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第一章8  『絶望の底で』




 ――事の発端は、昨日の夜まで遡る。


「あれ……? あんなやつ、この施設にいたっけか?」


 談笑を交えた夕食の場で、まず最初に違和感を抱いたのはコウタだったろう。


「ん? 誰だ?」

「いやほら、あそこだってば」


 そういってその人を指し示すコウタの指の先を追ったケイの視界に入ってきたのは、見慣れない、どころかこの世界で初めて見る種類の人間だった。


 その人物は、いつもどおり軍服に身を包んだルージェスの傍らにたたずんでいた。


 一目見れば、日本にいれば普通の成人男性として通りそうなルージェスの体格を横に何倍にも膨れ上がらせたような人物。


 どこか肉食獣を思わせる、粗野で下卑た雰囲気をまき散らす表情に脂の光沢を持つ、まぁ全体的に言えば気色悪いの一言につきるその男。


「あの服、なんだ……? 見たこともないような気がするんだが」


 だがケイの関心は、もっぱらその服の方にあった。


 一目見て高級とわかる質感を持つ青い上着には金色の刺繍が縫いつけられ、そこはかとない高貴さと高級感を醸し出している。


 その上着を引き立てるようにとデザインされているのであろうズボンにも各所に細かい鳥のような意匠があしらわれているのが遠目にもわかった。


 ケイたちがこの世界にきてから見た服というのは、悲しいことにルージェスたちがいつもきている軍服か、もしくは自分たちがきている鼠色の作業服のみだった。


 それゆえにケイには男の服装が珍しくもあり、どこか気がかりでもあったのだ。


「誰だ、あのデブは……?」

「なんていうか、どこか感じ悪いね」


 容赦のない辛辣な感想を漏らす親友二人にケイは思わず苦笑しつつも、あの男が周りに放っている雰囲気にどこか危ないものを感じずにはいられなかったのだった。


 周りの人間が自分より下等なものだと思いこむ人間に特有の雰囲気。


 いわゆる『テンプレ貴族』のような雰囲気を発している――と、ケイはそう感じたのだった。


 ――そしてその予想が完全に一致していたことを、ケイはその日の夜に思い知ることになる。



   ◆  ◆  ◆



 部屋の戸が開く。光が射し込み、サクラはそのまぶしさに思わず目を細めた。


 朝にケイたちと別れてから、どれくらいの時間がたっていただろう。


 それも時計の存在しないこの部屋の中にいては、知りようもないことだった。


「――ほう、これが()()なのですな」


 部屋の中に突如響いた、太く低い声。


 その声の出元を探るようにして入り口の方を見たサクラは、入り口から差し込む光の中に、朝に見かけた男の横に広いシルエットを見た。


「なんで、あの男が……? それにルージェスも……」


 ルージェスを伴って部屋に入ってきた男を見ながらも、サクラの胸中は疑問符で占められていた。


 そしてその疑問を見透かしたように、男が聞き逃せない言葉を口にする。


「――ふむぅ、ルージェス殿、こちらの()()には触れてもよろしいのか?」 

「……品物?」


 サクラがふとポッゼの発言の中につかんだ、違和感。


「ご自由に。ただしこれらすべて我々の『商売道具』ですので、()()あまり乱暴な扱いは控えてくださればと思います」


 ルージェスがどこか含みのある口調でそう告げると男は口元を醜く歪め、立ち止まったルージェスから離れて歩きだした。


 男は部屋の中にいる全員の姿が視認できる距離まで近づくと、一つ息を吸い込んだかと思うと部屋中に響きわたる声でこう宣言する。


「――さぁてぇそこの奴隷ども。一列に並べッ!」


 その大音声に、男のすぐ側にいたサクラをはじめとする数人は耳を反射的に塞いでその場にしゃがみ込んでしまった。


「どうした? これから壊される予定の玩具風情が、なにを狼狽えることがあるというのだ。このポッゼ・ヌーダン様が遙々貴様らを買い付けに出向いてやったのだから、奴隷は奴隷らしくさっさと並びたまえっ!」


