第一章3 『トラウマ』
吹き荒れていた暴風がやみ、地をかける稲妻が姿を消す。
その後に現れたのは、それらの人為的天災とでもいうべき現象がかわいく思えるほどに恐ろしい存在だった。
「いやぁ、大変だったよ? いかにこれだけ大量の人間を回収するかということの為に、実に数年単位の時間がかかった。でも、その苦労もようやく報われたというわけだね。全く、労働力の確保も楽じゃないな」
人の形をしたそれは、ついさっき遊園地のドームで見たときと同じような流麗な口調と声音で、全く違った内容を――ケイたちが聞けばイヤな予感に襲われること必定の内容をひとりごちる。
「ルージェス……お前……!」
電撃の影響で地に伏せ、満足に動かせない体を必死に動かすケイは、突然現れたかと思うと電撃をまき散らして人々を苦しめた男を必死に睨みつけた。
「悪く思うなよ、少年たち。弱きが強きに吸収され使役され、使いつぶされる。この世の中を支配する、弱肉強食の原理そのものじゃないか」
対してルージェスはと言えば、酷薄な笑みを浮かべてケイの方を軽く見、ふんと一つ鼻で笑ったのみだった。
「使役……? 使いつぶす……? まさか、さっきの奴隷としてとかっていう言葉は……!」
「なるほど、さすがにそれぐらいには気づくか。だが少し待とうか少年、君だけでなくほかの人間にもこの状況を説明しなくてはならないからな」
いまいち要領を得ない話をするルージェスに疑問を覚えたケイだが、その表情が直後にルージェスの言葉を思い出して青ざめる。
その様子を満足げに見つめたルージェスは、声を大にしてこう叫んだ。
「さてさてお客様! 我々が提供させていただいたこの異世界旅行は、まだ始まったばかりですよ? だというのに寝ていてもらっては困りますねぇ。では、話を聞いていただけるようにして差し上げましょう」
「お前……なにを……!?」
「まぁ見ていろ。――リウォーラ・ブリッド・ブラフ」
警戒した声を上げるケイを置き去りに、ルージェスが静かに三節からなると思われる単語を口にした。
その瞬間、ルージェスを中心にして輝く風、としか形容できない何かが散布され、その光の風を受けたものはその輝きに、そして直後に体に訪れたその効果にさらに驚くことになった。
「なんだ、これ……体が動く!?」
「なんのマジックだというんだ、いったい……」
そう、この光を浴びたものはかすかな痛みを伴って体の痺れが引き、さらには疲労も回復するという現象を目の当たりにしていたのだ。
もし今、この世界の理に詳しいものがいたのなら、その現象を『中級の光属性の拡散する回復魔法』と形容しただろう。
だが、残念ながらこの場にいる異世界人はルージェス一人。よってこの場に居合わせた日本人の大半は、その現象をさっきの麻痺とともに何かのマジックと断定した。
「これ、もしかして……魔法かなにか、なの?」
「やっぱりか……さすが異世界、魔法も当然あるよなぁ」
「コウタ、たぶんこれあんまり楽観視できる状況じゃない。っつか、かなり不味いって」
だが、一部の人間はそうでもなかった。異世界小説を好んで読んでいたコウタ、そのコウタからさんざっぱらその話を聞かされていたケイ、サクラ両名や、その他数名の人間。
彼らは、常識の埒外にある現象を起こしたその手段を『魔法』という便利な道具にはめ込んでいたのだった。そしてその想像は、偶然にも当たっている。
「ほう。そこの少年は魔法のことを知っているのか。いや、想像することができる、という方が正しいか」
「やっぱり、これ、魔法なんだな……」
立ち上がって全身に異常がないかをチェックしていたケイたちの様子を一瞥し、ルージェスは今や体の異常がなくなったおかげで余裕ができ、ことここに至って自分たちのおかれた状況把握につとめようとし始めた人に声を投げかけた。
「いかにも、さっきの暴風も、雷も、今の治癒効果のある光も、その力は確かに魔法と呼ばれるものだ。そして、この力をお前たちは扱うことができない。――――この意味が、わかるか?」
最後に口調を冷酷なものに変えて、言外に『逆らったら殺す』と宣言したルージェス。駄目押しとばかりに手に火球や雷を生み出して見せれば、その場にルージェスを無視できる人間はいなくなった。
それに気をよくしたのかルージェスが満面の笑みでうなずいていると、ルージェスからさほど遠くない位置にいた一人の青年が立ち上がり、おもむろに声を上げる。
「なぁアンタ、いっこ聞きてぇんだけどよぉ、このアトラクション、いつ終わってくれんの?」
「アイツ、バカなの……?」
明らかにアトラクションそのものよりも異性を求めてきていると人目でわかる服装のその男は、ケイたちの気持ちを代弁してつぶやいたサクラの声にかぶせるようにして言葉を続ける。
