第40話「波美の決意」
夏の午後2時過ぎ。太陽が上空から光と熱を満遍なく降り注いでくる時間帯だ。
日本の夏と言えば、蝉の大合唱が各地で開催されているが、ここミドラディアスはそれが耳に入ってこない。蝉という存在そのものがないのだろうか。とはいえ、随所から他の虫であろう鳴き声が聞こえてきて、夏の暑さをより一層引き立ててくる。
町のはずれにある小道を歩く者がひとり。時折吹く、暑さを和らげる優しい風に、亜麻色のポニーテールを小さく揺らされながら、波美は眼前に広がる深緑の景色を楽しんでいた。
しばらく歩み続けると、その深緑が周囲の景観を変えてくる。
「へぇ。こんなところに竹林なんてあったんだ」
空を覆い隠してしまうくらいに高く伸びる竹が、数え切れぬほどに何本も立ち並び、心地よい風とそれに揺れて擦れ合う笹の葉が、趣溢れる情緒と風情を醸し出していた。
「よし! いいとこ見つけたし、ここにしようかな」
意を決したような表情で波美は言葉を零すと、ゆっくりと目を閉じて、神妙な面持ちでなにかを思い返す。
(あたしの首を絞めて殺そうとしたあの男、物凄い力だった。精一杯抵抗したつもりなのに、体が全然動かないでなにもできなかった。またあいつが現れたりしたら、いくらりっくんたちがいても勝てるかわからないわ。そうならないためにも、あたしがもっと強くならなきゃ)
波美は先ほど船で起きた出来事を頭の中で呟く。なにもできずに殺されかけた自分の弱さを悔やみ、両手に力を入れて強く握りしめた。
そして表情に力を込め、目を開くと、体の重心を深く地へ落として意識を集中させる。
「はあぁぁっ!」
一言気合いを入れると同時に、拳を前に突き出した後、上段への前から後に繋げる2連続の回し蹴りを披露した。これは波美が最も得意とする連続攻撃のうちのひとつの型だ。他にもそれぞれの型の基本動作を繰り返し、ひとり鍛錬を始めた。
しばし続けていると、彼女の姿を竹の陰から覗く者が。
「誰っ!?」
波美はすぐさま気配に気づき、その方向を振り向く。
すると陰からゆっくりとアクシオの姿が見えてきた。確か彼も、波美と同じくして散歩に出掛けていたはずだ。偶然にこの場に現れたのか、元から波美の後を付けてきたのかは定かではないが。
「よぉ」
ひょうきんな笑顔で軽い挨拶をするが、意外にも波美の反応は冷やかなものだった。
「なんだアクシオか……」
「な、なんだとはひでぇ言い方だな!」
「違うわよ。ガッカリしたんじゃなくて安心したの。てっきりまたあの男が現れたのかと思っちゃった」
「船で会ったあいつか」
「うん。今度会った時は絶対に負けたくない。だからあたし、もっと強くならなきゃって」
波美の言葉の通り、アクシオの登場に冷めた反応をしたのはその理由があった。
アクシオの目的は本人の口から出なければわからないことではあるが、波美の発言を受け、納得したような精悍な顔つきへと変わり、唐突に肩を回したり、手足を屈伸させたりと体操を始めた。
「ねぇ、いきなりなにしてんの?」
「なにって、ひとつお前の鍛錬に付き合ってやろうと思ってな」
やや怪訝な表情で聞き出してくる波美に対し、体を左右に曲げ、肘伸ばしをしながら笑顔で答えるアクシオ。
ただ、今回彼は自身の武器である槍を持っていなかった。散歩をするのにいちいち武器を携行しないのは当然であるが、いわば丸腰の状態。格闘能力のある波美相手にどう対応するつもりなのであろうか。
「鍛錬に付き合うって、あなた槍を持っていないじゃない」
「あぁ。お前と同じ格闘で相手をする」
「はぁ? それ本気? あたしはこれが専門なのよ」
そう言って、波美はアクシオに見せつけるように右手拳を前に突き出す。格闘を専門としている自分には、アクシオじゃ相手になるはずないと、彼女は主張しているようだ。
「さーて、そいつはどうだろうな。……いくぞっ!」
