第一章13 『救出劇の最中に』
ケイがまだ幼稚園に通っていた頃、母親につれられてバスに乗ったことがある。
当時から仲のよかったコウタ、サクラも一緒だったのを、おぼろげながら覚えていた。
行き先は確か、近場にあった遊園地。
ずいぶんと前から行くことを約束していたその遊園地に行く前日は、ケイも例に漏れず目が冴えてなかなか眠りにつけなかったものだった。
それも手伝ったのか、ケイは遊園地で一日中遊んだ後、帰りのバスでコウタやサクラよりも早く眠りこけてしまった。
眠気を誘う独特の振動と、暖かく窓から差し込む夕日に包まれながら寝たあの時は、ケイの記憶する中でも相当心地よく眠れたような気がする。
そう、今まさにケイが感じているのも、あの時自分が微睡んでいた時のバスの振動のような――
◆ ◆ ◆
「…………ぅ、ぁ?」
短く小さく、うめき声を上げて意識が覚醒したケイの視界に写ったのは、いつぞやの父親を思い出す分厚い背中。
周りの景色が流れているのに自分は全く体を動かしていないことから、今ケイは誰かの背中に背負われて移動しているのだとすぐに気がついた。
「――あ、ケイ、気がついたか?」
その声にふと顔を向けてみれば、背負われて走る自分のすぐ隣を併走する、コウタの姿があった。
「コウタ……? 俺は、どうなって……っつか、なんで背負われてんだ……」
「落ち着け。とりあえず、今は黙って背負われとけっての」
「でも……」
そう押し止めるコウタに対して、どこか意識が朦朧としたままのケイが抗議の声を上げようとするが、それもケイを背負っている人がケイを担ぎなおした為に不発になった。
「なんだか分からないけど、疲労が溜まってるんだってさ。今は休んどけって」
「……ぁあ、うん、分かった」
コウタの説明でケイが思い出すのは、さっき自分が振るったあの『力』。異世界人のはずのケイは魔法が使えないはずなのに、まるであの時のケイは魔法のような怪力を見せた。
(あの『力』の反動か……?)
自分の全身を支配する倦怠感にそう結論をつけたケイは再び体の力を抜き、自分を負ぶっている人間に身を預けた。
その途端、それまで薄れていたはずの眠気がまたどっと押し寄せてくる。
(やば……ねむ……)
視界が途端に霞み始め、瞼に磁石仕掛けでも入っているように目を開けていられなくなる、その最中。
「――、――で――のか……?」
「ぁあ、これで――だ」
自分の親友の言葉と、やけに聞きなれない声を聞いた、気がした。
◆ ◆ ◆
「――さて、ケイさんが目を覚ましたところで話をしますが」
結局ケイは、そこから体感時間にして十分も寝かせてはもらえなかった。しばらくしてから揺り起こされ、冷たい地面に立たされたのだった。
どこか施設の隙間のような狭い場所に十数人の人間がひしめき合っている状況で、ケイはまだどこか夢心地のような気持ちでマサヒロの真剣な声音の言葉を聞いていた。
「今、ケイさんが捕まってからだいたい半日が経過しています。日本なら、そろそろ空が白み始める時間帯でしょう」
「俺、そんな長い時間も拷問されてたんだ……」
「すみません……最速で駆けつけたんですが……追っ手を撒いて戦力を立て直すのに、時間がかかってしまって……」
「あ、いや、いいですよ。一応、無事っちゃ無事ですし」
申し訳なさそうに頭を下げるマサヒロに、ケイは苦笑いを浮かべてみせる。
極限状態の時に思考を支配していた『なぜこなかった』という怒りは、今のケイにはなかった。
(あの時、理性が飛びかかってたのかな……)
その考えに思わず体をぶるりと震わせ、ケイは唾を飲み込む。
そしてそのケイの様子を知ってか知らずか、マサヒロがさらに言葉を続ける。
「――実はですね、作戦の概要が若干変更になりました。サクラさんを先に救出し、しかる後に【動力】を回収します」
「……そりゃまた、なんでですか?」
全く予想だにしなかったマサヒロの言葉にケイが目を丸くすると、黙り込んだマサヒロに代わってコウタがケイに答えを返した。
「競りの時間が、速まったんだ」
「……本当か?」
「ああ。しかもそれだけじゃない。新しい情報で、あのポッゼって男、奴隷にするって決めた相手にあらかじめ幻惑魔法みたいのをかけて、半分廃人にしちまうらしいってのが入ってきたんだよ」
