第2節 誰が追放した
「誰が、シャーロットを追放した」
ノアの問いに、すぐ答える者はいなかった。
会議室にいた幹部達は、互いに視線を交わした。現団長、幹部長、評価担当、装備担当、居住管理の責任者。誰もがその処理に関わっていた。だが、誰か一人が命じたのかと問われれば、そうではない。評価制度に従い、書類が回り、承認印が押され、退団処理が進んだ。
だからこそ、誰も最初に口を開けなかった。
沈黙の中、幹部長の前に置かれた評価記録の写しだけが、やけに白く見えた。
C評価。
D評価。
E評価。
そして、二度目のE評価。
攻撃魔法使いとしての成果不足。高危険度個体への有効打記録不足。前線での攻撃貢献不足。
そこには淡々とした文字が並んでいる。
けれど、その文字の向こうにあった十年分の現場を、この場の幹部達は見ていなかった。
「もう一度聞く」
ノアは低く言った。
「誰が、シャーロットを追放した」
幹部長がようやく口を開いた。
「ノア様。追放という表現は、正確ではありません。規定に基づく契約終了です」
「規定」
「はい。彼女は攻撃魔法使いとして登録されており、評価制度上、二度連続でE評価となりました。規定に従い、退団処理を行ったまでです」
ノアは返事をしなかった。
その沈黙に耐えかねたように、評価担当が資料を開く。
「記録上も問題はありません。シャーロットは近年、攻撃魔法による討伐実績が著しく低下していました。高危険度個体への有効打も少なく、前線での攻撃貢献も評価基準を満たしておりません。D評価で再確認期間を置きましたが、改善は見られず、E評価。その後も基準に届かなかったため、二度目のE評価となりました」
「それで追い出した」
「退団処理です」
評価担当は、そこだけは訂正するように言った。
「餞別として、ローブ、ウィッチハット、ワンドを支給し、手続き上は問題なく完了しています。本人にも説明済みです」
「餞別」
ノアの声が、さらに低くなった。
「古いローブと、歪んだ帽子と、濁った魔石のワンドを渡して、十年働いた仲間を外へ出した。それを餞別と言うのか」
装備担当の顔がこわばった。
「退団時支給品は、在庫品から選定する規定です。低評価者への支給としては、基準を満たしていました」
「また規定か」
ノアは、ゆっくりとその言葉を噛みしめた。
「規定、基準、記録、処理。お前達はその言葉を並べれば、人を見なくて済むと思っているのか」
誰も答えなかった。
幹部長が表情を整え、言葉を選ぶように言った。
「ノア様。黒龍戦でシャーロットが活躍したことは、我々も把握しています。しかし、それは獅子の咆哮に移った後、新たな装備と環境を得て力を発揮した結果でしょう。銀翼在籍時の評価とは別問題です。当時の評価基準では、攻撃魔法使いとしての実績不足は明白でした」
ノアは、幹部長をじっと見た。
「本気で言っているのか」
「事実を申し上げています」
「事実」
ノアは机の上に置かれた評価記録を指で叩いた。
紙が小さく鳴る。
「では聞く。シャーロットが同行した新人班の生存率は見たか」
幹部長の眉がわずかに動いた。
「新人班の……?」
「Dランク部隊の撤退成功率は?」
「それは、別部署の記録で……」
「低ランク帯の重傷者数は。ポーション消費量は。装備破損率は。遠征中の予定外撤退数は。危険個体との接敵回避記録は。シャーロットが同行していた時と、いなくなった後で比べたのか」
誰も答えなかった。
比べていない。
その沈黙だけで、ノアには分かった。
「攻撃魔法使いとしての実績不足だと?」
ノアの声が、わずかに震えた。
怒りで。
「お前達は、攻撃魔法で敵を倒した数だけを見た。だが、あいつが敵を倒さずに済ませた数は見たのか。戦わずに避けた危険は? 怪我をする前に下げた新人は? 崩れる前に張った結界は? 壊滅する前に変えた進路は? 魔力暴発の前に整えた呼吸は?」
評価担当が、かすれた声で言う。
「ですが、それらは評価項目として明確に計上されておらず……」
「なら、評価項目が間違っていたんだ」
ノアの言葉が、鋭く落ちた。
「項目にないから功績ではない? 記録欄が小さいから価値がない? 馬鹿を言うな。現場で人が生きて帰ったなら、それは結果だ。怪我をせずに済んだなら、それも結果だ。依頼が予定通り終わったなら、それも結果だ」
会議室の端にいた古参の一人が、拳を握りしめた。
言いたかったことだった。
けれど、言えなかったことだった。
銀翼がSランクになってから、評価は整った。項目が作られ、基準が作られ、書類が作られた。それ自体は悪いことではない。大きなクランには必要な仕組みだった。
だが、その仕組みの外にあるものを、誰も拾わなくなった。
ノアは幹部達を見渡した。
「シャーロットは攻撃魔法使いだった。確かにそうだ。だが、現場に人手が足りなければ支援に回った。新人が危なければ後ろについた。結界が足りなければ張った。治癒術師が間に合わなければ応急処置をした。危険な魔物が近づけば先に進路を変えた」
そこで一度、言葉を切る。
「お前達は、それを見ていなかった」
幹部長は唇を引き結んだ。
「しかし、本人からそのような申告は……」
「申告?」
ノアの目が細くなった。
