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81:蒼と茜 (11)

 身体を取り戻すという望みはもう叶わないことがわかるのか邪龍の魂は荒れ狂っていた。

 猶予はない。

 蒼の翼は降りしきる雨を弾きながら空へと羽ばたく。

 そこに追いついたのは琥珀だった。

 

「何で洞窟が崩れてんだよ?茜は?」

 

「…茜は……」

 

 言いよどんで目を伏せる蒼。

 

「つっ…」

 

 ふいに左腕を押さえた。

 

「怪我したのか!?」

 

 琥珀が慌てて蒼の腕を掴んで言う。

 

「お前、これ」

 

 彼は蒼の左手に浮かぶ鱗状の痣を見つけてしまった。

 

「龍を…喰った…」

 

 誰が喰ったとは蒼は言わなかった。

 それは茜の犯した罪は自らの犯した罪と同じだと思うからなのだろうか。

 

「茜だろ?」

 

 それなのに、不思議なことに琥珀は蒼を疑いはしなかった。

 どこか予感があったとでもいうように、茜の危うさに気付いていたとでもいうように言ったのだ。

 何故わかったのかと蒼の視線が問う。

 

「お前にはそうする理由がないだろう」

 

 確かに、蒼が力を求める理由はないけれど、ずっと蒼を近くで見てきた琥珀だからこその自信だった。

 

「それで?あれも茜がやったのか?」

 

 琥珀が崩れた洞窟の入口を指差す。

 

「迦墨が…。牢に入れられていた妖達が暴れ出して、迦墨はそれを一人で食い止めるために残ったんだ」

 

 里にこれ以上の被害が及ばないように。

 だから、今は呪いの事より優先すべき事がある。

 

「行こう。あれを止めるのが先だ」

 

「けど、どうするつもりだよ?」

 

「これがある」

 

 手の中で光る緑の石。

 もう一度握り締めて蒼は山頂付近へと急いだ。

 

 

 根本近くから無残に折れた大木が見える。

 そこに集まった者達は武器を携えて龍の魂を囲んでいた。

 しかし実体のない影のような龍を攻撃しても手応えはないようだ。

 風を巻き起こせば霧のように霧散して、また別の場所で龍の形となる。

 この場にとどめ置かなければ里に更なる被害をもたらすだろう。

 天狗達の攻撃は効かないのに、邪龍の爪と牙は固い木々をも裂き、尾はあらゆるものを破壊するのだから。

 ある者はその牙に噛み砕かれ、ある者はその尾で地へと叩きつけられる。

 死闘を繰り広げる天狗達。

 危険な戦渦に蒼は迷わず飛び込んだ。

 琥珀が遅れて後を追う。

 蒼にも龍の爪は容赦なく迫ってくる。

 刀を抜いて防いだが、その刀身が半ばから折れ飛んだ。

 

「ここは我らに任せお戻りください!!」

 

 その場にいた誰もが蒼の――長となるべき存在を危険から遠ざけようとそう言う。

 けれど蒼は黒い影のような龍に近付いて行った。

 

「蒼様!お下がりください!」

 

 蒼を見つけた東雲が長い槍を片手に近付いてくる。

 

「これがあればあいつを封じられるんだ!」

 

 そう言って開いた蒼の手の上で石は静謐な輝きをたたえていた。

 

「ただ…あれを封じたければ命を差し出せと石が言っている。強大な妖を封じるには相応のものを賭けなければならないと。だから、里のことは頼む」

 

 蒼は自分が犠牲になるつもりだ。

 汚れた魂一つでみんなを救えるなら易いものだと、そんな思いすら垣間見える。

 けれど蒼の手の上で光を放ち始めた石を東雲は取り上げた。

 

「ならばその役目、私が引き受けましょう。真に里を導くべきは私ではない」

 

 東雲の口元を一瞬笑みがかすめる。

 

「琥珀!蒼様を連れて下がれ!」

 

 強い覚悟のこもった東雲の叫びだった。

 それからは止める間もない。

 石を中心にまるで水面に滴を落としたように光の波紋が広がる。

 目を射る強い光は全てを白く染め上げた。

 

 

 

 

 

 

 光が穏やかなものに変わっていく。

 視界が戻って見えてきたのは、晴れ渡った空とほとんど元の通りに復元され穏やかな水面をたたえた里の姿だった。

 長の屋敷も見える。

 そこから飛び立ったのは琥珀だった。

 光に包まれた一瞬のうちに時は流れ、彼はすっかり大人に――ちょっと軽い印象の青年の姿になっている。

 彼が向かった先は山頂に続く森の中でそこだけぽっかりと木のない一角だった。

 緑色の苔が一面に生えていて、そこに立っている緑の細長い棒。

 それは蔦が絡まった槍だ。

 元はこの里を見守る大木があった場所。

 ここはかつて龍との戦いで東雲と多くの天狗が命を落とした場所だった。

 その片隅で蒼が木の幹に背を預けてその場所をじっと見つめている。

 彼ももう私がよく見知っている青年の姿だった。

 琥珀の気配に気付いていたのかほんのわずかにだけ顔を上げる。

 

「またここにいたのか」

 

 地に降りて琥珀もまたその苔むした地面と突き刺さった槍を見つめた。

 

