第9話 災いの連なり
世界中を覆った災い。
それは、最悪の悪戯から始まっていた。
《音無の迷宮》
人知れず寂れた奥地に佇むこの迷宮は、常に静寂に包まれていた。
この世界に存在する迷宮の中で、最も古くから存在している迷宮。
それが、この“音無の迷宮”である。
ここでは音が鳴ることがない。
音という存在が、この迷宮内では掻き消されるのである。
この迷宮の中では魔法の行使が難しい。
声も音となる。
その為、無詠唱で魔法を使用することができない限りは、魔法が一切使えないのである。
もっともそれ以前に、生物がこの迷宮内に立ち入ることすら難しい。
それは、心臓の鼓動さえも掻き消してしまうからだ。
この音無の迷宮を訪れる者は誰もいない。
それだけの秘境に位置している。
そして、長い年月を経て、この迷宮は周囲の山々と同化していたのであった。
その“音無の迷宮”にある主の間で、1人静かに眠るものがいた。
この迷宮の守護者である。
この迷宮守護者は特殊な力を持っている。
それは太古の力であり、その力は世界に多大なる影響を及ぼしていた。
旋律略奪者である。
この迷宮守護者は、音を支配する力を持つ。
そして、その力は音の旋律を“呪う”ことも出来た。
それを“呪音”と言う。
もし、音で旋律を奏でようものなら、その音楽を奏でた者を命ごと奪う強烈な“呪い”である。
この世界に掛けられた音楽の“呪い”は、この迷宮守護者の特殊な力に原因があったのだ。
この迷宮守護者は、魔除石像である。
その名を“ガクフ”と名付けられていた。
太古の時代。
激しい戦乱に塗れた蕪雑な世界の中で、ガクフは作り出された。
この迷宮の主によって作り出されたのである。
そして、迷宮の主に付き従い、ガクフはあらゆる戦場を駆け巡った。
苛烈な戦場、熾烈な戦場、峻烈な戦場。
音を奪うガクフの力は強大であった。
数多の巨神兵ですら、その動きを止めることができたのである。
やがて、戦乱が終わりを告げようとしていた頃。
音無の迷宮に戻ったガクフは、迷宮の主から大事な命令を授かる。
その時、世界から音の旋律は消えた。
なぜ、音楽をこの世から消すことを迷宮の主が望んだのか、ガクフはその理由を知らない。
知る必要もなかった。
そして、この迷宮を守護する役割を全うすべく、ここで静かに眠りについたのであった。
魔除石像は迷宮を守護する存在である。
自分を作った主から特別な指示がない限り、敵の侵入を認めなければ目覚めることはない。
誰も訪れることがなく、音がしない迷宮。
ガクフが目覚めることはなかった。
目覚めることのない眠り。
その眠りは、すでに数万年もの時を経ていた。
ガクフは夢を見る。
それは人が見るような現実にない夢ではない。
過去を夢見るのである。
そこに音もなく現れた影。
その腕と足は異様に長く、光る眼のある高いハットを被った男である。
その男は、静かに眠りについている魔除石像の肩に手を掛けた。
ガクフの“夢の中”の出来事である。
ガクフは、自分が見たことのある過去しか夢を見ることはない。
その男の姿は、自分を作った主としてガクフには見えていた。
自分を作った主が、ガクフに話しかけてくる。
「いつまでも眠っているようだな。」
「いまのところ、敵の侵入がございません。」
「そうか。それは良いことだな。」
「はい。」
「お前は何を夢見ているのだ?」
「主と共に駆け巡った戦場の数々でございます。」
「そうか。それは良いことだな。」
「はい。」
「お前に贈る素敵な物を持ってきた。」
「素敵な物ですか?」
「これはな、“夢を叶える自鳴琴”という物だ。」
「自鳴琴ですか?」
「そうさ。ここは静かだろう?お前にピッタリじゃないか。」
「・・・・・。」
ガクフは怪訝に思った。
いま夢の中で見ている主は、本当に主なのか?
