ご飯おごってよ
「おねーさん。ご飯おごってよ」
駅前でそう声をかけられて、私は足を止めた。
明るい茶色の髪をした男の子が、こちらを見ている。薄手のパーカーに、肩から斜めにかけたバッグ。大学生くらいだろうか。一応、後ろを振り返ったけれど、私に用がありそうな人はほかにいなかった。
「……私?」
「そ、おねーさん」
「どうして?」
男の子は、さも当然という顔で答えた。
「お腹すいたから」
なるほど。理由としてはわかる。ただ、それが私にご飯を奢ってもらう理由になるかは、また別の話だ。
「お友達とかは?」
「今日はみんな予定あるんだって」
それで、通りすがりの私に声をかけたらしい。改めて顔を見た。
……整っている。
長めの前髪の下に、人懐っこい目がある。私と目が合うと、口元がにっと上がった。
顔がいいな。知らない人にご飯をねだっているのに、あまり困っているようには見えないところも含めて、なかなかの度胸だ。
「何歳?」
「二十歳。大学生」
「何か、年齢がわかるものある?」
彼はバッグから財布を出し、学生証を見せてくれた。写真と顔を見比べて、生年月日を確認する。
確かに二十歳。私は三十三歳なので、十三歳違いだ。この子が小学校に入った頃、私はもう大学生だったのか。
「おねーさん、これから予定ある?」
学生証をしまいながら、彼が尋ねた。
「ご飯を食べに行くところ」
「じゃ、一緒に行っていい?」
ずいぶん話が早い。
もともと、駅前のイタリアンに寄るつもりだった。冷蔵庫に大したものはないし、今日は帰ってから包丁を持ちたくない。一人分が二人分になったところで、困るほどの出費でもない。
「……いいよ。あそこのイタリアンでよければ」
店のある方向を指すと、彼の顔がぱっと明るくなった。
「ほんと? やった」
素直に喜ぶので、こちらまで少し笑ってしまった。
*
「これ、うま」
運ばれてきたピザを一口食べて、彼が目を丸くした。口元から伸びたチーズを慌てて巻き取る。そのまま、もう一口。
よく食べるなあ。
私がまだ一切れ目の半分を食べている間に、彼は二切れ目に手を伸ばしていた。
「おねーさん、ここよく来るの?」
「たまにね。こっちのパスタも美味しいよ」
「食べていい?」
「どうぞ」
彼は嬉しそうに受け取った。
よく食べるし、よく喋る。大学の授業のことや、友達と旅行に行って帰りの電車を間違えたこと。最近見た映画が面白かったという話もしてくれた。
「それ、私も気になってた」
「絶対見たほうがいい。最後がさ――」
「待って。最後は言わないで」
彼はフォークを持ったまま笑った。
「あ、そっか」
危ない。映画館に行く前に全部知るところだった。
「おねーさんは、普段どういうの見るの?」
聞かれて最近見た映画を挙げると、彼も見ていたらしい。好きな場面を話しているうちに、気づけば私の皿も空になっていた。一人なら、スマホを眺めながら食べ終えていたかもしれない。今日は料理が来るたびに感想を言い合って、ずいぶん笑った。
「まだ食べられる?」
「うん。でも、いいの?」
「私もデザート食べたいから」
メニューを開くと、彼が向かいから覗き込んだ。
「これ、うまそう」
「ティラミス?」
「うん。おねーさんは?」
写真を見比べ、私はもう一方を指した。
「パンナコッタかな」
「じゃあ、一口交換しよ」
私が顔を上げると、彼はもう店員さんを呼ぼうと手を上げていた。距離の詰め方が早いなあ。ただ、私もティラミスは少し気になっていた。
*
店を出る頃には、駅前の人通りも少なくなっていた。
「ごちそうさまでした。ほんと美味しかった」
隣で彼が、ぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして」
喜んでくれたなら何よりだ。私も、美味しくて楽しい夕食だった。駅へ向かおうとすると、彼が少しかがんで顔を覗き込んできた。
「おねーさん、このあとどうする?」
「帰るよ?」
「え?」
意外そうな顔をされて、私も足を止めた。
「え?」
何だろう。何か予定があっただろうか。彼は一度口を開き、それから小さく笑った。
「……そっか。帰るんだ」
「うん。明日も仕事だし」
そこでようやく、彼が何を尋ねていたのか、何となく察した。
ああ。ご飯のあとも、一緒にいると思っていたのかな。
「お腹いっぱいになった?」
「なった。すごく」
「それならよかった」
彼は私を見て、また笑った。店の中にいたときより、少しだけゆっくりした笑い方だった。
「ね、連絡先聞いてもいい?」
「いいよ」
スマホを取り出すと、すぐに画面を覗き込んでくる。連絡先を交換し、改札の前で別れた。電車を待ちながらスマホを見ると、もう連絡が届いていた。
『今日はありがと! ごちそうさまでした』
その下には、両手を合わせたキャラクターのスタンプ。私は笑って、『こちらこそ、楽しかったよ』と返した。
また誘われたら、ご飯くらい奢ってもいいかな。そんなことを考えながら、ホームに入ってきた電車に乗った。