「忘れられないのは俺も同じさ。けど、前に進まなきゃならないだろ?代理様がいなくなって、皆お前が長になるのを待っている。皆をいつまで待たせるんだ」

 

「俺は長には…」

 

 袖から見える指に、伸ばした髪で隠した頬に、呪いの証は刻まれている。

 

「呪いがなんだっていうんだ。それは茜の犯した罪だろ?」

 

「俺と茜の立場が逆だったら禁を破ったのは俺だったかもしれない」

 

「蒼は蒼だ。皆も納得してる。お前は何も変わってないんだからな」

 

「これまではそうだったとしても、呪いのせいで今では飛ぶのに苦労することだってある」

 

「そんなの気に病むほどのことじゃないって」

 

「もし完全に飛べなくなったら?それでも同じ事が言えるのか?」

 

「言うさ。たとえそうでも、長になるのはお前しかいない。俺はガキの時からずっと確信してたんだ」

 

 いつもの軽い口調で始まった琥珀の主張は真剣な眼差しと言葉で締めくくられた。

 

 

 

 

「蒼様は長になるの?」

 

 長の屋敷に集まった中でまだ少年の見た目の天狗が言った。

 

「まだ年若い彼らは前長の血を引く数少ない生き残り。今となれば里の中心たる者達。彼らの話題は蒼を長にすべきか否かにございます」

 

 悠璃の言う通り、蒼本人のいないうちにこの広間で里の行く末を案ずる話し合いが行われているようだ。

 

「いよいよ新しい長が立たれる。喜ばしいことだ」

 

「しかし、本当にそれでいいのか?呪いはどうする?」

 

「一族の安寧を願うなら呪いの事にかまっている場合ではないだろう」

 

「それでまことの安寧が得られるのか?もし蒼様自身が禁忌を犯していたならどうだ?長に相応しいとは言い難い者を長にすることになる」

 

 琥珀は蒼が長になることをみんなが納得していると言ったけれど、本当は少し違うらしい。

 龍を喰らったのは茜と言われているが、本当は蒼自身なのではないか。

 疑心が暗い影を落とす。

 そうでなくとも妖怪の間で禁忌とされる共食いの呪いに犯された存在を素直に長と認められる者ばかりではないだろう。

 場はざわめき論議を呼ぶ。

 

「それは蒼じゃない」

 

 それまで黙していた琥珀が言った。

 

「罪を犯したのは茜だ。牡丹姉を見ただろう?あんな事をできるなんて正気じゃない。それでもまだ疑うのか?」

 

「そ…そんなことは…」

 

 どうやら琥珀はこの場にいる天狗達の中で立場は最も上のようだ。

 それは叔父にあたる東雲だけでなく、彼の父や母もすでにいないということ。

 

「何があろうと空の一族の長は蒼しかいないだろうが」

 

 琥珀の声にはその場を静まらせるほど鬼気迫るものがあった。

 彼は何があっても蒼を信じている。

 空を統べる一族の長には蒼こそがふさわしい、彼でなければならないのだと考えている。

 蒼の長就任を誰よりも待ち望んでいるのは彼に他ならないだろう。

 

 

 いや、誰よりもというのは少し違うかもしれない。

 彼に負けないくらいに蒼が長になることを待ち望んでいる女性がいたから。

 

 山には桜が咲く季節だった。

 里にも花びらが雪のように舞ってとても綺麗だ。

 その美しい景色が水面に映るのを牡丹は見つめていた。

 彼女は奇跡的に命を取り留めた。

 あるいは茜が命を奪うことまではできず故意にそうしたのか。

 けれどあまりにひどい火傷は時を経ても彼女の体に深刻なダメージを残している。

 

「起きていていいのか?」

 

「ええ、今日は体調が良いのです」

 

 幾枚の花びらを連れてやって来た蒼にそう答えた牡丹の顔は包帯のような布で覆われていて、皮膚が引きつった目元と口元がわずかに覗くのみ。

 その柔らかな笑みを見ることができない。

 でもたぶん彼女は以前と同じように微笑んでいたのだと思う。

 

「長になる事を承諾したと聞きました」

 

「ああ…。だが、本当にそれでいいのかどうかはわからない…」

 

「迷いはお捨てください。皆、希望を見いだしたいのです。あなたなら皆の希望になれます」

 

 牡丹が蒼の頬に手をやった。

 白い肌に火傷痕が痛々しい。

 蒼はその手に自らの手を重ねる。

 

「牡丹、俺が長に就任したら…妻になってほしい」

 

 たぶん彼はそれを言うためにここに来たのだろう。

 

「それは、なりません!」

 

 牡丹にしては珍しい、強い口調。

 

「この様な体ではあなたを支えることは出来ません。ですから…」

 

 蒼は言葉をせき止めるように牡丹のただれた唇に唇を重ねた。

 時が止まったような長い一瞬。

 それから強く抱きしめる。

 

「側にいてくれるだけでいい」

 

 蒼の腕の中で牡丹が何を思っていたのか。

 瞳に浮かんだ涙は当然喜びを表しているものだと私は思った。

 その涙に秘められた決意を私はわかってはいなかったのだ。


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