憎々しげな様子でそう吐き捨てたコウタの言葉の意味を理解した瞬間、ケイはその場で『ふざけるな』と叫び出しそうになるのをこらえるので必死だった。
ケイの脳裏に、コウタが言葉にした通りの光景が浮かび上がる。
明かりの落とされた薄暗い部屋の中、瞳に光をなくしたサクラが無表情なまま椅子に座る。そして、その傍らにはあのでっぷりと太ったポッゼがいやらしい笑みを浮かべ、サクラを眺め回していて――。
「――――ッ!」
もしかしたらあと数時間で実現するやもしれない光景に、ケイの喉から音無き怒声が迸る。
その様子を見ていたコウタがどこかやるせない怒りを宿した目を地面に向け、そしてケイからすれば『不可能だ』と言いたくなるような提案をしてきた。
「わかったろ? 俺たちは競りの前にサクラを助け出して、それから以上をポッゼに気づかれる前にあの動力とやらを回収しなきゃならないわけだ」
「んな、バカな……」
「でも、やるしかありません。このまま何もしなければ、サクラさんは奪われる上に、私たちも無事ではいられないでしょうからね」
思わず絶句するケイに声をかけるマサヒロの目には、確かな決意の光が宿っている。
「やりましょう。全員で、ここを脱出するんです」
「――わかり、ました」
その気迫に押されるように、ケイも頷いたのだった。
「あ、そういやケイさ、俺たちが駆けつけたときなんか部屋がすごい状態になってたじゃんか。あれ、何があったのさ?」
「……え? ああ、あの時な……。えっと、俺もよくわかんないんだけどさ……」
コウタに言われて初めて、ケイもそのときの様子を思い出してみる。
ケイの記憶にあるものと言えば、拷問の時の激痛、腕が飛ぶときの感触、そしてあの謎の声が聞こえたことや、その直後に『力』を一時的とは言え手に入れたことぐらいだ。
「拷問を受けてて、意識が飛んだりしてたら、なんか声が聞こえて、一気に怪力を手に入れた……?」
「なんだそりゃ……」
おそらく自分の身に起きたことを列挙してみると、ケイとしても話だけを聞いたのなら本当に突拍子もないようなものだと思う。
「いや、でも、ほんとだったんだって……」
「じゃ、その力とかってなんで今使えないんだよ」
「なんか、時間切れがどうこうって……」
話を聞いているコウタの目が、期待に輝くそれからだんだん異常者に向ける蔑みのものになった段階でケイの声はだんだん小さくなっていき、最後には自分でも恥ずかしくなったのか消えてしまった。
「……あのさぁケイ、疲れてて幻覚でも見たんじゃないの?」
「いや、それはないって、違うって! じゃなんで俺はあの連中を倒せてたんだよっ!」
「でも、あんまりにも突拍子もない話だからさ……」
「俺もそう思うけどっ!」
真面目に考えたら、ケイが体験したのはまさにどこの異世界チート様な物語だと言いたくなるような状況だったわけだ。
そして顔を真っ赤に染めながらも自分の正当性を主張するケイと、それを最早話半分も信じていない様子のコウタを見ていたマサヒロが、ふとこんなことを口にした。
「……その力っていうのを、一度発現させてみればいいのではないですか?」
「…………あ」
「そうだ、その手があったっ! ……って、あの時の俺、なんて言ってたっけ…………?」
マサヒロの提案に顔を輝かせるケイだが、その表情はすぐに曇ってしまった。その『力』とやらを引き出す方法がわからなかったからである。
「唸れ、俺の右手! じゃねぇの?」
そして頭を抱えているケイを見るコウタはと言えば、最早完全にケイを疑いの目で見ている。信じる気などないようだった。
「茶化すなよっ! ……あ、いや、あの時は向こうから話しかけてきたんだったわ……」
さらに、そもそも自分から呼び出していたわけではないと気がついて地面に突っ伏すケイ。
その後も『ほらやっぱりな』的な視線を向けてくるコウタの視線に耐えられず、念の為にあの手この手で『ぎぶみーぱわー』と頼んでみたが、結果はお察しの通りである。
「なんでだ……また力が必要になったらって言ったじゃん……」