 その大喝が響きわたっても、ほとんどの日本人は動けなかった。


 代わりに辺りに立ちこめるのは、いきなり部屋に入り込んだかと思うと大声を上げて自分たちを動かそうとした男への、猜疑と不平の言葉。


 それにポッゼと名乗った男は一つ舌打ちをし、


「ポッゼ殿、それを言われてはまずいかと。なにぶん我々の商売先には表立っては『家政婦』としてここを出る者もいますので」

「ん? あぁ、なるほど、貴殿の商売先には人の幸不幸の乱高下を見て悦に浸る者もいたのですな。それは申し訳ない、その方には私から謝罪を入れておこう」

「お心遣い、感謝いたします、ポッゼ殿」


 頭を下げたルージェスにポッゼは鷹揚に手を振り、ルージェスの元を離れて部屋の中心に向かって歩き始めた。


 当然、自分たちの注目を引いた見たことのない男の姿に誰もが視線を吸い寄せられる中、その視線がはいずる蛇のごとくサクラたちの体の上を這っていき、時折下卑た笑みを浮かべながら、サクラたちを品定めしていく。


「ふぅむ……にしてもルージェス殿、なかなかの上玉を仕入れられたようで。これならなかなかいい値がつきそうだな」

「お褒めに与り、光栄です」


 サクラたちの思考からは、なぜルージェスがポッゼに慇懃な態度をとっているのかとか、ポッゼの視線が体を這いずることへの不快感とか、そういう類の感情はすべて消え去っていた。


 代わりにあったのは。


「……いま、なんて言ったの?」


 震える声でそう訪ねたのは、誰だったか。


 少なくともそれがサクラ自身でないことだけは分かっていた。

 

「こうなっておいては、隠すのも無駄というものか。――実に単純な話だ。お前たちにも、ようやく仕事が回ってきたというわけだよ」


 その言葉だけで、察しの良い――もしくは想像力のある者は理解した。


「――いい値ってなに? 商売ってなに? 家政婦として売り込まれるっていうのは、どういうことなのよ?」


 後半に行くにつれ、その声振れ幅は怒りと憔悴から増大していく。


 そして怒気をはらんだ声を真っ正面から受け止めたルージェスは、実に冷静な表情のまま、何の感慨も感じさせない声であっさりと質問に答えた。


「そのままの意味だ。お前たちはこれから家政婦――いや、奴隷としてこの世界の各地に売り飛ばされていくんだよ」


 瞬間的に声なき声が部屋のあちこちからあがるのを、サクラは聞いた気がした。


 いや、その声を上げたのはサクラもそうだった。


 ――この男は今なんと口にした?


 奴隷として売られる?


 それはつまり、ケイやコウタと、離れ離れになるってこと?


「――――っ」


 そう理解した瞬間、サクラの喉から押し殺した悲鳴が上がった。


 どこかでこのまま続いていくと思われた生活に終わりが来ることがはっきりと告げられてしまった今、サクラにはコウタの気持ちが痛いほど理解できる。


「期限はだいたいそうだな、各貴族の到着を待つとすれば、だいたい今から二週間前後というところか。そうしたらお前たちを競りにかけ、各地に送り込む準備をする」


 まるで世間話でもするように、何の気負いもなく告げるルージェスの声からは、こっちを弄ぼうという意地悪さが見あたらなかった。


 端的に事実を述べているだけだということを理解したサクラが顔面蒼白になって絶句すると、ルージェスは納得したようにその場を離れていく。


「――ほう、貴様はなかなかの上玉のようだな」

「――――っ!」


 うって変わってサクラの前に現れたのはポッゼの脂ぎった顔。


 ポッゼはサクラを商品か何かを検分するようにしてじろじろ眺め回した後、悪意を隠そうともしないサクラの視線に気がついて口元を歪めた。


「どうした玩具。まさか玩具が売られる相手に不服を抱くということもないだろう」


 まさに人以下のものを見るようなポッゼの目に、サクラは思わず息を呑んで後ずさった。


 だがそれをポッゼは許さず、サクラの頬を片手で押さえつけて動きを拘束する。


「アンタたちは、人を人とは思わないの……っ!?」


 周りで小さく上がった悲鳴の意味を代弁するように、ポッゼに顔を掴まれるという恐怖にあらがって叫ぶサクラ。


「これは玩具ごときがおもしろいことを言う。魔力を持たないお前たちを、いったい誰が生き物と言ってくれるのだ?」


 だがその返答は、実に冷静で冷酷なものだった。


「なん、ですって?」


 サクラは思わず我が耳を疑った。だが、頬をつかんだまま自分を見据えるポッゼの目には、しっかりとした理性の光が宿っている。


「知らないのであれば教えてやろう玩具。この世界では、人にはみな魔力が宿るのだよ。それなくして活動できるお前たちは、我々からすれば生命とすら認識できない玩具というわけだ。わかったか?」


