第一章10 『策千結構、作戦決行』
「――こっちですっ! 早くっ! リウォーラ・エイク・ジャヴェラル!」
その怒声に背中を蹴飛ばされるようにして、ケイは一気に二十メートル弱の距離を走り抜けた。
「お前たち、何を――ぐぅうっ!?」
その真後ろでは、敵側の軍服を着た男が体に水でできた槍を打ち込まれ、今まさに崩れ落ちていくところだった。
すでに何回目かわからない全力疾走と永久に終わらない緊張に、心臓が激しく拍動を繰り返して悲鳴を上げているのがわかる。
それでも、走り続けるしかないのだ。
この地獄から抜け出すためには、それしかない。
「ケイさん! そこの曲がり角を、左に曲がりましょう!」
「え!? でもあっちを通ったら遠回りに――」
「目の前から警備隊が押し寄せているんですよっ!」
そのマサヒロの声にはじかれるように顔を上げたケイの視界に入ってきたものに、ケイは思わず愕然とした。
通路の向こう側に視認できるだけでも、これまでなんらかの理由からあちこちに散り散りになっていき数が大分減少しているこっちの味方の、約3倍。
それだけの人数の敵を相手にしたとき、ケイの足は一瞬竦みそうになった。
「いきますよ! ここは仲間が引きつけてくれます!」
だが、そう叫んだマサヒロの声にこっちを慮る色はない。
一瞬でも気を抜いたら自分たちが地獄にたたき込まれるような状態だからなのだろう、決してマサヒロがその足取りを緩めることはない。
「コウタっ! 生きてるかっ!?」
「――生きてるってのっ!」
ケイは自分のすぐ後ろを走るコウタがまだついてきていることを確認すると、すぐ目の前のマサヒロが急に曲がって入っていった通路に自分も飛び込んだ。
「――――ぐぁああっ!」
直後、自分の背後で飛び回る轟音と怒号。
自分たちを援護するために行われているのだろう魔法での戦闘で、両者から発生する衝撃波が、熱が、音が、光が、ケイを吹き飛ばす。
だが立ち止まっている暇はない。
全身のバネを利用して弾かれるように立ち上がったケイは、呼吸を整えることもないまますぐにまた走り出した。
そのすぐ真後ろから聞こえる、死神の足音から逃れるようにして。
◆ ◆ ◆
作戦開始から、おそらくケイの体感時間にして二十分。
味方だという軍服の連中に連れられて、夜の施設の中を緊張とともにここまで移動し続けてきたケイたちだったが。
状況は、ケイたちが思う以上に深刻な動きをしていた。
「まずいですね……予定の位置に、まだ到達できていないですか……」
マサヒロはそう漏らすと、頭をがりがりと掻いて見せた。
「はっ、はぁっ、ぁ……」
「あー、ダメだ、もう死ぬ……」
そしてその声に反応するようにして、明かりのともされない通路に二人分の疲労感満載の声が小さく反響する。
言わずもがな、ケイとコウタだ。さすがに普段なら、二人もこの程度の運動でへばってしまうほどにやわではない。
だが、いつ捕まるかもわからないという極度の緊張が筋肉に余計な力を使わせ、結果として二人を疲労させているのだった。
「二人とも、そろそろ出発しましょう。いつ追っ手がくるかもわからないです」
だがマサヒロは、その状態の二人に対してそう言い放つ。
「りょう、かい……」
「はい……」
捕まることを危惧した発言なのだから当然といえば当然なのだが、ケイはそれでも思わずため息をつかずにはいられなかった。
「よし、じゃあここからはちょっと予定外の行動に出ますよ。私達が今いると思われるのがここですね。予定の位置から、だいたい百メートルほど離れてしまっています」
そう言ってマサヒロが指し示したのは、地図の上にある居住区の中でも端っこの方。確かに、居住区をほぼまっすぐに突っ切っていくはずの予定ルートからは、離れた位置であった。
「おそらく敵は私達の動きをみているはずですから、動きは一層警戒を強めながらいかなくてはならないですね。まぁ大変ですが、別動隊と落ち合えればさしたる苦労もないでしょうから」
