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7:人間(ヒト)と妖(アヤカシ) (2)

「かなちゃんのアホー!」

 

 叶斗と私達を分かつ扉に向かって蒼が叫んだ。

 扉に隔てられる寸前、彼が蒼からポシェットをもぎ取ってしまったからだ。

 蒼の武器が入っているポシェットを。

 叫んでみたところで外に聞こえているのかどうかは定かではないのだけど…。

 闇に絡み付かれた左手は引きずり込まれた直後開放されて私と蒼は床に投げ出されていた。

 

「水穂、平気?」

 

 叫んですっきりしたとばかりに蒼の表情はケロリとしたものだった。

 私は頷き立ち上がる。

 

「いったいどうなったの?」

 

「僕ら、結界内に閉じ込められたみたい。まぁでもきっとかなちゃんが結界をぶち破ってくれるでしょ」

 

 冗談めかした口調と相変わらずの笑顔に私の不安も少しは和らいだ。

 辺りはしんと静まり返っていた。

 外からはただの真っ暗闇に見えた講堂の中は薄っすら明るく、まるで教会のように並ぶ作り付けの木の椅子と、幕の降ろされた舞台が見える。

 現在は使われていない場所だから初めて入るけれど、元の立派な姿を留めていると思われた。

 ただ、空気がねっとりと纏わり付くように重い。

 

「子供がついてきたか…まあいいわ」

 

 講堂内全体に女性教師の感情の欠落した声が反響して聞こえた。

 姿は見えない。

 

「イズミちゃんはっ!?」

 

 一瞬の間。

 

「このコを助けたいなら…おいで」

 

 声は笑ったようだった。

 

「あの奥みたいだね」

 

 蒼の指差す先、舞台の脇に小さなドアがあった。

 

「ここでかなちゃんを待ってる暇はないけど、できるだけ時間をかせがなきゃ」

 

 蒼が声をひそめる。

 私は大きく頷き、ゆっくりと扉に向かった。

 

 

 木製の扉を開ければホコリっぽい臭いが鼻をつく。

 舞台袖に続く階段と奥に扉がもう一つ。

 階段の先に見える舞台には人影も何もない。

 ならばイズミと笠原は扉の向こうということだ。

 今度は鉄の扉だった。

 ギィっと重い音が響く。

 そこは舞台裏の倉庫といった感じの空間だった。

 かつて講堂内を飾っていたらしい大きな壷や美術品、傍らには机や椅子が積み上げられてホコリをかぶっている。

 その部屋の中ほどに横たわるイズミの姿を見つけた。

 

「イズミちゃん!イズミちゃん!?」

 

 駆け寄って揺すってみてもぐったりと動かない。

 まさか…。

 

「大丈夫、気を失ってるだけだよ」

 

 傍らに膝をつきイズミの首筋に触れて蒼が言う。

 私はホッと胸を撫で下ろした。

 

「その娘にはもう用がないから返してあげるわ」

 

 部屋の奥の闇から笠原が残忍な笑みをたたえて現れた。

 

「あと少しだ。あと少しで力が得られる。霊力の強いあの娘を喰えば今までとは比べ物にならぬ力が」

 

 笠原の声ではなかった。

 絞り出すような恐ろしい、でも悲しい声だ。

 入ってきたドアが勢いよく閉まる。

 笠原の髪が風もないのにざわめいた。

 蒼がすっくと立ち上がり口元に指を当てる。

 噛み切った指先からぽたぽたと血が滴った。

 ア然とする私と横たわるイズミを囲うように床に血の雫を落としていく。

 

「水穂。ここを動かないで」

 

 言った蒼自身は血の囲いの外で、私達と笠原との間に立った。

 

「ねぇ、どうしてそんなに力を手に入れたいの?」

 

 蒼が笠原に問いかける。

 その言葉には何故だか抗いがたい力があった。

 

「私は…あいつらを見返してやりたい。たとえそのために化け物に魂を売っても…」

 

 声は再び笠原のものにもどっていた。

 

「その()はただここに居ただけ。この場所の闇に住んでいただけ。人間を傷つけることなんて望んでなかったはずなのに…。あなたはそれほどまでに強く何を恨んでるの?」

 

「……私…私は…」

 

 笠原がポツリポツリと語り始める。

 その内容は以前勤めていた学校でのことだった。

 彼女は教え子と恋愛関係にあった。

 卒業したら結婚しようと将来を誓い合った。

 それを知った女子生徒が面白半分に彼を奪い、おばさんのくせに身の程知らずだったのだと笑い者にされた。

 そして生徒との恋愛は父母にも知られることとなり辞職せざるをえない状況に追い込まれたというものだった。

 女子生徒に対して厳しく当たるのもきっとそのせいなんだろう。

 

「そう。でも復讐なんて悲しいこと、やめにしない?そんなことしたって誰も幸せになんてなれないよ」

 

 蒼の言葉に笠原の表情が、そして声が変わる。

 

「邪魔をする気か?ならばまずお前から喰らってやろう!」

 

 怒りの表情を浮かべ、髪がザァッと伸びて波打った。

 その恐ろしい光景に私は震える手でイズミの体をぎゅっと抱き寄せた。

 後姿の蒼はとんと床を蹴ると迫る髪の鞭を軽くよける。

 次から次に迫る髪の束を鮮やかにかわしていく。

 

「おのれ、ちょこまかと。やはりこちらの娘を先に」

 

 髪は私とイズミに迫ってきた。

 すると血の痕を結んで薄い光の壁のようなものが出来上がり髪は光に弾かれる。

 

「結界だと!?ただのガキではない…か。だが…」

 

 それでも私達を狙って、髪がぞわぞわと地を這う蛇のようにうごめいていた。

 恐怖が再び沸き上がる。

 髪が壁際に置かれていた壷や小さな木製の台を巻き取るのが目に入った。

 投げ付けられた木の台を蒼は華麗な宙返りで交わしてみせる。

 

「きゃぁっ!」

 

 壷がこちらに向かって飛んで来る。

 それは私の目前でやはり蒼の作った光の壁に阻まれ軌道を変えたのだが、私は思わず後ろにさがってしまっていた。

 踵がわずかに光よりも外の地面に触れた。

 私とイズミを守っていた力が消える。

 そのチャンスを逃さず髪の束が何本もこちらに迫った。

 

「水穂!」

 

 蒼が私を突き飛ばす。

 

「…!!」

 

 私をからめとり損ねた髪の一房が蒼の足首に巻き付き、そのまま彼を勢いよく投げ飛ばした。

 積み上げられていた机と椅子につっこむ。

 ガシャーン!!!

 激しい音とともに崩れ落ちた。


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