78:蒼と茜 (8)
「人間達は?」
「大丈夫だよ。皆、怪我は軽い」
「そうか。よかった」
あの後、蒼は天狗達を、嵩波は人間達を連れ帰らなければならなかったから、これは数日後の二人の会話だった。
「あの天狗は目を覚ましたかい?」
「ああ…投獄、されてるけどな」
「そうなのか」
ややあって嵩波は切り出す。
「蒼。今日は実は別れを言わなければならないんだ」
都に帰ることになったのだと嵩波は言った。
「近頃都の妖が騒がしいようで陰陽寮は人手が欲しいらしい。直ぐに帰るように知らせがきた。父は亡くなってしまったから私に白羽の矢が立ったのだろう。けれど、この辺りの闇が濃くなっているのが気がかりだよ」
「それなら都に行かなければいいんじゃないのか」
「私は欲張りだからね、出来るだけ多くのものを守りたいんだ。都の人間や妖もね。だからここは空の一族に任せるよ」
そう言って嵩波は緑色の小さな石を取り出した。
「これを彼に渡してくれないか。この石には魔を封じる力がある」
蒼はそれを受け取って懐へとしまった。
「もう、戻ってはこないのか?」
「わからない。また会えたら嬉しいけれど」
「なら、コレ…やるよ」
蒼が差し出したのは一枚の濃紺の羽。
「持ってれば里の門を見つけられる。それから、迦墨を助けてくれてありがとな」
「礼を言うのは私の方だ。ありがとう。それじゃ行くよ」
そうして二人は意外にもあっさりと別れた。
瞬きをすればそこはもう薄暗い洞窟の中。
牢獄は凍り付いていて、そこだけまた別世界のようだった。
「迦墨…」
氷でできた格子越しの蒼の呼びかけに、座して地面のただ一点を見ていた迦墨が顔を上げる。
彼は少しやつれて見えた。
「蒼様…。…私は…多くの者を傷付けてしまった」
「迦墨の意志でやったことじゃないだろ!?すぐに外に出られるさ」
「しかし…また同じことを起こすかもしれない…そう思うと恐ろしいのです。代理様は何故私を生かしておかれるのか」
頭を抱えた迦墨に蒼は拳を差し出した。
「そんなこと言うなよ。これを持ってればきっと大丈夫だ」
ためらいがちに出された手のひらに小さな石が転がった。
光の加減で不思議な色に見える緑色の石。
「これは…」
「魔を封じる石さ」
嵩波が蒼に託した石。
嵩波は迦墨がこうして苦悩していることすら見抜いていたかのようだ。
しばしその緑の輝きに目を奪われていた迦墨が顔を上げたのは、洞窟内に足音が響いてきたからだ。
足音の主に迦墨は座したまま深く頭を下げた。
「東雲」
「蒼様、こちらには近付かれぬようにと申したはずです」
困ったように少し笑った東雲は、きっとそうは言っても蒼はここに来るだろう事をわかっているのだろう。
「迦墨と話さねばならぬことがあります」
「…わかったよ」
けれど迦墨と二人にしてほしいという東雲に蒼は逆らう事はせず、素直に氷の牢を後にした。
蒼の足音が遠ざかってしばらく。
東雲は言うのをためらっているように見えた。
「白銀の、任を解くことになった」
「そう…ですか。アレはまた私を恨むでしょうね」
「皆を静めるには今はこうするしかないのだ。里の者達が白銀に危害を加える前に」
ただそれを白銀に告げるのはあまりに酷なことだ。
私が見ていた限りでも彼は自分に与えられた護衛という立場に誇りを持っている。
更に言えば身分の低い鴉天狗の血を引く彼がそこに居られる唯一の理由、それが彼の全てだといえるのだから。
「力が及ばずすまない」
「おやめください。そのような言葉は私にはもったいのうございます。白銀を…息子を頼みます。アレは良くも悪くも真っ直ぐな性格ですので」
「ああ、わかっている。私とてあの子が不憫だ。いずれは白銀を長の護衛に戻すつもりでいる」
迦墨は牢の中で地に額が着くほどに更に深く頭を下げた。