違う。
これは敵の侵入だ。
音無の迷宮の守護者である魔除石像は目覚めた。
それは数万年ぶりの目覚めである。
敵は全て排除する。
ガクフは、音もなくその翼を大きく広げた。
そして、敵の姿を確認する。
・・・・・・・。
ガクフの目の前にいたのは、主であった。
目の前にいる主は、ガクフの意識の中に直接語り掛けてくる。
『ガクフ、私はお前に目覚めるように指示を出していないはずだが?』
光る眼のある高いハットに長い手足。
間違いなく主の姿であった。
そして、何よりの証拠がある。
ガクフは声を発することが出来ない。
その為、ガクフが会話できる存在は主だけであり、意識の中で会話するしかない。
それは、自分を作った主との間だけしか出来ないことである。
『失礼しました。どうやら夢で勘違いをしでかしたようです。』
すぐに広げた翼を音もなく収めるガクフ。
『罰は何なりとお申し付け下さい。ラファン様。』
『まあ良いさ。それよりも、私からの贈り物が気に入らないのか?』
『そんなことはございません・・・しかし・・・。』
『しかし?』
『ラファン様の御命令で、この世界から音の旋律を消しております。その自鳴琴とやらを鳴らした途端に消滅するかと。』
『・・・・・・。』
ラファンと呼ばれた手足の異様に長い男は、音もなく手を顎の下にあてると考え込んだ。
『そうか。それは良くないな。』
『・・・・・・。』
『せっかく苦労してこれを作ったんだ。すぐに消滅してしまったら面白くない。』
『・・・・・・。』
『ガクフ、もう音の旋律を呪う必要はなくなったから、まずは“呪音”を解除してくれ。』
『よろしいのですか?』
『許す。』
『かしこまりました。』
ガクフは、その強大な力で世界に仕掛けていた“呪音”を消した。
その瞬間、音の旋律が世界に蘇ったのである。
しかし、数万年の昔から音楽という存在が失われていたこの世界では、それにすぐ気付く者はいない。
『それと、この迷宮主の間だけ、無音を解除してくれるかな?』
『かしこまりました。』
迷宮主の間に音が戻った雰囲気を感じたラファンは、その異様に長い両腕を大きく広げる。
そして、激しく両手を打った。
バンッ!
その音は迷宮主の間で反響を繰り返した。
そして、すぐに迷宮主の間の外で掻き消される。
満足そうな笑顔をつくるラファン。
そして、背の高い帽子の中から、宝石が散りばめられた自鳴琴を取り出した。
『それが自鳴琴とかいう物ですか?』
『そうだ。私の傑作の中の傑作、“夢を叶える自鳴琴”だよ。』
『そのような物を私めに御下賜頂けるとは、光栄の至りであります。』
ガクフは、恐縮しながら自鳴琴を受け取った。
『僭越ながら・・・これは、どのようにして音を鳴らす物なのでしょうか?』
ガクフの質問に対して、ラファンは得意そうな顔をして説明をする。
『魔力を流し続けるだけで良いのだ。その名の通り、勝手に曲を奏でる物だ。』
『魔力を流すだけですか?』
『そう。お前は、眠りにつきながらでも魔力を行使できるであろう?』
『もちろん。可能でございます。』
『魔力を流し続ける限り、その自鳴琴は曲を奏でる。その曲が奏でられる限り、お前の夢が形となって姿を現すのだよ。』
『なるほど。』
『お前にピッタリな贈り物だと思ってな。』
『有難き幸せにございます。それで、この自鳴琴を使う代償は何なのでしょうか?』
ラファンが作り出す“呪いの道具”を使う際、必ず代償を支払わなければならない。
当然のこと、ラファンの忠実なる下僕であるガクフは、そのことを承知していた。
『うむ。未来だ。』
『未来と申しますと?』
『お前の求める未来が失われる。それだけだ。』
『それだけで良いのですか?』
『そうだ。お前が失った未来は、私に“懐古感”をもたらせてくれるのだ。』
『私めには、全く不都合のない代償でございますな。』
『そうだろう? ではガクフ。それに魔力を流して再び眠りにつくが良い。』
『かしこまりました。眠りにつく前に1つだけお伺いしてもよろしいでしょうか?』
『何だ?』
『ラファン様は、世界をその手に治めたのでしょうか?』
『ああ・・・・それはな・・・飽きた。』
『飽きられたのですか?』
『そうだ。私は悪戯が好きなのだ。世界は治めるのではなく弄ぶのが楽しいと気付いたのだよ。』
『なるほど。ラファン様らしいですな。』
『そうだろう?』
『それでは、私めは心置きなく、かつての争乱を夢見るだけで良いのですね。』
『お前の夢に期待しているよ。』
『御期待に副えれば良いのですが。』
手に持った“夢を叶える自鳴琴”を大切そうに撫でたガクフは、それに魔力を流した。
穏やかに曲が奏でられる。
それは、聞く者によって印象が変化する。
ガクフにとっては穏やかで心地の良い音色。
世界にとっては、暗く、重く、悍ましさを感じる音色であった。
そして、迷宮を守護する魔除石像は、再び静かに眠りについた。
目覚めることのない眠り。
「お前なら出来るとも!いや、お前しか出来ないのさ!」
眠りについた魔除石像の姿を確認したラファンは、腹の底から高らかに笑った。
ガクフは夢を見る。
それは人が見るような現実にない夢ではない。
太古の姿を夢見るのである。
それが世界中に災いをもたらすこととなった。
その災いは、“不運の迷宮”を襲っていた。
それが、次々と深刻な災いへと繋がっていくのであった。
俺たちは、まだそれを知らない。
誰も気づかぬ山奥の秘境にある小説を読んで下さいまして、誠にありがとうございます。
更新頻度はまちまちですが、続けて投稿していきます。
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