「確かに、このアトラクションはすげぇよ。みたこともないマジックも体験したし、それはそれでいいんだけどさぁ。俺、そろそろ腹減ってきたんだよなぁ。あんまし時間かかるならアレだし、これ、いつまでかかんの?」
言葉からだけだとやや推察が難しいが、今その青年はヘラヘラと笑いながらそうルージェスに尋ねていた。
だが、その表情には血の気がない。自分たちがとんでもない高所から落下したこと、なのに全くの無傷でどこかもわからない場所にいること、そして『魔法』とかいうマジックで体を麻痺させられ、そしてそれを一瞬で治されたこと。
その男からしてみればそれらはすべてが非常識の塊であり、逃避したくなるような現実だった。
故に、『これは夢だ。ならば覚めてしかるべきものだ』と完全な現実逃避をした思考に基づいて気づけば声を上げていたのだった。
そしてその男は、ルージェスにとって限りなく使える人柱に映ったのだった。
「キミ、いけないじゃないか。人の話は最後まで聞きましょうって、親に教わらなかったのか?」
「なぁ質問に答えろよ。これは、なんだ?」
もはや青年は、自分でこの状況を理解できはじめてしまっていた。どう見ても助からない場所からの高所落下。その後に連れてこられた、どこかもわからない場所。
――ロクなことが起きるはずがないと、青年の思考回路が断定してしまっていたのだ。
「そうやってまた人の話を中断する。――まぁいい、キミの場合は質問に答えてやったほうが幸せに逝けるかな」
ルージェスの底冷えするような語気を伴って告げられた独り言に、ケイの背筋が一瞬で冷却された。『こいつは今、なんと口にしたのか?』 と。
「では諸君、説明しよう。ご存じかと思うが、ここは日本ではない。ここは地球ではない。そもそも、君たちの知り得る宇宙という概念すら、この世界のそれとは違うものだろう」
その言葉に、何人かの人間が息を飲む音がした。
「ここは、君たちのいた世界とは別に存在する、いわば異世界だ。君たちの世界との差異をあげるなら、最たるものは魔法の概念が存在している、ということか」
そう告げたルージェスはもう一度手のひらに小さい火球を作りだし、瞬く間にそれを消し去った。その幻想的で怪奇的な光景に目を奪われている人をよそに、さらにルージェスは話を続ける。
「さて、我々が君たちに要求することは一つ。『我々への無条件の隷属、及び労働奉仕』だ。よかったな君たち、この就職難の時代にこんなすばらしい職場につくことができて。――――どうだ、説明はこれで満足か?」
そう挑発的な質問でルージェスが話を締めくくると、あたりをざわめきというにはやや音量が大きい会話が飛び交い始めた。
曰く奴隷にさせられるのかだの、冗談かなにかなのかだの、挙げ句の果てには先の青年と同じようにいつになったら日本に帰れるのかなどと口にするものまでいる有様だった。
「隷属……? 労働奉仕……?」
そしてその青年もまた、自分たちが奴隷として扱われる未来を受け入れがたいものの一人だった。
奴隷なんていう単語は教科書か、さもなくば物語でしか見たこともないような日本人として、そもそも自分が奴隷になるというのはひどく想像しがたい、どこか現実離れした話ではある。
「ふざけるなよ……!? なんで俺たちがあんたたちに従属しなくちゃならねぇんだよ!」
――だがひとたびその現実を頭が完全に受け入れてしまえば、余裕ができた思考を次に襲うのはいわれのない理不尽に対する怒りだ。
「なんで……と言われてもな。なにもこれは私の一存で決められた話ではない故、そう訪ねられても私としては回答に困るんだがなぁ」
「人が人を使役するなんて、そんなのどうかしてるだろ!? なんでそんなこと、許せるかってんだ!」
一度思考をフラットに――言い換えれば、日本人の常識に基づいて平常運転してみれば、自分たちがこれから奴隷になると宣言されていればこの怒りは当然出てくる感情ではあった。
そのことにようやく気がついたのか、その青年の怒りはやがて周りにいた人間に伝播し、その勢いを強めていく。
それまで指向性無く漂っていた感情が『怒』一色に染まり始め、その矛先がルージェス一人に向けられ始めるのに、そう大した時間はかからなかった。
そして、だんだんルージェスに明確な敵意を表し始める群衆の中にいたケイはと言えば、一人冷や汗を浮かべて喉から声を絞り出していた。
「…………マズい」
その一連の流れをやや離れた位置から観察していたケイからしてみれば、『非力な日本人が魔法を使え|る異世界人に対抗しようとしている』という状況が果てしなくケイの脳内で警鐘を鳴らしていたのだった。
「どうしたんだよ、ケイ?」
