6.
――白紙の未来
朝の庭園は、いつもより少しだけ静かだった。
青薔薇に降りた露が光を受け、淡くきらめいている。
クラリス・アルメリアは回廊を歩きながら、その光景をしばらく眺めていた。
(……穏やかだな)
本来のクラリスなら、この静けさに不安を覚えていたかもしれない。
何かを成し遂げていない焦り。
誰かの期待に応えきれていない恐れ。
けれど今は、違う。
「クラリス様」
ミリアの声に振り返ると、彼女は書類を抱えて立っていた。
「本日の予定ですが、午後の会合は延期になりました。殿下からの伝言です」
「そう。ありがとう」
予定が空いたことに、胸がざわつくことはなかった。
何をすべきか分からなくなることもない。
空白は、恐れるものではない。
それは、自分で選べる時間だ。
庭園の奥から、足音が近づいてくる。
「おはよう、クラリス」
リアンだった。
青年になった彼の声は落ち着いていて、けれど昔と変わらない柔らかさを残している。
「おはようございます、殿下」
「今日は、何か予定ある?」
少し考えてから、クラリスは首を振った。
「いいえ。特には」
「じゃあ、一緒に散歩でもどうかな」
それは提案であって、命令ではなかった。
断ってもいいし、応じてもいい。
クラリスは、少しだけ微笑んだ。
「ええ。ご一緒します」
ふたりは並んで歩き出す。
肩が触れそうで触れない、ちょうどいい距離。
青薔薇の間を抜ける風が、やさしく髪を揺らした。
(……不思議)
青写真を見せられたあの日、
自分は「未来を変えなければならない」と思っていた。
けれど、今なら分かる。
未来を変えたのではない。
ただ、その都度、選んできただけだ。
完璧でいようとしないこと。
誰かに頼ること。
笑いたいときに、笑うこと。
それらを重ねてきただけで、
気づけば――滅びの道から、自然と離れていた。
ふと、胸の奥があたたかくなる。
夢の中で抱きしめた、もう一人の自分。
恐れと孤独を抱えたまま、それでも生きていた存在。
(あなたも、私だ)
切り捨てる必要はない。
否定する必要もない。
すべてを抱えたまま、前へ進めばいい。
「クラリス?」
リアンの声に、はっとして顔を上げる。
「どうかした?」
「……いいえ。ただ、少し考え事を」
「そっか」
それ以上、踏み込んではこなかった。
その距離感が、今は心地いい。
歩きながら、クラリスは空を見上げた。
雲ひとつない、青い空。
そこには当然、線も、枠も、描かれていない。
未来は、誰かに示されるものじゃない。
青写真がなくても、私は歩ける。
迷ったら、立ち止まってもいい。
また選び直せばいい。
私はもう、
「国を滅ぼす予定の悪役令嬢」ではない。
ただの、
自分の心で選び続けるひとりの人間だ。
クラリスは、静かに息を吸い、吐いた。
(私は、私を信じていい)
青薔薇が、風に揺れる。
その花は、今日も変わらず咲いていた。
――未来は、ここからだ。
読んでくださってありがとうございました٩( 'ω' )و