準備体操を終えると、アクシオは腰を低く構えて戦闘の態勢を取る。そして合図言い放った途端、波美に向かって突進してきた。
「えっ、ウソ——」
一息つく間もなく、アクシオは一瞬で波美の目の前に現れた。咄嗟の出来事に彼女は半ば慌てるようにして防御の構えをし、アクシオの攻撃を受け止める。
ドンと重く鈍い音を立てる、一先ず波美は後方へ下がり、態勢を整える。あまりの予想外の状況に冷や汗を額から垂らすと、半笑いをしながら言葉を漏らした。
「ま、まさか……ね」
さすがに瞬時には判断が追い付かず、今のアクシオの動きは偶然だと思い、試すようにして今度は波美自身から攻撃を仕掛ける。すかさずアクシオの間合いに入り込み、隙を逃さずに素早い連続パンチを繰り出す。身軽さと体のしなやかさを生かした波美の得意技だ。
だが対するアクシオは、表情ひとつ変えずに彼女の攻撃を全て受け止めてしまった。またもや予想を上回る行動に、たまらず波美は攻撃を一瞬止め、一息呼吸を整えてから足を軽くステップさせ、得意の回し蹴りをかます。
しかしアクシオは片腕でそれを受け、もう片方の手の平で衝撃を受け流すという完璧な防御をやってみせてきた。
「ちょっと冗談でしょ?」
波美は驚きの表情を隠せずにいた。彼女だけに限らず、もし仮に他のメンバーがこの場に居合わせていたとしても、誰もが同じ反応を見せていただろう。
「おーいどしたぁ? いつもより動きが鈍いぞぉ」
「うるさいわね! 仲間相手に本気でやれるわけないでしょ。って言うかそれより——」
意外な状況に波美は困惑しているが、それだけでなくアクシオ側も、波美が本気の動きではないと見抜いており、挑発混じりに彼女を煽る。
すると波美も図星を食らった事から、罵声でそれを弾いて心境を一言放った後、左手を腰に当て右の人差し指をビシっと強くアクシオへ向けて、思いの言葉を投げつける。
「アクシオ! あなたが格闘もできるだなんて聞いてないわよ!」
「戦士たる者、武器がなくては戦えないようじゃダメだからな。ある程度なら格闘術は身に付けている」
「もうっ、だったら始める前からそう言ってよね!」
「へへっ悪い悪い」
「ホントに悪いと思っているの? まぁいいわ。こうなったらあたしもちょっとだけ本気出しちゃうからね、覚悟しなさい!」
おぼろげながらに騙された感と、それを詫びる気持ちが伺えないアクシオの軽い態度に、波美は眉をひそめるが、まともにやりあえる相手だと確信したのか、すぐさま期待感を強めたような歓喜の表情に変え、再び攻撃の態勢へと戻す。
その意気を受け取ったアクシオもテンションが上がったのか、答えるようにして同じく迎撃の構えをする。
「よし、そうこなくっちゃな。手加減はいらないぜ。思い切り掛かって来い!」
「言われなくたって!」
掛け声とも取れる返事と同時に、波美はアクシオ目掛けて突進する。最初にアクシオが仕掛けてきたものよりも断然に速かった。その動きに意表を突かれたのか、アクシオは驚きを見せ、咄嗟に両腕をクロスさせて防御する。
ドーンという大きな音が響いた。波美の全荷重を掛けた突進による一撃がアクシオの腕に直撃。防御していたとはいえ、衝撃による痛みが渡り、アクシオは顔を歪ませている。
「っ痛~! ホントに手加減なしだな。しかし防御しているにも拘らず、これだけ痛みが伝わってくるとはな……」
「これはまだ序の口よっ!」
アクシオに接近したまま、波美は続けて空いた左手でアッパーをかます。だがこれは寸でのところで回避された。
この反応は想定内だったのか、波美は間髪入れずすぐさま低く身を伏せて、アクシオの足元へ水面蹴りをする。しかしそれを見越しての行動なのか、アクシオは先ほどのアッパーをかわした動きから流れるように、後方へバック転をして波美の攻撃を回避する。
