⑩籠目の砦〈5〉
このライシン帝国には三人の宰相が存在する。
一人は温厚で心優しいと評判のモーリ。
孫のような年齢の皇帝をあたたかく諭すという。彼の意見を皇帝は重く受け止める。
もう一人は、イナミ。
モーリとは対照的に、厳しい面が多く見られる。城の内外に目を光らせる、怜悧な人物だ。
そして、ヤナギ。
宰相としては最も若年でありながらも、歳若い皇帝にとっては心許せる腹心である。魔術師としての腕も確かだが、肉弾戦もこなせるという文武両道の顔を持つ。
若くして立身出世した彼は民衆の人気も高く、シャトルーズ学院においても憧れの的であった。
けれど、そんな雲の上の人に向かってでも、ノギは顔をしかめるだけだった。
「こんなとこで何やってんだよ、おっさん」
「お、おっさ――っ!」
エドは慌てふためくけれど、ヤナギは平然としていた。
「お前に説明してやる義理はない」
相手は大人である。ノギはあっさりとあしらわれてイラッとした。
けれど、それすら受け流される。
「まあいい。実は、お前にも用があった」
「は?」
突然のことにノギの反応は遅れた。ヤナギはひたすらに無表情である。
「移動しながら話そう」
呆然とするエドとムロイを残し、ヤナギはノギの首根っこをつかんでその場を去った。
――首根っこをつかまれて、まるで猫の子であるが、ノギはそんなに可愛らしいものではない。
「放せ、くそオヤジ!」
「……本当に口の悪い」
ヤナギは嘆息しつつノギを解放した。乱れた襟もとを乱暴に直しながら、ノギはヤナギを睨みつけた。ヤナギは学園の外の並木道を歩きながら言う。
「お前のところにいた、あの少女――」
「あぁ?」
「ハトリという少女だ」
何故、ヤナギがハトリの名を口にするのか。ノギは妙に不安な気持ちになった。
それを表に出してしまわないよう、まっすぐにヤナギの目を射るように見た。しかし、皇帝の腹心であるヤナギがこの程度で怯むはずもない。
「彼女のことを調べさせてもらった」
「なんだよ、それ……」
ノギが顔を引きつらせると、ヤナギは静かに続けた。
「彼女はホノレス――類稀な魔力の持ち主だ」
「だからなんだ?」
苛立ちが体中を駆け巡る。どうしようもなく嫌な予感しかしなかった。
「そんな人材がそうそういるわけもない。どういった出生の人物かと思ってな」
「出生? 孤児だって言ってたぞ。変なこと勘繰ってんじゃねぇよ」
そう吐き捨てる。ヤナギはスッと目を細めた。
「……まあいい。一度彼女と話をさせてもらおう」
ヤナギもハトリの行方を知らないのだ。知っていたなら、こんなことは言わない。
「ハトリなら、今は俺のところにいない。俺も、今、どこにいるのか知らない」
すると、ヤナギは驚いた様子で瞬いた。
何故そんな表情をされるのか。不安を打ち消すようにしてノギは畳みかける。
「ほんとにいないんだ。俺も探しに来たんだからな」
ヤナギは額に手を当て、深く長い息をついた。
「そうか。彼女の強力な魔力を欲する輩がいてもおかしくない。迂闊だった」
「え……」
「いくらホノレスとて、不意を突かれてしまえばただの少女だ。連れ去るのは容易い」
ドクリ、と心臓がはねる。
まさかと思う。けれど――。
あんなにも嬉しそうに、買ってあげた翼石を胸に抱えていた。あれが嘘だと考えるよりは、連れ去られた方が信憑性がある。
それでも、ノギはまだ頭のどこかでは否定したがっていた。
「でも、あいつ、水龍の鱗とか、強力な触媒を持ってたんだ。それに、翼石だってあった。逃げてどっかに隠れてるんじゃ……」
ヤナギは薄く生えた顎鬚を撫でながら、ふむ、とつぶやく。
「そうか。それだけの装備を持っていて、それでも行方が知れないとなると、犯人は絞られるか」
ノギにはまるでわからない。困惑顔のノギに、ヤナギは目を向ける。
「ところで、ユラはどうした? お前が彼女と離れるとはな」
ぐっ、と言葉に詰まった。好き好んで離れたわけではない。
「ユラは、人の多いところには連れていきたくないから、留守番してもらってる」
「そうか。では、私は一度城に戻り、キリュウ様に事情をご説明してこよう。捜索の許可を頂かねば動けぬのでな。お前はユラと自宅で待て」
「……なんだよ、探すの手伝ってくれるってのか?」
国の重鎮である宰相が、将来有望とはいえ、ただの学生に過ぎないハトリを探してくれると言う。けれど、ヤナギの言葉に嘘はないように思われた。
「そうだ。すべては手遅れにならぬうちに」
手遅れ。
そのひと言に身震いした。
――どうして、要らない意地を張ってしまったのだろう。
もっと素直に、遅いから迎えにきたと言って会いに行っていれば、こんなにもややこしいことにはならなかったのかもしれないのに。
今、ハトリは何を思っているのだろうか。
怖い思いをしているのだとしたら、謝りたい。
そう、疼く心で思った。
☆ ★ ☆
ハトリの小さな家の中は整理されていた。
もともと、そんなに物は多くないようだ。ハトリが帰ってきてから整頓した痕跡もある。
ユラは木箱をひっくり返して作った机の上に載った本を手に取った。ざらりとした赤い表紙の本は、本ではなかった。それは、日記だった。
普段ならばそのまま閉じた。けれど、今はいなくなったハトリの手がかりがほしかった。
心の中でごめんねと謝りながら、ユラは可愛らしい文字に目を通す。
そこに書かれていたのは学校での出来事。大変だけど頑張る、と彼女の前向きさが伝わる。
そうして、彼女が自分たちのところへやってきた日。
ノギの悪口が散々書いてあって笑ってしまった。
その後、ぱたりと続きがない。それは、彼女がこの家にいなかったことを示す。けれど、一ページの白紙を飛ばすと、続きがあった。そこには、たくさんのあふれる気持ちがあった。
“ 長いこと書かなかったから今さらだけど、やっぱり嬉しいから書こう!
ノギとユラが一緒に住もうって言ってくれた。
ウィングラピスまで用意してくれた。
嬉しい。すごく嬉しい。
あんなこと言ってもらえると思わなかった。
ノギは、あたしなんていなくてもいいって言うと思ってたのに。
まだ一緒にいられる。
一緒にいたい ”
ユラはその文字を撫でるように指で触れる。この純粋な気持ちをあたたかく見守りたいと思ったのに。
何に向けるべきかもわからない、静かな憤りが込み上げる。
そこでゴホゴホ、と咳が漏れた。ノギがいないと気を抜いてしまう。
気力が、体調を左右する。ユラは壁際にそっと座り込んだ。呼吸を落ち着け、深く息を吸う。
けれど、そんなことをしても楽にはならなかった。また咳が込み上げる。
先月からは特に、体調が完全に回復することはなかった。以前よりもずっと疲れやすい。
けれど、それをノギに覚られたくない。まだ大丈夫だと、ユラは自分に言い聞かせる。
そうして、ユラはハトリの日記のページをめくった。
そこには、ハトリが最後に会ったと思われる人物の名があった。




