9:終わりと始まり
あれから半月近くがたった。
私は教室の窓辺であの出来事は夢だったんじゃないかと何度目かの思いを巡らせていた。
実はあれからもう一度『妖怪相談所』こと『cafe Sakura』に行ってみようと試みたのだがそう複雑な道を通った記憶もないのにたどり着けなかった。
学校で王子に会いに行く勇気はなかったけれどあの人達にもう一度会えたら聞きたいことがたくさんある。
思い出せば思い出すほど信じられない事が多すぎる。
あの後、気がつくと私は寮のベッドの上で寝ていた。
イズミがドアを叩く音で目を覚ましてみればすっかり朝、日曜の次の日なのだから当たり前に月曜で、二人して遅刻ギリギリで登校したのもなんだかすでに懐かしい。
その時にはもう怪我をしたはずの頬も手にも傷痕すらなかった。
学校には何事もなかったかのように平和な日常が戻っていて、イズミは開かずの間を調査していたことも妖怪相談所のことも覚えておらず、相変わらず次なる記事のためにオカルトネタを捜して奔走している。
いっそのこと『オカルト好き』自体を忘れてくれればよかったのに。
ともあれこれが元通りの日々だ。
ただ変わったことは教師の笠原が学校を辞めたということ。
理由は色々と噂がたったがみんなが興味を無くすのにそう時間はかからなかった。
この事件は幕を閉じ、私の不思議な体験も終わったんだ、そう信じて疑わなかった。
「あれ王子じゃない!?」
廊下からそんな声が聞こえる。
みるみる黄色い声の波が伝わり、ついにはこの教室の前まで、そしてざわめきは教室内へと広がった。
ぽかんとあっけにとられる私の前で叶斗王子は仁王立ちで腕を組んだ。
「一緒に来てもらおう」
「へ?」
私のマヌケな返事を無視して叶斗は私の腕をむんずと掴んで有無を言わさず連れ出した。
腕も痛いが周囲の視線がそれ以上に痛い。
叶斗に熱を上げる女子達には学園のアイドルと手を繋ぐ図に見えるのかもしれない。
後でイズミやクラスメイト達に質問攻めに合うに違いないと内心でため息をついた。
どこへという質問も許されぬ雰囲気で連れて来られたのは学園の中央に位置する建物。その最上階にある理事長室だった。
立派な扉を叶斗がノックすれば中から女性の声で返事があった。
「失礼します」
「し…失礼…します」
叶斗に続いて中に入ると和服姿の初老の女性が優しい笑顔を見せた。
「矢野水穂さんね。理事長の榊河八重です。突然お呼び立てしてごめんなさいね」
柔らかな声で言う。
理事長ということは叶斗のお婆さんということだが、二人の持つ雰囲気は正反対に思えた。
なのに叶斗にちらりと目をやればこの穏やかな老人を前に緊張しているように見える。
私はといえばここに呼ばれた意味がわからずやはり緊張していた。
「水穂さん。貴女に手伝っていただきたいことがあるのです」
「私に…ですか?」
貴女も目の当たりにしたと思うけれど、理事長はそう前置きした。
「榊河は今は企業としての顔も有していますが、祖は陰陽師に端を発し、しかしながら陰陽道ばかりでなく密教の術、様々な呪術を修め伝えてきました。そして現代に至るまで人間と妖の間に立ち秩序を保つ役割を担ってきたのです。簡単に言えば妖怪の関わる事件を解決することが仕事ですね。その仕事にあなたの協力が必要なのです」
「私の…ですか?…私なんて何の役にも立たないというか…霊感が強いだけというか…」
語尾が頼りなく消えていく。
私には叶斗みたいな妖怪を退治する力があるわけでもないのにどうして…。
「旧講堂で危機に頻した際貴女が唱えた術は妖を縛する術。しかしその術は血の契約を持ってすれば妖をその身の内に縛る力となる。あの時、貴女と蒼との間で主従の契約が結ばれたのですよ。そして式神となった蒼は貴女と共にあれば本当の力を発揮することができるのです」
血の契約…確かに私がおまじないを唱えたのは私の頬を傷付けた刃が蒼に突き刺さった後だったけれど。
「あ、あれは単なる夢に出て来たおまじないで、術なんていうものじゃないです」
私は夢の内容を説明した。
「貴女が唱えたおまじないは真言の一つなのですよ。そして蒼を式神にできるのは榊河の血だけです。貴女はおそらく先祖をたどれば榊河と繋がっているということ」
「待ってください!そんな話聞いたこともありません。家族も霊感なんて少しもないし…」
きっと何かの間違いだ。
信じられないことがどんどん増えていって頭が混乱してきた。
「ずっと遠い昔の縁でしょう。私どもの記録にも残ってはいませんが…。貴女の見た夢は遠い先祖の見た記憶だと、私は思いますよ」
そんな事があるのだろうか。
「それほど貴女は強く先祖の力を継いでいる、ということです。今回の事は偶然が重なったとはいえあなたも榊河の血に連なるもの、定めやもしれません。どうか協力してはもらえませんか」
「御祖母様。突然いらっしゃったと思えばどういうことですか!僕は認めない」
それまで控えて聞いていた叶斗が我慢できないとばかりに口を挟んだ。
「どうもこうもありません。元はといえば自らが招いた事ではありませんか。お前と蒼がついていながら危険な目に合わせた結果でしょう」
ぴしりと言い放つ。
「老いた身の私に代わりここの事は自分が片付けると言うたはお前でしょうに」
「しかし、蒼は僕の式のはず…」
「彼女との契約が成された今、力を合わせる事が最良の道ではないのですか?」
「っ……蒼は…あいつは矢野水穂を巻き込んだ事を随分と気に病んでいたはずです。…あいつはなんて…」
「あの子はこれから私が説き伏せます」
朗らかに笑うその人を少しだけ怖いと思った。
「お願いできますね?」
そんな人ににっこりと微笑まれれば頷くしかない。
それに、私に責任が全くないとはいえない。
私の行動が状況を悪化させた感はあるし。
何よりわざとではないといえ私は叶斗から蒼の主人の座を奪ってしまったらしかったから。
叶斗はそれきり黙り込んでしまった。
きっと怒っている。
退室を許された私はそちらを見ることができず逃げるようにその場を立ち去った。
夢は遠い遠いご先祖様の記憶だった。
何故だか妙に納得してしまう。
あの女の人も蒼と『主従の契約』というのを結んだ人なんだろうか。
私にもできるのだろうか。
叶斗みたいに妖怪と戦うなんてどう考えても無理だ。
もう一度会えたら聞きたいことがあったはずなのに聞けなかったばかりか解らないことが更に増えた気がする。
必要な事は少しずつ覚えていけばいい、そう言われても先を考えればますます不安は胸の内を重く満たしていく。
何やらとんでもないことを引き受けてしまった。
いまさらながらにそう思ってももう引き返すことはできるはずもなく。
私の前途多難の日々は幕を開けようとしていた。
読んで下さってありがとうございますm(> <)m
ここまでで一段落となっております。
が!!
ここまではいわば序章といった感じです。
ぼちぼちではありますが続きを書いていければと思っていますので
よろしければお付き合いくださいませ。