両者引けを取らない戦いであるが、アクシオ側に至っては先ほどとは違い表情に余裕の色が見えず、真剣そのものであるようにも感じる。
次第にふたりは竹林の中を走り回ったり、竹から竹へ跳び移り、その撓りを利用した尋常ならぬ跳躍と速度で突っ込み攻撃をする等、徐々にエスカレートしていく。しかしどれもお互いの力量を弁えた上での戦い。とりわけ波美は、終始楽しそうな表情で動いていた。
あれから数十分経っただろうか。両者は地面の上で息を切らせながら立ち止まっていた。さすがにあれだけ動き回っていたら疲れるのは当然だろう。
「はぁはぁ。よし、この辺で終わりにしようや」
「ええ。ちょっと頑張り過ぎちゃったかな」
アクシオは地べたに座り込み、波美は立ったまま膝に手を付いて身を休めている。呼吸が整った頃合いで、アクシオが口を開いた。
「しっかし、波美のパワーはかなりのもんだ。今まで傍から戦いを見ていただけだったが、こうして実際に拳を交えて良くわかったよ」
「そう? あまり気にして戦ったことなかったけどなぁ。っていうか、そんな言い方されると、まるであたしが怪力女みたいに聞こえるじゃない!」
「あっはっはっは。怪力女か、そりゃいい!」
「なんですって!」
大声を出して笑うアクシオに対し、波美は顔を真っ赤にして反応する。しばし波美をおちょくるように笑っていたが、いつまでもそれに弄られっぱなしの波美ではなく、いよいよアクシオに手を上げるような仕草を見せると、アクシオも半ば慌てるようにしてフォローに回った。そしてすぐさま表情を戻して、波美の格闘術に関する自分なりの分析を披露してきた。
「まぁまぁ冗談だって。怪力っつーか、力の伝導の仕方なんだよな。女は男と比べるとどうしても肉体的な力の差が生まれる」
「そりゃそうよ。筋肉とか体の造りが違うもの」
「まぁな。だけど波美はその細い体をバネのようにしなやかに動かし、その反発力を生かして攻撃力を高めているんだ」
先ほどのふざけた態度とは打って変わって、まるで戦術の講師の如く、真剣な面持ちで波美に説明をする。
「えー? あたしそんな動きしているつもりないけどなぁ」
当の本人は脳天気な表情で否定混じりの回答をする。どうやら波美はその戦いを無意識の内にやってのけているようだ。
「とんでもない才能だな。パワー、スピード、スタミナ。そして格闘のセンス。全てにおいて申し分ないほどの能力がある。唯一足りないものとするなら、経験だな。だから経験を積めば、これから先もっと強くなるはずだ」
「あたしに足りないもの……経験か」
波美は自身の内に秘めた力を覗き込むかのように、両手を広げてまじまじと凝視する。
彼女はこの世界にきて格闘能力が開花された。素人の目から見てもその力は異彩を放つものだと分かる。メンバーの中で最も熟練者であり、戦闘経験の多いアクシオですらも、その才能に驚きを隠せないほどだ。
ポテンシャルは充分に備わっている。更に強くなる為に必要なもの。それはアクシオの言う通り経験。実戦を経験し始めてから未だひと月足らずだ。それでも当初からは随分とレベルアップしているのは火を見るよりも明らかだ。
「よーし! あたし、もっともっと経験を積んで、もっともっと強くなるわ。そして今度またあの男が現れた時は……絶対に負けるもんですか」
波美は右手拳を力強く握りしめ、ジッと見つめながら固く決意を示す。
「おう! その意気だぞ。俺も応援してやるからな!」
「なによその上から目線の発言は!」
波美が顔を膨らませてアクシオを睨みつける。そのままふたりはしばし視線を合わせてから、お互い同時に息を吹き出して声高らかに大きく笑い出した。
「ところでね、さっきアクシオとの組手の最中に新しい技を閃いたの!」
「ほぉ。そいつは楽しみだな!」
新たに編み出された波美の格闘の技。それはこの先の戦いで披露されることとなるだろう。