「お前達は、十年も同じクランにいた仲間の働きを、本人の申告がなければ見られなかったのか」
誰も答えない。
ノアは一歩、幹部長へ近づいた。
「シャーロットは、そういう女だ。自分のしたことを大げさに言わない。必要だったからやりました、と笑う。できることなら手伝います、と言う。自分がどれだけ大きな穴を埋めているかも分かっていなかったかもしれん。だからこそ、周りが見なければならなかった」
ノアの声が、さらに低くなる。
「それを、お前達はしなかった」
幹部長が反論するように口を開いた。
「ノア様。我々も現場全てを把握することはできません。Sランククランとなり、所属人数も依頼数も増えました。だからこそ評価制度が必要であり、個人の印象ではなく基準に基づいて……」
「基準に基づいて、黒龍を討つ魔法使いを捨てたわけだ」
その一言で、幹部長は口を閉じた。
「黒龍を討ったから怒っているのではない」
ノアは続けた。
「そこを間違えるな。あいつが黒龍を討ったから、惜しくなったのではない。あいつは、黒龍を討つ前から銀翼を支えていた。Sランクになるずっと前からだ。Bランクだった銀翼で、泥だらけになって新人を守っていた頃からだ」
会議室の空気が、少し変わった。
ノアの言葉には、ただの怒りだけではないものが混じっていた。
記憶だ。
まだ銀翼が小さかった頃を知る者の、重い記憶。
「お前達は、あいつをいつから見なくなった」
ノアは静かに問うた。
「装備が古くなっても、誰も見なかったのか。部屋が悪くなっても、誰も気にしなかったのか。低評価者だからと、修理申請を後回しにしたのか。最低限の給料で、あいつがどんな暮らしをしているか、誰も知らなかったのか」
装備担当の顔色が変わる。
居住管理の責任者が視線を落とす。
ノアは見逃さなかった。
「知っていたのか」
誰も答えない。
「知らなかったのか」
それにも、誰も答えない。
ノアは短く息を吐いた。
「知っていて放置したなら、恥を知れ。知らなかったなら、なおさら恥を知れ。Sランククランの幹部が、十年働いた仲間の状態も見ていなかったということだ」
会議室の空気が重く沈む。
その時、若い管理職員が震える手で一枚の資料を差し出した。
「ノア様……」
幹部長が睨む。
「何をしている」
だが、職員は止まらなかった。
「シャーロット離脱後の低ランク帯の比較資料です。まだ途中ですが、新人事故率、Dランク部隊の撤退失敗、ポーション消費、装備破損、救援出動数が、いずれも上がっています」
ノアはその紙を受け取った。
ざっと目を通す。
そこには数字が並んでいた。
シャーロットがいた頃と、いなくなった後。
新人班の負傷率。
Dランク部隊の失敗率。
予定外撤退。
医務室搬送数。
ポーション消費。
中堅救援出動。
高難度依頼への遅延。
全てが悪化していた。
「……ようやく数字に出たか」
ノアは紙を置いた。
「お前達は数字しか見ない。なら、この数字は見えるな」
幹部達は何も言えなかった。
評価担当がかすれた声で言う。
「しかし、これだけでシャーロット一人が原因とは……」
「逆だ」
ノアは遮った。
「たった一人抜けただけでここまで崩れる土台にしていたことが問題だ。そして、その土台を支えていた者を、見もせず切ったことが問題だ」
ノアは会議室の窓へ視線を向けた。
外には、銀翼の旗が揺れている。
白銀の翼。
かつて、それは小さな旗だった。
泥だらけになっても、折れた棒に括りつけて掲げていた旗だった。
「銀翼の剣は、いつからこんなに偉くなった」
誰に向けたとも分からない声だった。
「Bランクだった頃、俺達は一人ひとりを見るしかなかった。誰が疲れているか。誰の装備が傷んでいるか。誰が無理をしているか。誰が怖がっているか。見なければ、次の依頼で死んだからだ」
ノアは振り返る。
「Sランクになって、見なくてもいいと思ったのか」
誰も答えない。
答えられない。
「シャーロットの退団処理に関わった者の名を全て出せ」
ノアは言った。
幹部長が目を見開く。
「ノア様、それは……」
「評価担当、装備担当、居住管理、退団処理、承認印を押した者。全員だ」
「処分をお考えですか」
「まずは事実を見ろ」
ノアの声は冷たい。
「お前達が見なかったものを、今度こそ見る」
会議室に沈黙が落ちた。
幹部達はようやく理解し始めていた。
これは、黒龍討伐で名を上げた元団員を惜しんでいるだけの話ではない。
銀翼の剣という組織そのものが、何を見落としていたのか。
創設者が、それを問うために帰ってきたのだ。
ノアは最後に、評価記録の紙を指で叩いた。
「この紙には、あいつが倒さなかった敵の数しか見えていない」
そして、ゆっくりと言った。
「だが俺は、あいつが死なせなかった仲間の顔を覚えている」
その言葉に、古参の何人かが顔を伏せた。
会議室の空気が、さらに重く沈む。
誰がシャーロットを追放したのか。
その問いの答えは、特定の一人ではなかった。
評価表だけを見た者。
装備を見なかった者。
部屋を見なかった者。
現場の声を拾わなかった者。
そして、知っていながら止めなかった者。
銀翼の剣そのものが、彼女を見失っていた。
ノアはその事実を前に、静かに拳を握った。




