⑩籠目の砦〈6〉
ノギは一度ハトリの家に戻った。そこにはちゃんとユラがいて、その顔を見てようやくひと息つけた。
ハトリが行方知れずの今、ユラにまで何かあったら――などとは恐ろしくて考えたくもない。もうユラとは二度と離れたくないと思う。
女の子の家とは思えないような、茶色だらけでボロボロの室内でもユラは輝いて見えた。
ノギはなんとかヤナギとのやり取りをユラに話す。ユラは静かに聞いていた。そうして、うなずく。
「そう。ヤナギさんがそんなことを」
「ああ。ほんっとに偉そうなおっさんだよな」
実際に偉いのだが、ノギはユラ以外を敬う気はなかった。
口の悪いノギを目で窘めつつ、ユラは言う。
「あのね、実は私も手がかりを見つけたの」
「え!」
「ヤナギさんに会ったら話すわ」
儚く微笑むユラだけれど、こうした時はどんなに訊ねても先には教えてくれない。
仕方なくノギはつぶやく。
「わかった。じゃあ、戻ろう」
そうして、二人はハトリの家を後にする。
先にノギが出た。その背にユラが続く。
ただ、ふと、ユラがよろけてノギの背にぶつかった。ノギは驚いて振り返る。すると、ユラは照れたように笑った。
「ごめん、つまずいちゃった」
可愛いけれど、ハトリの安否が知れない今はほのぼのとしている場合ではなかった。ノギも苦笑する。
「足、大丈夫か? 捻ったりしてない?」
「うん、平気。急ごう」
ひとつのことしか考えられずにいると、気づいた時には別の場所で何かが起こっている。
そうして、それらは気づいた時には間に合わないということもある。
けれど、今のノギにはそれに気づくゆとりはなかった――。
森のそばの自宅に戻り、ノギはまず食事の支度をした。
こんな時だけれど、大事なユラの食事だから手は抜きたくない。メコの実の種子を細かく切った野菜と鶏肉と、多めの油でよく炒める。そこに煮込んで潰したトマトを入れ、さらに炒める。全体が赤く染まり、甘酸っぱいかぐわしい匂いが立ち込めた。
その上に、溶いて半熟に焼いた卵を載せる。トマトのソースをその上にもたっぷりとかけた。
ふわふわの卵がポイントだ。ユラはおいしそうに食べてくれた。
食事を終えて後片づけをしていると、ヤナギがようやくやってくる。来た時間は思った以上に遅かった。
「待たせたな」
「ほんとにな」
そんなことないです、と言えるほどノギは大人ではない。ユラはそんなノギを叱る。
「こら、失礼なこと言わないの」
そんな二人に、ヤナギは珍しくくすりと笑った。
ユラが椅子を勧めると、ヤナギはそこへ座る。ノギも片づけを中断して席についた。
「――彼女は強力な触媒を手にしていた。翼石も所持していた。けれど、それらを使用しなかった、あるいは使用できなかったとするのなら、相手は顔見知りであったということだろう」
言われてみれば、そうかもしれない。
警戒されずに至近距離までハトリに近づけるなら、とっさに彼女が動いたとしてもすぐに妨害できる。
「顔見知り……」
ノギがつぶやくと、ユラは厳しい面持ちで言った。
「ねえ、ハトリちゃんの日記に書いてあったのよ。復学届けを提出に学院に行くって。日付は、先月、柴染の月の十二日。だから、実際に行ったのはこの次の日よね? 担当教員のムロイ先生にって」
「ん?」
ムロイとは、あの痩せぎすの教員だ。けれど――。
「あいつ、ハトリは来てないって言ったよな?」
「ああ。彼は私にもそう説明した」
「……」
「……」
顔見知り。
ハトリが油断しそうな相手。
教員ならば、ハトリはなんの疑いもなく信じきっていたのではないだろうか。
「アヤシイ」
「少し、泳がせてみるか」
こくり、とノギとユラはうなずく。それを見て、ヤナギはゆっくりと瞬いた。
「今晩、彼を尾行する。お前たちは待て」
