ある男の幽霊
後日、ということになっていたが、次の日には俺は後藤とともに詳しい事情とやらを聞かされ、テスト週間にもかかわらず、学校から充てがわれた勉強時間を割いて先輩の家にきていた。
先輩の話は要約するとこうだ。
今まで見えるだけだった存在が、次第に周りでなにか始めたのだ。
変化が起こり出したのは、先輩の誕生日の翌日から。
それまでは、ただその辺にある物置程度の認識でしかなかった男の霊が突如話しかけてきたのだという。
その男は気がついたらいつも先輩の視界の隅にいるらしい。初めて視たのは中学三年からで、以来家に住み着いて離れないようだった。
いつ、どうやって入ってきたのか、誰なのかは全くわからない。
ただ家にいてなにをするでもなく、ただ見られていた。
その男は先輩をジッと見るだけでなにか危害を加えるような素ぶりは一切しなかった。
もちろん、見られているだけでも気味が悪いことに違いはないが、幼い頃からそうゆうものを視てきていた先輩は体して気にしなかったという。
それになぜかそれほど邪悪なものを感じなかったとか。
放っておいても害はないし、そのうち消えるだろうと高を括り、なにもしなかった。
そうして数年間なにもしてこなかった霊が、先月から初めて変化を示したのだ。
しかし、初めのうちはなにを言っているのかわからない、ノイズ音しかせずにその男も一言二言目で諦めたように口を閉ざしていたらしい。
日に日に、言葉数は増えていき、音は声となりつつあった。
それに伴い、ノイズ音が増し、物が勝手に落ちるなどの現象が起こり始めた。
先輩はついに無視できなくなり、その男に話しかけたが、意思疎通ができるとは思えなかったらしい。
そもそも男などと言っているが、顔はもちろん、全体的に黒い影が覆っているようにボヤけてはっきりと見えたことはないという。
体格から男だろうと決めつけているに過ぎない。
彼が原因なのは明らかだが、どの霊媒師たちも彼を消し去ることはできなかった。
……そんなトンデモ幽霊を偽者の俺にどうこうできるわけないだろ。
立派な塀門の前で深いため息を吐く。
先輩の家は想像通りの豪邸で、インターフォンを押すのに、かなり勇気が必要だった。
いつも騒がしい後藤も、さすがにこれほどの豪邸を前に萎縮しているのかおとなしい。
しかし、いつも騒がしい奴が大人しいとこっちが調子が狂う。
俺は隣の後藤に話しかけた。
「…ボタン押したけど、反応ないな」
「……うん」
「も、もう一回押すか。聞こえてないかもだし」
「…うん」
「…………」
「…………」
ダメだ。なにこの空気。耐えられない。
「ッだあぁあ!!なんなのお前!なんでなんか緊張気味なんだよ!お前はただの付き添いだろうがッ!なんで俺よりガチガチなんだよ!!」
後藤はようやくこちらを見た。
「だって、幽霊屋敷だぜ?緊張もするだろ…」
こいつ…人ん家を幽霊屋敷呼ばわりしやがった。いや、後藤にとっては侮蔑の意味でなく、最大級の賛美の言葉なんだけど。
相変わらず、ズレてやがる。
「山手は緊張しないのかよ。これから幽霊を退治するんだろ」
残念ながら、それは正しい言い方ではない。
正しくは退治する振りをするだけだ。
どう足掻いたって俺には不思議な力はない。が、先輩もこいつもなぜか全く話を聞いてくれないし、信じてくれない。
ならば、ここは適当に祓うふりをして、この場を乗り切るしかない!…と俺は、考えていた。
題して、『お祓いする振りしてこの場をやり過ごそう大作戦』!!
そのまんまなのはいた仕方ない。なんせ昨日考えついた即席作戦だ。
俺は、余裕を見せながら首を降った。
「この程度でビビるとは…後藤、お前もまだまだだなぁ」
普段振り回されている仕返しにわざとやれやれと肩をすくめて見せると、後藤は見るからに狼狽した。恥ずかしいのか少々顔が赤い。
「べ、別にビビってたわけじゃない!ちょっと緊張しただけだ!!」
顔が赤いのを隠すためかそっぽを向く後藤に思わずニヤリと頬が緩むのを感じた。
今まで散々人を振り回してきたんだ。いいざまだ。
笑っていると、インターフォンからガチャッという音がして、ようやく先輩の声が聞こえてきた。
『ごめんなさい。ずいぶんお待たせしてしまったわね。
えぇっと、山手くんと後藤くんよね?今門を開けるから中へどうぞ』
どうやらインターフォンの内臓カメラで確認をしていたらしく、こちらの解答を一切聞かずに先輩の声はぶつりと途切れた。
やがて宣言通り、ギイィという音が鳴って門がゆっくりと内側に開いていった。
呆気に取られているうちにきれいに目の前の門が開ききり、家への道が出来上がった。
『さあ、入ってきて』
インターフォンはそう告げると再び沈黙してしまった。
ゔ…いまさら緊張してきた…
たらりと嫌な汗を流す俺とは対象的に、後藤は先ほどまでの緊張はどこへやら、おぉ〜と感嘆の声を上げて前に歩き出していた。
「なにやってんだよ。山手!早く行くぞ!」
「へいへい。わかってるよ」
まあ適当に誤魔化しながらやって、最後にやっぱり無理だったと言えば、先輩も納得するだろう。
この時の俺は、まだそう考えていた。
家に入ってすぐにそれが大きな間違いだと気づかされるとはつゆ知らず…