マサヒロは本当に何の気負いもないような言い方でそう告げると、地図を懐にしまい歩きだそうとした。
そして、そのあまりにも緊張のみられないマサヒロの態度を見て。
「マサヒロさんは……なんでそんなに冷静でいられるんですか?」
ケイは気づけば、そう尋ねていた。
マサヒロはケイの質問に一瞬不意を突かれたように目を開いて黙り込んだが、一瞬もしないうちにケイに対して答えを返していた。
「なんでしょうね。たぶん、自分の状況をゲームか何かでもやってるみたいに客観視してるせいかもしれないです。危機感もないのはそのせいですかね」
「……ああ。そうだったんですか」
どこかすとんとケイの附に落ちる、その言葉。
ケイはそれに納得して、なぜ自分がそのことを聞こうと思ったのかもわからないままに歩きだした。
「じゃ、行きましょうか」
――ケイは思う。この時この質問をしなければ、未来は変わったのかもしれないと。
――ケイは思う。なぜ自分は、こんな質問をしてしまったのだろうと。
「――――そろそろ、だな」
それは余りに小さく、そして余りに冷徹な声。
その小さすぎる声を、しかし殺意にまみれた声を聞き取った瞬間。
「――――ッッ!?」
ケイの総身がわけもなく粟立ち、全身から冷や汗が流れ出るような感覚を覚えた。
そして反射的に顔を上げたケイは、
「――ぇ?」
世界が、横倒しになっているのに気が付いた。
横倒しになっているといっても、それはあくまでもケイからみた景色だ。
実際は世界が傾くなんていう事象が発生するはずもなく、ケイ自身が地面に倒れ込んでいるだけのことに過ぎない。
(何で――っ!)
脳内の警鐘が全力で鳴り響く。これはヤバいと、理性よりも直感が先んじて叫ぶ。
だが。
(何で、声が出ない、体が動かない――――っ!?)
ケイの声帯は、手は、足は、どれだけ力を込めようとしても微動だにしてくれることはなかった。
声が出ない。体を動かせない。それはつまり、すでにケイの元を離れていこうとしている二人に危険を知らせられないということに他ならず。
(ちくしょう、動け、動けよっ!)
すでに遠のきつつある意識の中でそんなことを思い、離れていくコウタたちの背中を見やり。
「――――」
最後に閉じかけた瞼の隙間から、こっちに振り返るコウタの驚愕した顔と。
――――そして、何よりも冷徹な光を放つマサヒロの目を見たのを最後に。
(なん、で、こんな――)
ケイの意識は、自分が地面に倒れ込む音とともに泡となって消えた。
◆ ◆ ◆
「――ぉい! 起きろっ! まだ質問は終わっていないっ!」
その乱暴な声と胸板に押し当てられた焼けるような――いや、事実肉が焼ける|熱さに、ケイは半ば飛びかけていた意識が浮上するのを実感した。
(ぁあ、夢か……)
朦朧としていた意識が戻り、そして視界の中に黒いローブを着た男の下半分しか表情の伺えない顔が見えたのを確認して初めて、ケイは自分が幻覚か何かを見るようにして今までの出来事を回想していたのに気が付いた。
「だから、共犯者はいたのか? さっさと答えてくれ」
痛みによって全身が跳ね悲鳴を醜く上げる、ということはもうない。
とっくに喉がつぶれて声が出なくなり、気力を使い果たしていたというのもそうだし、それ以前にケイの体は現在四肢を何か魔法のようなもので固定されていたのだった。
自分が拷問されているということを今更のように寝ぼけた意識で思い出したケイは、朝に二度寝をするようにして、ことここに至るまでの経緯をゆっくりと想起していた。
「――おい! 聞こえているのかっ!――ぃ――!」
ほら、今も目を閉じれば、その光景が蘇ってくる――
◆ ◆ ◆
ヤバい。
倒れた。
「――ここへ持ってこい。動かないように縛り上げておけよ」
何で?
誰のせいで?
「――器具の準備はできたか? よし、あの研究区共の手に渡る前に、できるだけ情報を引きずり出すぞ」
コウタは無事か?
脱出はできたのか?
「――――始めるぞ」
いや待て。
――そもそも、ここはどこだ!?
