

 岸本くんの演技は、素人のわたしから見ても、なんだか『棒』のように思えた。まあ、わたしが言えたものじゃないかもしれないけど。

 しかし、岸本くんはわたしのアドバイスを気に入ってくれたようで、目をキラキラさせていた。

「そうか、感情をしっかり声と体で表現するってことか。ありがとう、園田さん!」

 唐突にお礼を言われ、少し照れくさくなり顔を背けてしまう。

「そんな、お礼を言われるほどのことしてないよ。それで、どうする? もう少し練習する? わたしはまだ大丈夫だよ」

 日はまだ完全には沈んでいない。ハルちゃんもまだ家に帰っていないはずだ。

「じゃあ、お言葉に甘えて、もう少し練習していいかな?」

「うん、もちろん」

 こうして、岸本くんとの二人だけの練習が再開する。


 ***


 まったく、本当にため息の出るお話だ。

 自宅の居間のソファに腰掛け、演劇の台本を読み返すわたしは、心の中で幾度となくその言葉を繰り返す。

 国のお姫様と、それに仕える兵士の、禁断の恋。叶うはずのない恋。その結末なんて、見え見えだろうに。

 でも、それが叶うのがこのフィクションの世界。筋書きに沿った演劇の中限定。現実でこんなことをしようものなら、どうなるかなど考えるまでもない。

 だからこそ、この話を読む度にため息が出るのかもしれない。

 また一つ、大きく息をつく。それに続くように、ピピピっと音が鳴る。お風呂が沸いたことを知らせる音だ。

「ハルちゃん? お風呂沸いたけど、先に入る?」

 目の前でテレビを食い入るように見ているハルちゃんに声を掛けると、顔を一切テレビから逸らすことなく、

「ううん、先に入ってて」

 と答えた。

 わたしは劇の台本をソファの上に適当にほかり、脱衣場へと向かった。

 そういえば、最近は毎日一緒にお風呂に入ろうって言ってきてたのに、今日のハルちゃんは何も言わなかったなぁ。脱衣場で服を脱ぎながら、ふとそんなことを思った。まあ、ハルちゃんのことだ、見てたテレビが気になってたとか、単純な理由に違いない。また明日になれば、同じ事を催促してくるに決まってる。

 そう思うと、無意識に顔がにやける自分がいることに気がついた。いけないいけない。もうそういうのはやめるって自分で決めたじゃないか。ハルちゃんと離れなくていいように、自分が傷つかないように。

 気を引き締めようと、頬を二、三回叩いて、風呂場への戸を開いた。



 ふぅ、今日も一日疲れた。

 タオルで石鹸を泡立てながら、何となくそんなことを思う。

 今日も忙しい一日だった。学校で普通に授業を受けて、その後は劇のための小物作り。帰り道の途中で岸本くんと劇の練習をして、家でも作業を進めて。

 そんな一日もこれでお終い。そして、また明日も、同じことが続くだろう。

 まあ、それも悪くないかな。

 しゃこしゃこと石鹸を擦りながら、一人笑みをこぼす。そのとき、隣の脱衣場から音が聞こえたような気がした。

 半ば反射的に振り返ると、それと同時に戸が開かれ、現れたのは、一糸纏わぬ姿のハルちゃんだった。

「ハハハハルちゃん!? どど、どうして入って来たの!?」

 即座に顔を正面に戻して鏡を見ないように俯き、当然の質問を投げ掛けた。いくらテレビに夢中だったって、わたしがお風呂に入っていることは分かるはずだ。

 しかし、そんなわたしの考えとは程遠い答えがハルちゃんの口から放たれた。

「え~、だって、リンちゃんとお風呂入りたかったもん」

 ハルちゃんがすぐ背後に寄ってきたのが気配で分かる。彼女の息遣いさえも分かる程近くに。

「リンちゃん、最近ずっと一緒にお風呂入ってくれないんだもん」

「そ、それは……」

 まさか本当のことを言えるはずがない。わたしの本心を、葛藤を、決意を。せめて、ハルちゃんと普段通りの生活を続けたい。だからこそ、この気持ちを打ち明けるわけにはいかない。

「と、とにかく! 早く出てって! 勝手に入ってこないでよ!」

 ハルちゃんの裸体を直視しないよう両目を瞑り、ハルちゃんを脱衣場へ押しやろうとする。そのときの、両の手の平に伝わる彼女のやわらかさが脳に電撃を走らせた。

「もう、いいじゃんいいじゃん。一緒にお風呂入ろうよぉ。あ、まだ体洗ってないんだよね? わたしが背中を流してあげるよ~」

 そう言うと、目の見えないわたしの抵抗をすり抜け、後ろから抱き着いて無理矢理座らせてきた。

「あ、ちょっ……」

 抵抗も空しくわたしは床に膝をつく形となる。ハルちゃんのたゆんたゆんな胸の感触が背中に直に伝わる。息が荒くなり、目が回る。

「やめ、やめてって……」

「いいからいいから、遠慮しないで。全部わたしに任せて、ね?」

 耳元で響く、甘い囁き。全身をハルちゃんに包まれているような感覚。脳が沸き立ち、全身の血液が急速に循環する。

 これ以上はダメだ。逆らわなきゃ。抵抗しなきゃ。これ以上されたら、わたしはきっと、耐えられないッ!

「やめてって言ってるでしょ!?」

 そう言い放ち、ハルちゃんの拘束を振り切るように立ち上がる。首を回して振り返れば、ハルちゃんが尻もちをついてわたしを見上げていた。その表情はこれまでに見たことがないような、とても、とても寂しそうな目をしていた。

 その顔を見て、わたしははっとした。しかし、その頃にはもう遅かった。

「ご、ごめんね? ちょっと、調子に乗ってた……すぐに、出てくから」

 それだけ言うと、後は何も言うことなく、ハルちゃんは俯いたまま風呂場から出て行ってしまった。

 一人残されたわたしは、しばらく何もせずにただ立ったままでいた。

 心が、暗くて深い井戸の底へ落ちていくような感覚を覚えながら。


 ***


 そんなことがあったからなのかもしれない。彼の、あの言葉に酷く心を乱されたのは。

「貴女のことが好きです! 園田さん!」

 それは、ほんの数日後の放課後こと。岸本くんと二人だけの、劇の練習中での出来事だった。

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