「アイツら、多分だけど、……死ぬ」
「え?」
「ケイ、今……なんて?」
ケイがそうつぶやき、思わずと言った具合でコウタとサクラがケイの言葉を聞き返した瞬間。
「はぁ……」
ルージェスの言葉を皮切りに、状況が動き出した。
「やはり、こうなったか。……どうやら君たちは、この状況をストライキでもすれば解決する雇用問題かなにかと一緒にしているようだな」
そのルージェスの呆れたような呟きは、今や一つのうねりを作り出しつつある群衆には届かない。それでも、ルージェスは言葉を続ける。
「ちょうどいい機会だ。これから君たちに、我々【カルミラ】の流儀というものを教えてやろう」
そしてルージェスは、スーツに包まれた右手をまっすぐ前にかざす。その延長線上に、うねりの中心になっている青年をとらえるようにして。
「やめ、ろ……」
ケイの制止の呻きは、感情と怒号のうねりに揉まれて消える。
そしてうねりがその勢いを増し、最高潮に達するかと思われたその瞬間に、
「――モーラ・ウィッド・ジャヴェラル」
たったひと繋がりの言葉で生み出された暴風の槍が、
「――え?」
周囲の人間を盛大に巻き込み、青年の腹部を貫いて吹き飛ばした。
「――――え?」
間抜けにも響いた声は、誰のものなのかはわからない。
だが暴風に目を細めた人々が再び目をあけたとき、その場に居合わせた誰しもが、自分たちは踏み抜いてはいけない地雷を起爆させてしまったのだと感じただろう。
「がふっ、ぁ、あがっ…………?」
青年の腹に暴風の槍が通ったことで開いた穴からは、命の赤い水が間断無く溢れだし、今もその命を刻々とすり減らしている。
もはや青年には痛みにもだえ苦しむ力すら残されていないのか、血煙を吹き上げながら荒い呼吸を繰り返すのみ。
その周囲に散らばっている肉片が、腸が、ぬめる血溜まりが、目に入った瞬間。
「ぁ……いやぁ…………いやああぁぁぁぁああああああああああああああああっ!!」
最早声も出ない少年の代わりだとでも言うように誰かが甲高い悲鳴を上げ、それに続くようにしてその場に悲鳴の不協和音が展開されたのだった。
◆ ◆ ◆
「――――なんだよ、あれ」
そうつぶやいたコウタの喉は、すでにカラカラに干上がっている。
「やっぱり、マズかった……!」
自分の予感が的中したことを悟ったケイの声には、激しい後悔の色が滲んでいた。
「なんで……? 何で、こんな……?」
吹きあがる血煙と悲鳴からなにが起きたのかを理解したサクラは、どこか虚ろな目でいやいやをするように首を振っている。
人が目の前で吹き飛ばされて瀕死の状態まで持っていかれたことに三者三様の反応をしめすケイ達の周囲では、すでに恐怖の大感染が始まっていた。
自分の体に付着した肉片を必死に落とす者。失神する者。訳も分からず叫ぶ者。挙げ句の果てにはなま暖かい鉄の臭いに耐えきれず嘔吐する者が現れたこの神殿は、今や惨殺の傷跡と恐怖に支配された空間へと変貌しつつあった。
そしてその中心、惨劇を起こした張本人であるルージェスは。
「おかしいな……せいぜい柱に叩きつける程度でやったはずなんだが……やはり加減が難しいな」
返り血を微塵も気にすることなく、まるで自分の実験がうまく行かなかった科学者か何かのように、顎に手を当てて自分の引き起こした結果を思案していた。
そして、人に致命傷を追わせてなお正気を保っているその姿が、呵々大笑するいかにもな悪役なんかよりもよっぽど効果的に、その場に居合わせた人間にルージェス・ハイドランという人間の異常性を理解させるのだった。
この人間には逆らってはいけないと。この狂人に逆らったのなら、この青年と同じような結末をたどることになるのだと。
「……ん、ああ、ようやく死んだか」
そしてなんの感情も宿していないその目線がすでにうつろな目になった青年に向けられたとき、人々は自分にその力が向けられたわけでもないのに背筋を強ばらせるのだ。
コツコツと足音を響かせながらその青年にルージェスが歩み寄るに連れて、群衆のざわめきも自然に小さくなる。
青年の目の前まで到達したルージェスはそこで一度周囲の人間を睥睨し、その表情に皆一様に恐怖の色が張り付いていることを確認すると、まるで学校で授業をする教師か何かのような軽い口調で最後の仕上げを口にした。
「というわけで、私に逆らったものはこの哀れな青年と同じ末路をたどる。だが私としても、ここにいる労働力は可能な限り減らしたくはないのでね。素直に協力してくれるとありがたいのだが…………誰か、死にたいものはまだいるか?」
――ルージェスの嗜虐的なその笑みとともに告げられたその言葉に、誰も言葉を発することなどできるはずもなかった。