「――――っ!」
その思考と共に跳ね起きたケイの意識が、最初に認識したこと。
「リウォーラ・フィーレ」
「――ぁ、っ?」
それは。
「――うわぁあぁぁぁああああぁぁあああああああっ!?」
『熱い』という、その感触だった。
「どうだ? 目は覚めたか、脱走者」
「あがっ、ぎぃっ、ぇあ?」
寝起きの意識が叩き起こされる。胸板にいきなり叩きつけられた熱源に肉という肉がない交ぜにされ、みな等しく加熱される。
断絶された神経から流れ込むSOSにケイの視界が激しく明滅を繰り返し、本人の意思と関係なく全身が痙攣する。
「チッ、このままでは話もままならないか。リモーラ・ブリット」
混濁したままのケイの意識の傍らに、男の声が割り込み。
「――――ッ!? ぐっ、があぁあっ、ぎっ――――っ!?」
一瞬にしてケイの意識が、さらに激しく与えられた『痛み』という感覚の元に統一された。
胸板に出現した炎によって焼かれ剥き出しにされていた骨が、筋肉が、神経が、血管が、皮膚が、巻き戻しされるビデオさながらのように再生していく。
――いや、その痛みを考えると再生などと言う言葉ではとうてい表現しきれないだろう。
「――――――――ッッ!!」
もはや声も上げられないケイの体内では骨が轟音を立てて無事な骨を削りながら組み立てられ、筋肉が灼熱を伴って編み込まれていく。
血管が筋肉の隙間を喰い破って浸食し、神経が筋肉のあちこちに針を通すように駆け巡り、最後に出現する皮膚がその熱をすべて内側に閉じこめるように体の表面を嘗める。
それ単体で取っても明らかに激痛などという言葉では表現できない痛みが、ケイの胸の中で、外で、再生の不協和音を奏でているのだ。
「――、っ……」
神経がまだ通っていないはずの部分から送られ続ける『痛み』の感覚に、ついにケイの精神はあっさりと意識を手放した。
「……せっかく最上級の回復魔法で回復させてやってのにふて寝とは、生意気なヤツめ。――おい、もう一度このガキを起こしてやれ。だが今度は手加減しておけ」
その様子を見た男が一つため息をつき、後ろにいた男に追加の指示を出す。
「――ウォーラ・ウィッド・ブレド」
指示を受けた男は一歩前に進み出て、無機質な声で魔法の詠唱を刻む。
前方にかざされた男の手に一瞬にしてできあがったのは、風切り音をあげて球状に渦巻く小さな風の刃だった。
そして男はそれを、白目を剥いて気を失っているケイの――今度は右腕の内側に押しつける。
刹那、鋭利な風の剃刀がケイの腕の皮膚を、神経を、血管を、筋肉を切り裂き。
「――――ぁがあああっ!?」
さっきは血管を焼ききられたせいで出ることのなかった鮮血が、ケイの腕の内側から勢いよく吹き出し、ところ構わず散らされた。
その痛みと感触に再び喉を裂くような悲鳴を上げながら、ケイの意識が覚醒する。
「やあ脱走者。お目覚めはどうだ?」
「なん、だよ、ここは……っ」
今度はさっきケイを気絶させしめたあの回復魔法が飛んでくる様子もない。
ケイは腕から継続的に感じられる痛みに歯を食いしばりつつ、相手を精一杯睨みながら途切れ途切れの口調でそう尋ねた。
「ここか? まぁなんだ、ここはいわゆる実験場みたいなもの――とでも言えばいいのか? ま、今は拷問部屋だが」
「拷問……!?」
男の口から飛び出した突拍子もなさすぎるその単語に、ケイは痛みも一瞬忘れて目を見開いた。
そしてその言葉を確かめるように、いくばくかはっきりしてきた視界を巡らせて部屋の全貌を確認する。
部屋はなんだか由来のわからない金属で構成されているらしく、全体的に統一して暗い灰色をしている。
その部屋の中には机が何個かおかれており、使途の読めない液体が入った容器や、何かが細かくびっしりとメモされた走り書きのような紙が散らばっていた。
――そしてなによりケイの心胆を寒からしめたのは、その机や機材のどれにも、血がついていないものがない|というところだった。