 違う。そんなのはただの屁理屈だ。


 こうして生きているこの命が目に入らないのか。


 そう、言い張りたかった。


「――――ッ」


 だが、その言葉にいかほどの意味があるのか。


 自分たちには力がない。魔法で殺される恐怖に縛られている自分たちには力がなく、その言葉には微塵も重みが存在していない。


 そう、わかってしまったから。


 サクラは黙って、そのやりどころのない激情をかみ殺すしかなかった。


「ほう。玩具のくせには、なかなかどうして知恵が回るようじゃないか。自分の劣勢をしっかりと理解できているようだな」


 それに満足そうな表情を浮かべたポッゼはその太い腕から力を抜き、サクラを解放した。


「ルージェス殿。では私はこの上玉をまずは頂こう。先約は大丈夫か?」

「問題ありません。当日の競りに参加さえしていただけるのであれば」

「それはありがたい。ではそうだな、次は――」


 この後の流れを、サクラはよく覚えていなかった。


 気がついたらポッゼという男は去っていて、どうやら同じくポッゼに選ばれたらしい女性たちがその場に泣き崩れ、周りの人に慰められていた。


 その様子を見ながらサクラは、自分の意識が遠のいていくのを感じ――



   ◆  ◆  ◆



「――ッ、ふざっけんなっ!」


 直後、食堂全体に響きわたる轟音。


「なんでだよっ、なんでっ!」


 それは他でもない、激情に肩と声を震わせるコウタが机を精一杯殴打した音だった。


「…………っ!」


 それを見ながら、ケイも表には出さないものの胸中で自分の怒りの炎が荒れ狂うのをひしひしと実感していた。


「ごめん……本当にごめん…………っ!」


 話を終えたサクラはそのまま顔を手のひらで覆い、泣き崩れている。


「違う、サクラは悪くないっ! 悪いのは、あいつらだ……!」


 机に両手をついたままのコウタは激しく歯ぎしりをし、その手を血が出るほど握りしめている。


「サクラ……その、別れは、いつ、なんだ?」


 それを見かねたケイは、半ば反射的に会話の流れを別の方に変えようとして口を開いた。


「うん……確か、あと一週間ぐらいでその競りに参加する人が集結するんだって。そのときに、一斉にお別れするんだってさ」

「そう、か……」


 一週間。それが、今まで何年も一緒に笑い、泣いてきた友人との別れのタイムリミット。


「いくらなんでも、短すぎるだろっ!」


 言いながらもケイは無意識のうちに、自分の手のひらを堅く握り込んでいた。


 一週間しかない。その事実を思うと、ケイの視界が激情にゆがむ。


 これがもし、まともにちゃんとこの施設を脱出する方法を心得ている状態できたのであれば、機は熟したとばかりにサクラを伴ってこの施設とおさらばし、どこへなりとも逃げただろう。


 ――だが、これではだめだ。


「――情報が、足りない」


 今のケイたちには、情報が足りなすぎる。


 敵の総勢力一つとってもそうだ。


(……敵の武器(まほう)が、わからない)


 ――待機時間(インターバル)は? 冷却時間(クールタイム)はあるのか? 最大補足人数は? 使い続けることによるデメリットなどはあるのか?


(この施設の全体図も、把握できているとは言いがたい――)


 ――総面積は? この通路はどこにつながっているのか? そしてこの施設はどこに存在しているのか?


 ケイたちは反乱を起こすにしては、この世界のことを知らなすぎた。


 ここまでのんびりと作業をしてくることを許容した自分の意識の低さに思わず涙が出る。


 サクラたち女性陣が自分たちみたいに労働をさせられることもなく部屋に放置されている理由を、もう少し考えているべきだった。


「ちくしょう……!」


 そう呻きうつむいたケイの耳に、ふと落ち着いた言葉が入ってくる。


「サクラさん……一つ、お尋ねしたいのですが」

「マサヒロ、さん……?」


 顔を上げたケイの視界に入ってきたのは、どこか決意を固めたようなマサヒロの顔。その気迫に押されるようにして、ケイは思わずその名前を呼んでいた。


「サクラさん。その競りとやらは、本当にあと一週間で行われるんですよね?」

「は、はい。多分、そう言っていたと思うんですけれども……」


 質問の意図が読めないサクラがそう答えると、マサヒロは一瞬目を閉じてため息を一つついた。


「マサヒロさん……? いったい、どうし――」

「――それは多分、間違っています。正しくは、三日後。それが、その競りが行われるまでのタイムリミットです」


 ――そして声を潜め、俺たちが愕然とするような爆弾をその場に投下したのだった。

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