「……まぁ、現状その『力』が作戦に組み込まれることはなさそうですね。怪力なら、もし発動すればそれなりに使えるタイミングもあるでしょうし」
「うん、まぁ、作戦前にいい感じに緊張がほぐれたしいいんじゃないか?」
「そのフォローが心に痛い……っ!」
かくしてどうにも締まらない形で、ケイたちの命運を決める作戦が開始されたのだった。
◆ ◆ ◆
――サクラの救出に関しては、あまり苦労することはなかった。
もともとは武術に心得のあるというマサヒロが数人部下を尋問して部屋を把握する手はずだったのだが、その手間をケイが既に短縮していたからである。
『待合室』という施設の呼び名と場所を聞き出したのが幸いし、マサヒロに同行していた施設の構造を知る人間に先導を頼み、ケイたちは数分の後にはサクラが収容されている部屋に到着していた。
「――ここ、だな」
そこはケイたちが収容されていた場所とは異なる、部屋全体が高級感のある黒光りする鉱石で装飾された部屋だった。
ちなみにその手前にいた門番は、すでにマサヒロ率いる職員が物陰から一瞬で打ち倒した後である。その早業にはケイも青ざめたものだった。
そして邪魔者がいなくなったことを確かめたケイとコウタが、図宇恋おうな造りのその扉を押し開く。
――その先に広がっていたのは、どこか荘厳な景色だった。
「うわぁ……」
そう漏らしたコウタの視界には、一人の少女が写っている。
壁に使われている鉱石の切り出し技術、部屋を照らし出す明かり、どれをとっても日本人であるケイたちからしても全く別世界の物に見えるのだから、なかなか高級な代物なのだろう。
そしてその装飾の中央、祭壇のように一段高い位置にしつらえられた椅子。
重厚な造りの中に華麗な装飾を施されたその上には、細いながらも頑丈そうな鎖で身を封じられて座ったままのサクラが、いた。
その姿は、決して鼠色の奴隷服ではない。ポッゼに売りつけるためだろうか、その体は黒を基調としたドレスのようなものによって飾り付けられている。
もともと美少女と形容することに躊躇いの無い容姿をしていたサクラは、どこか中世感のあるドレスに包まれ、普段はサクラを友達としてしかみないケイにすら一瞬はっとするような魅力を発していた。
「サクラ……!」
そう言うや駆け出すコウタに続いて、ケイも疲労の残る足でサクラに向かって駆けだしていく。
「サクラ、待ってろ……っ、クソっ、これ、堅いな!」
サクラの全身を拘束する鎖に挑みかかるコウタだが、その鎖はそれなりに頑丈なものだったのか、手でどうこうしてちぎれるような代物でもなかった。
「金属かなんかでできてるんだろ? 多分素手じゃちぎれないと思うぞ?」
「じゃ、あの『力』とやらを使ってくださいよケイ先輩」
それならお前がやれよとばかりに半眼でそう告げるコウタに、今度はケイが表情を歪める番だった。
「うっ……いや、あのだな、あんな怪力でその鎖を引きちぎったら、絶対サクラにダメージ入るし、使ったらまずいじゃんか」
「はいはい、わかったって、冗談だからさ。にしてもこれ、どうしたら……」
さっきの一幕を思い出してどうにもテンションが下がりがちなケイを放置してそうつぶやくコウタ。
「どうしました?」
ふとそのコウタの前に、何人もの部下を引き連れたマサヒロがやってきた。
「いや、サクラに巻き付いてる鎖が取れなくってさ……」
「それなら簡単ですよ、魔法で切ってしまいましょう」
あっけらかんと告げたマサヒロに、コウタが明らかに渋面を作る。
「だからなオッサン、俺もそりゃ考えたけど、下手にサクラに傷がついたらって思ったらさ……」
「では他に方法があるんですか? ここでもたもたしてポッゼが来るまで立ち往生していたら、それこそ問題だと思うのですが」
「……っ」
マサヒロの言葉は冷静な正論そのもの。コウタは自分でも薄々気づいていたその点を指摘され、思わず黙り込むしかなかった。
「――サクラに傷つけたら、ぶっ飛ばすかんな」
「そんなことは重々承知です。私だって痛いのはイヤですからね。――では」
殺気すら放つコウタの視線を真っ向から受け止めたマサヒロは背後に控えていた職員を一人呼び、簡単に状況の説明をしていく。
(コウタ……?)