そのヤナギのひと言に、ノギは青筋を立てた。
「はぁ? なんで留守番なんだよ! ふざけんな」
ぎゃあぎゃあと騒ぐノギに対し、ヤナギは落ち着いたものだった。その落ち着きが嫌なのだ。まるでキリュウみたいに気に食わない。
「お前の能力はユラがいなければ発揮できないのだろう? 相手のこともよくわからないような状態だ。何かあった時、どうするつもりだ?」
「何かって――」
ノギは上手く返せもしないくせに口を開いた。ハトリを助けたい、その気持ちは強くある。
けれど、だからと言ってユラが危険な目に遭うのも嫌だ。
二人を同時に護ることなんてできないのではないかと思いながらも、それを認めたくなかった。
そんな子供じみた感情をヤナギは嗜めるのだ。けれど、その気持ちをユラが護ってくれる。
「私なら大丈夫。だから、一緒に行きましょう?」
綺麗な笑顔。その心のうちは見えない。
ヤナギは少し困ったような表情になった。
「私がキリュウ様に叱られてしまうのだが」
「そうしたら、私が叱り返しますね」
フフ、と可憐に笑い声を立てている。
「私だって、ハトリちゃんを助けたい。力になりたいんです」
たおやかながらに、ユラの決意は固い。ヤナギは結局、折れるしかなかった。
☆ ★ ☆
ヤナギが支度のために一度帰り、夜が更けた頃――。
「そろそろ行こうか」
ノギが椅子から立ち上がる。ユラもうなずいて立ち上がった。けれど――。
一歩進むと、ユラは急に机に向けてよろめいた。手をつくユラに、ノギは机を回り込んで駆け寄る。
「ユラ?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと足がもつれちゃって」
ニコ、といつものように微笑む。それでも、ノギは厳しい面持ちになった。
「この間もそんなこと言ってたよな」
「……そうだったかしら?」
笑顔は心を読ませてくれない。ユラはいつもそうだ。
「もしかして、まだ体の調子が悪いんじゃないのか?」
ギリギリと胸が締めつけられる。ノギがユラに無理をさせてしまったのだろう。
ノギがそう考えるとわかっているから、ユラは言えなかったのか。そのことがまた、ノギに重くのしかかる。
「さあ? そう見える?」
平静を装うユラに悲しくなった。ノギが頼りないから、ユラが弱音を吐けないのだと。
「ほら、早く行かなくちゃ。ハトリちゃんが待ってるよ」
ハトリのことももちろん心配だけれど、ユラのことも――。
「ユラ、家にいてくれ。そんな状態なのに連れていけない」
「……私が行かなくても、ノギは行くの?」
そのひと言にギクリとする。
ユラがいなければノギは普通の少年と大差ない。つまり、戦闘になった時に役になど立たないだろう。
それでも、迎えに行ってやりたい。心細い思いをしているだろうから、安心させてやりたい。
けれどその間、体調が悪いとわかっているユラを放っておきたくないとも思う。この体調不良が一時的なものではないとしたら――。
ふたつの想いの間で揺れるノギの心を、ユラは誰よりもよく理解してくれていた。だからこそ、無理をして笑うのだ。
「そうね、今の私がついていっても邪魔になるかもしれないわ。でも、ノギは行って」
「ユラ……」
ユラはそっと、ノギの顔を両手で包み込む。
「あなたなら大丈夫。離れていても、ちゃんと私を感じて。ハトリちゃんを連れて、無事に帰ってきてね。ここで待ってるから」
ノギは一瞬、表情を曇らせた。何か、縁起でもない言葉のようで。
けれど、悩んでいる時間はない。すべてが上手く収まると信じて今は動くしかないのだ。
「……わかった。急いで戻るから、安静にしてて」
「うん」
と、ユラは嬉しそうに微笑む。その笑顔に、この選択が間違いではないのだと思いたかった。