うすぐらい光が各所にともされたおかげでその様子がはっきりと見えてしまったケイは思わずぶるりと体を震わせ、視線を前に戻す。
こんなおぞましい部屋の中で、ケイの目の前にいるのは、三人の男だった。
さっきからケイに話しかけてきているのであろう男は筋骨隆々といった感じの大男で、その手に金属棒――これにも血が付いていた――を持っている。
もう二人はさして特徴的な外見もなかったが、そのうちの一人は紙を手に持って何かを一心不乱にメモしている。
書記というには少し常軌を逸したその行動にケイは少し目を細めたが、その疑問も最後の男の姿を見た瞬間に消し飛んでしまった。
「――――っ!?」
ケイが思わず息を呑むのが聞こえたのだろう、さっきの大男がにやりと口を歪めたのがケイにも見えた。
だがそれは、ケイのように一般的な感性を持つ人間なら仕方のないことかもしれない。
何せ、ローブからのぞく男の顔は――幽鬼のように白く、うち半分には焼けただれたようなケロイド状の傷跡を負い、そして残り半分の無事な表面には赤黒い筋が常時駆け巡っていたのだから。
「やはり驚くよな? 俺も最初はそんな反応をした。こいつはな、蛇型の魔物と人間の相の子なんだよ」
相の子――身も蓋もない言い方をするのなら、合成獣。
その証拠にとでもいうのか、大男がそのキメラの被り切れていないローブをひょいと持ち上げる。
するとそこには、爬虫類のように黄色い虹彩に縦長の黒目が二つ、脱色でもされたかのように不気味なまでに真っ白な髪の隙間からケイを覗いているのだった。
「なんで、こんな……」
そう思わずつぶやくケイに、記憶の中でマサヒロが口にしていた言葉がよみがえる。
『……魔法に対する耐性を見たり、合成実験の材料にしたりしているようだという話を、仲間から聞きました』
その文章が脳内で再生された瞬間に、ケイの思考に一つの恐ろしい予測が浮かぶ。
「――まさか……その人、元は日本人じゃないだろうなっ!?」
「いやまさか。魔力回路を持たない日本人じゃ、まともに合成なんて出来やしないだろう。こいつは、ただの犯罪者の魔法使いのガキだ」
大男はそんなケイの最悪の予測を、肩を竦めて軽く笑い飛ばした。
「…………異世界人での合成は『今は』まだできない。でも、いずれそれを可能にするのが、ボクらの仕事だ」
そして、ここへきて今まで喋らなかった書記のような男が中性的な声を発する。ケイがなにも言えないのを見て取ったのか、男はぞっとするぐらい感情を持たない声でその続きを口にした。
「だからキミは、ここでボクらの研究の足がかりになってもらう。肉塊になっても、魂の一片がこの地上から消えるその瞬間まで、キミはボクたちに利用されるんだ」
メモを書き留める手を止め、すっとケイの方に向き直った男。
「……っ」
ケイはその感情の薄そうな瞳の奥に、人を物言わぬ物体に変えることをあっさりと口にしたその感性に、言いしれぬ狂気を感じ取っていた。
言うならば、初めて会ったときのルージェスがテントで一瞬見せた獰猛さのような。
言うならば、ハンザがマサヒロを殴りとばした瞬間に見せた凶暴さのような。
こいつはそういう類の人間だと、ケイの直感は過たず告げていた。
「――というわけで、こっちの楽しい自己紹介は終わりだ。さぁ、こんどはそっちの番だぞ脱走者。お前の共犯者、動機、方法、すべてなにが何でも吐き出させてやるからな」
その獰猛な口調にケイは自分がこれから拷問をされるのだということをひしひしと実感しつつ、ふと今し方自分が抱いた感覚に気がついた。
獰猛な雰囲気。ローブなどではとうてい隠しきれないこの体格|。
忘れもしない。忘れてなるものか。
「……っ、お前、ハンザっ!?」
「あぁそうだ。俺は普段は奴隷の指導をしてるがな、本職はこっち|なんでね」
そう底冷えする口調で言った大男――ハンザは手元の棒を振りあげ、ケイにあの忘れられない獰猛な笑みを見せつけたのだった。
「では始めようか。楽しい楽しい拷問の時間だな」




