裸の取り調べ
1943年ジブラルタル。
街中で銃声が響き、海岸に死体が打ち上げられることも度々あった。
多くは民間人で、不慣れなまま齧った諜報活動がらみだ。
見つかったスパイには捜査・裁判にかけられる機会などなく、たいてい即座に処分される。それが不文律の掟だ。
マリヤはそれを肌で知っていた。
手袋の裏に仕込んだちいさなフィルムが発見されれば、彼女はイギリス軍に拘束され厳しい取り調べを受ける。
何とか逃れても機密漏洩を疑ったドイツ側に即座に消されるだろう。
夫ミゲルと娘のリリー・アンナを残して。
「リリーは先に帰っていてちょうだい」
低い声でやわらかく命じるが、娘は首を振る。
「いや、車の中でママを待ってる」
幼い声を背中に受けながら、マリヤは振り返らなかった。
検問所裏手の石造りの建物に、彼女は連れていかれた。
警備責任者の男の目が彼女を見定める。
奥の尋問室へ通されると、女性係官が待っていた。
彼女の脱衣を逐一見張り、脱いだものをチェックするためだ。
帽子、靴、ブラウス。
マリヤは外側から一枚ずつ脱ぎ、女性に手渡す。
係官の鋭い目と指先が縫い目、襟、袖口まで容赦なく探る。
スカートが落ち、ガーターベルトが外され、シルクのストッキングとブラジャーが外される。
ショーツと白い革手袋だけが残った。
マリヤの脈拍はわずかに速まったが表情には何も出さない。
女性係官は手袋に目を留めていない。
チャンスだ。
「私は夫と医師以外には、裸身を見せたことがありません。ショーツは脱いでお渡ししますから、少し後ろを向いていてください」
声音はあくまでも静かで品を保っている。係官は黙って脇を向いた。
そのわずかな隙をマリヤは見逃さなかった。
手袋を素早く脱ぎ、すでに検査済みになっている衣類の山に投げる。
クシャン
同時に小さくくしゃみをした。
手袋を投げるごくわずかな音を消すためだ。
係官が振り返ったとき、マリヤはちょうどショーツを下ろしきったところだった。
「失礼。裸でいると、風邪をひいてしまいそうですわ」
高級将校の夫人らしく、不満を潜ませた上品に呟く。
係官はショーツを受け取り、縫い目のすべてを調べた。
だが何も出てこない。
ドアが細く開け
「対象人物の体と着衣に不審な点は無し」
と報告する声が聞こえた。
しばらくして、ドアの外から解放しても良いとの許可が下りる。
マリヤは手早く身支度を整えた。
手袋は再び手にはめる。フィルムは無事だ。
彼女は堂々と建物を出ると、待っていた送迎車に乗り込む。
娘リリー・アンナの小さな手が彼女の指を握ってきた。
その夜、夫のミゲルが電話をしていた。
怒りを抑えた低い声だ。
彼はドイツから流れる多額の賄賂で、スペイン警察や軍調査機関の追及の目を曇らせてきた男だ。
富裕な自国民のスパイ活動には意図的に目をつぶる。
だが、妻の身に危険が及ぶとあれば話は別だ。
アルヘシラスのアプヴェーア支局やスペイン側の協力者たちに、裏から圧力をかける必要があった。
翌日の朝食後、ミゲルは身支度をしながら短く言い放った。
「もうあまりジブラルタルや海辺には近づかないほうがいい。色々と物騒になってきたからな。……色々と」
忠告に聞こえるが、警告だった。
マリヤは紅茶のカップを置き、静かに頷いた。
フィルムはすでに安全な場所へ移されている。
だが彼女は知っていた。
このジブラルタル・ロックを眺める街では、とある場所に関わった誰もが誰かを疑い、死と常に隣り合っている。
アプヴェーアの工作員も、イギリスの二重スパイも、イタリアのフロッグマンも、同じ『影』の中で生きている。
そして彼女自身もまた、その『影』を運ぶ者の一人なのだ。