そんな中でケイは、どこか言いようのない違和感を感じていた。
日本にいた時のコウタにも、確かにサクラを大事にするようなそぶりはあった。それは、幼少の頃から近くで彼らを見てきたケイだからこそわかることだ。
だがその思いは、サクラに傷一つ付けることも許さないというほど過剰ではなかったはずだ。
そもそも日本でないこの異世界なら、ある程度の傷はあの回復魔法で直せるわけなので――
(……いや、あの激痛は誰でも味わいたくないもんな)
もしあの痛みをサクラに味あわせることがあったとしたら、コウタがそれを黙認するわけがないだろう。
かといって傷を治す手段もないのだから、回復魔法の行使をコウタが止められるはずもない。
(そういう袋小路の状況に追い込まれるのが怖くて、ああいう過剰な反応をしてるのか……?)
ケイがそう考えごとの世界に浸っていく間にも、サクラの鎖は職員が放った小規模な風の魔法で無事破壊されている。
「サクラ……! 良かった……!」
椅子から解き放たれて地面に倒れ伏したサクラを、コウタは強く掻き抱いた。
もしかしたらもうしばらくの内に廃人化する危険性があったのだから、それを未然に防げた喜びは並々ならぬものがあるだろう。
ケイもサクラの元へと歩み寄ってみるが、その表情が変に白いとか、命の気配が感じられないということはない。定期的に聞こえる呼吸音と、定期的に上下する胸がその証左だ。
「コウタ……? ケイ……? なんで……?」
そして、サクラがかすかな呟きとともに目を覚ます。
「よかった……間に合った……!」
サクラの無事を、涙すら浮かべながらよろこぶコウタの姿。その姿は、ケイたちがこの異世界に飛ばされた折りにコウタがサクラを起こしたものと酷似していた。
「私、助けてもらったんだ……」
だがサクラはコウタを殴りとばす事もなく震える声でそう呟き、満足そうにため息をついた。
そしてケイがコウタの近くに数歩ほど歩み寄ると、サクラもケイの存在に気がついたらしい。
「ケイも……ほんとに、ありがと」
「礼を言うのはまだ早いだろ? ここから脱出するぞ、サクラ」
「そう、だね」
どこか力の無い感じの声ではあったが、ケイの声に確かに芯のある返事を返したことにケイがかすかに微笑む。
「オッサン! サクラも助け出したし、そろそろ移動しないか?」
ちゃんとサクラを救出できたからか、どことなくテンションの高いコウタの問いかけに、近くの見張りをしていたマサヒロがケイたちの元に近寄ってきた。
「そうですね。見た感じとりわけ変なそぶりもないですし」
「よし、それなら――!」
「はい、移動しても大丈夫そう――――」
その声が、最後まで言い終える前に。
「――――リモーラ・フィーレ・ブラフ」
背筋が凍る、音がした。
ついでマサヒロの背後から立ち上る、炎。
聞こえるのは、死を運ぶ灼熱の塊が爆ぜる音。
「――――っ!」
そのことを知覚した瞬間にケイは迷わず地を蹴り、コウタとサクラを横合いに突き飛ばしていた。
(これで、あの二人は無事だ。だけど俺とマサヒロさんが――)
さっきは少し大きいぐらいのサイズだった火球は、すでにケイの視界を埋め尽くすほどに肥大化している。
全身を焼かれるであろう恐怖に身がすくむが、ケイにそれを避けるすべはない。おそらくあの火球は瞬きの間にケイを飲み込み、一瞬でその総身を焼き尽くすだろう。
熱いのはイヤだ。痛いのはイヤだ。
でも、親友がそうなるのをみているのは、もっとイヤだったから。
ケイは気づけば、全力でかけだしていたのだった。
(――――っ、あ)
そして、目を閉じることもかなわないような刹那の時間。
すべてがスローに映る視界の中、炎の隙間からケイの視界に写ったその人影を睨みつける。
せめて視線だけでもぶつけてやろうとしたわけでもなく、ほんの偶然にすぎないような形で目に入ったその人物は。
「――さぁて、私の持ち物を漁る鼠はどこだ?」
――丸々と肥太った、あの貴族の姿をしていた。




