99:過去と現在(いま)と未来 (12)
蒼は静かに茜を横たえた。
「無事で…良かった」
叶斗がその言葉とともに差し出した刀を蒼は無言のまま受け取る。
取り出した鞘にしばし目をやって、静かに刃を納めた。
失ったものが思いだされているのだろうか。
叶斗が茜の側に屈んでのぞき込んだから、私も並んで地に膝を付いた。
血にまみれていなければ、寝ているように見えるほど穏やかな表情だ。
彼女は満足したのだろうか。
それがあきらめではなかったと言えるだろうか。
今となってはわからない。
「茜さん…どうして自分から…」
「間に合わなかったんだな」
叶斗の声には悲しみが満ちていて、蒼は小さくああとだけ返した。
表情からは感情が読み取れない。
蒼も茜の傍らに膝を付くと頬に飛んだ血の跡をそっと拭き取った。
その指先に禍々しい痣はもうない。
蒼は感情を浮かべないままで動かないもう一人の小さな自分を見つめる。
その瞳から涙の粒がこぼれ落ちた。
蒼の涙は茜の頬に落ちて、まるでどちらもが泣いているようだ。
その涙は牡丹を救えなかったあの時と同じなんだと思う。
悲しみと悔しさが混ざり合っているような涙。
私は心が締め付けられる思いだった。
胸に何かがつっかえたように痛くて、つっかえを押し流そうとするかのように涙があふれ出した。
漏れそうになる嗚咽を何とか押しとどめる。
涙で何も見えなかったから、目の前で起こりつつある事に私は気付かないでいた。
「なんだ?」
叶斗が上げた声を不思議に思い涙を拭う。
茜の体が光に包まれていた。
いや、私の体も、叶斗の体も、蒼の体も光に包まれている。
天狗達は何事なのかと遠巻きに見ていて、おそらく人知を越えた存在の彼らにすらわからない何かが起ころうとしていた。
けれど嫌な感じはしない。
不思議な暖かさに包まれているのだ。
「私の遙か遠い子孫達よ」
声が聞こえた場所に光は集まってやがて人の形になる。
うっすら透けているその人に私は見覚えがあった。
「嵩波…さん?」
「おや、私を知ってくれているのかい?」
「あ…あの私、本の中の過去に行ったんです。その時嵩波さんもいて…」
訳の分からない説明に嵩波はそうか、と柔らかく微笑んだ。
何もかもを見通されているような気さえする。
「蒼。結局は辛い思いをさせてしまった。すまない」
「いずれ、決着を着けねばならなかった事だ」
千年近くの時を経て再びまみえたのは主であり友。
蒼の悲しみは少しでも癒えるだろうか。
嵩波は実態ではないのに圧倒的な霊力を感じる。
その力を受け継いでいるとはいえ私と嵩波とでは比べようもないくらいに違っているのだと思えた。
「嵩波さん!茜さんを蘇らせることはできないんでしょうか!?」
あるいは彼なら魂を呼び戻すことすら出来るのではないかと、私は思ったのだけど。
「いくら榊河の始祖といえど死者は蘇らせられない」
否定したのは叶斗だった。
その彼に嵩波は静かに言う。
「いや、茜を蘇らせる方法が一つある」
「しかし反魂は禁呪のはず」
それは過去に葬り去られた術なのだと、叶斗の焦りにも似た表情。
「いや、反魂の術とは違う。蒼の魂を茜に分けるのだよ。元々一つだったものを分かち合って生まれた二人ならば可能だろうからね」
まるで諭すように嵩波は言葉を紡いだ。
「嵩波殿、あなたほどの方がただ思いを残したとは思えなかったが、元々そのために思念を残されましたね?」
叶斗の言葉に嵩波は薄く笑みを浮かべた。
「そう、私が言伝を残したのは、そのために君たちに力を貸してほしいからだ」
言伝というにはあまりに自然に会話が成り立っていて。
透けてこそいるが、まるでそこにいるような、幽霊のごとく魂だけ留まっている状態にも見える。
実際には力の一部分だけが思念と共にここに残っていて、魂はとっくにこの世界にないという。
その彼が叶斗と私の力を貸してほしいというのだ。
自らの力で茜を生き返らせる事ができるなんて、私は思ってもみなかった。
そんな事ができるというなら迷うことなく力を貸したいと思ったのだけど、そこには何か問題があると嵩波は言いたげだった。
「蒼自身にはどう影響があるかわからない。本当の君を取り戻したのに、それでも茜を呼び戻したいと思うかい?」
視線で蒼に問いかける。
「俺は、それでも構わない。頼む」
蒼に迷いはなかった。
だから離れて見守っていた琥珀が本当は何か言いたそうだったけど、彼は言葉を飲み込まざるを得なかったのだと思う。
不安そうにこちらを見ていた。
正直、生き返って茜がどう思うのかわからない。
けれど、生きてほしい。
そしたら大切な物がまた見つかって、生きていて良かったって思う日が来るんじゃないかって、私はそう願う。
嵩波は静かに頷いた。
「では、始めよう」
嵩波が詠唱を始める。
死者である彼の力だけでは茜を蘇らせる事はできないのだという。
実際に術を使うのは私と叶斗。
嵩波に習って唱える二人の声が重なった。
体の奥の方が熱くなってくる。
力が引き出されていくのがわかる。
私と叶斗と蒼を包む光がどんどん強くなって、眩しいくらいになった。
その光が全て茜に流れ込んでいく。
最後に目が開けられないくらいに輝いて、目を閉じた途端に足に力が入らなくなってへたり込んだ。
やっと眩しさから解放されて息を切らせながら目を開けてみる。
茜には変化がない。
もしかして失敗したのだろうか。
私はどこか間違ってしまっていただろうか。
もしかして霊力が足りなかったとか…。
不安が胸中の大半を占めた頃、心なしか茜の頬に朱が差して、生気が戻ってきたような気がした。
「上手くいったようだね」
嵩波の姿が薄くなっている。
「しばらくすれば目を覚ますだろう」
彼が自らに課した役目が終わったのだ。
術は成功した。
良かった。
でも嵩波はもうすぐ消えてしまう。
何か言わないとと思うのに、伝えたいのが別れの言葉なのか感謝の気持ちなのか、もっと別のものなの自分でもかわからなくて、うまく言葉に出来ない。
けれど消えてしまう寸前、全てを見通したように嵩波は微笑む。
もう声は聞こえなかったけれど、その唇が動いた。
私の気持ちも、たぶん蒼や叶斗の思いも嵩波は受け止めてくれたのだろう。
彼が最後に言ったのはたぶん「ありがとう」だった。
辺りを包む空気が穏やかなものに変わっている。
張り詰めていた気持ちが緩んだ瞬間、ついに限界が来た。
すでに体力も気力も霊力も消耗しきっていたから。
でも、諦めなくて良かった。
未来に希望を繋げることが出来たと、私は信じているから。
体の全ての感覚が遠くなっていく。
私を支えてくれたのは誰の腕だろう。
ゆっくりと傾いていく視界。
遠のく意識の中で私は空を見ていた。
雲の切れ間から暖かな光が降り注ぐ。
過去の悲しみを希望へと変えて未来へと繋がっていくように。
降り注ぐ光はまるで青い空の破片みたいだった。




