79:蒼と茜 (9)
その日屋敷の中は見たこともないくらい幻想的だった。
色とりどりの美しい石で作られた飾りが天井からつるされ、金糸銀糸で織った細い布が更に色を添える。
シャラシャラとどこからともなく聞こえる鈴の音色。
今日は蒼の元服の日なのだ。
里の中全てがお祝いムードで、いつにも増してあわただしい。
さっき見たより少しは大人びた蒼は、屋敷に負けじと飾り立てられ居心地が悪そうに部屋であぐらをかいていた。
どうやら侍女が彼の臙脂と漆黒の混ざった髪に飾る石の色を吟味しているところだ。
「やはり御髪に合うのは碧い石でしょうか?それとも耳飾りにあわせて紅と両方付けた方が良いと思われます?」
「どっちでもいい…」
「ああもう。動かないでくださいませ」
「頭…重い…」
そんな感じで主役といえどかなり窮屈な思いを強いられているようだった。
やがて里を見下ろす廊下を渡り、広間へと蒼が赴くとそこにはすでに大勢の天狗達が集まっていた。
今日ばかりは次期長候補に相応しく装った蒼に場はざわめく。
「なんとご立派な」
「長に着任される日も近いな」
期待に満ちた金色の瞳達。
いつの間にか長になるのは蒼だと、彼こそ長に相応しいのだと皆思い始めているようだ。
東雲や牡丹と共に座している茜は未だに十歳ほどで、少しも変わったように見えない。
それでも茜は凛とした表情で、自分の片割れの晴れの姿を喜んでいた。
その側にいつもあった白銀の姿はない。
長の護衛から外された彼はどうなったのだろうか。
私はその事が気がかりだ。
そう思っていると不思議と視線は元服の儀式が行われている場から遠ざかりだした。
白銀の姿を探して里の中を漂って、それから門を抜けて外界に出た。
遠い空に雷の音が聞こえる。
葉の落ちた木々。
遥か向こうの上空には黒くよどんだ黒い雲が所々に漂っている。
山深い場所に冷たくよどんだ空気の漂う沼があった。
その淵で白い髪の青年が闇を宿したような暗い瞳で見つめる先には矢を射られ血だまりに横たわる黒い翼の天狗が三人ばかり。
やがて天狗達は鴉へと姿を変える。
白銀は沼にそれを無造作に投げ込んだ。
黒い邪悪なものが沼を覆い、薄い影から少しずつ濃さを増していくそれはうねる大きな蛇――いや、龍のように見えた。
次に私の目に飛び込んできたのは目を覆いたくなるような光景だった。
美しく幻想的な世界にあった里の姿はそこにはない。
さっきまで笑っていた天狗達が今はもう動かない。
静かにたたえられていた水は激しく波を立てて、それに押し流された建物が木片と化している。
それはさながら台風か津波の後のようだった。
長の屋敷も水害を免れた訳ではない。
特別な日を彩っていた色とりどりの石は床に転がって、豪奢な布は水面に漂っている。
「何がどうなってるんだ…」
崩れかけた屋敷から里を見下ろして、蒼は呆然と呟いた。
侍女達の憔悴しきった表情からはそれが突然襲い来たのだと伺い知れる。
そこに羽ばたきの音。
降り注いだ殺気。
魔の力に捕らわれた天狗が棒状の武器を手に襲い来る。
蒼は刀を抜かずに鞘で打ち返し、懐に飛び込んで一撃を入れる。
黒い装束の天狗は気を失ってその場に倒れた。
もう一つの殺気の襲撃に蒼が素早く身構えた。
けれど今度の狙いは蒼ではなくて侍女達だ。
蒼の刀の間合いからは外れている。
武器が侍女達に振り下ろされようという寸前、今度は抜きはなった刃の斬撃が巻き起こした突風に鴉天狗は吹き飛んで柱に打ちつけられ地に伏した。
不気味な静けさが戻る。
また羽ばたきの音が迫ってきたが蒼は身構えなかった。
「蒼!みんな!無事か?」
現れたのは琥珀で、その場にいる者達の無事を確かめて安堵のため息をもらす。
「代理様も牡丹姉も無事だ。けどここらはまだマシな方で、里の中はひどい状況だった」
その時、メキメキという不気味な音が耳に届いて蒼達が仰ぎ見たのは山頂付近。
そこには蒼と茜が生まれた大木がそびえているはずだ。
しかしそれは今まさになぎ倒されようとしていた。
黒い影のような龍の魂がその木に巻き付いている。
「あいつが里をこんなにしたのか」
蒼が怒りをにじませる。
「これ以上めちゃくちゃにされてたまるかよ!」
「茜は!?一緒にいたんじゃないのか!?」
そんな琥珀の声を残して二人の姿は遠ざかっていった。
「邪龍の魂は自らの体を求めておりました。それはこの里の牢獄の奥深くに封じられているのです」
繰り広げられる惨劇と悠璃の冷静な説明との間にはギャップがある。
「里に招かれざる者が入ることは決してありません」
この里に龍の魂を招き入れたのはおそらく白銀。
この時代よりも更に昔、魂と体を別々に封じられた邪悪な龍を利用し彼は自らの怒りを具現化しようというのだろうか。
「何故…あのようなものが?」
茜は息を切らして崩れかけた桟橋のような道を走っていた。
たくさんのうめき声が聞こえる。
けれど茜の力では瓦礫と化した建物を退かすことはできず、助け出す事は不可能だった。
「何故私はこんな時に何もできないんだ」
悲痛な声音。
はっと気配を感じて茜は振り返る。
鴉天狗が武器を構えて立っていた。
茜に戦う術があるのだろうか。
彼女は動かない。
けれどその鴉天狗は突然前のめりに倒れた。
飛来した矢に背からその体を貫かれて。
「白銀!」
鴉天狗が絶命したことに戸惑いつつも声には心なしか安堵がにじんでいた。
「お前今までどこに!?」
「茜様のお命まで狙うとは使えぬ鴉め…。茜様。お迎えに上がりました」
闇から現れた白い青年に茜は駆け寄ろうとして、しかし立ち止まる。
「まさか…これはお前が仕組んだ事なのか?」
「この里を一掃する必要があります。皆何も解っていないのです。かつては茜様が次の長に相応しいのだといいながら、今は蒼様が次の長になるべきだと言う。何と身勝手な。そのような輩は必要ないでしょう?」
「何を言っているんだ!そんな理由で里をめちゃくちゃにしたのか?長になるのが蒼でも私は構わないんだ。皆が笑って暮らせるならそれでいい」
「いいえ、真に長として相応しいのはあなたです。私がこの里だけではなく…この国全てを茜様の物にしてご覧に入れましょう」
「なっ…何を馬鹿なことを…」
茜の表情にはまた悲しみが戻った。
白銀が一歩近付けば茜は一歩後ずさる。
やがて茜は背を向けた。
走り去る彼女を白銀は追おうとはしなかった。
洞窟の前に立つ茜の姿があった。
氷の牢獄がある洞窟だ。
「私に力があれば…」
誰も助けられなかった。
このままでは誰も助けられない。
自分が無力だからこんな事になったのに。
自分に力があれば白銀はあんなにも暗く荒んだ目をしなくて済んだかもしれない。
茜はきっとそんな風に考えていた。
だから彼女は思い詰めた表情でその冷たい洞窟を歩いて行く。
その奥にある力を求めて。




