61:東の清流と西の宵闇 (11)
教室のはずの廊下、廊下のはずの教室。
あべこべに繋がった場所を急ぎ足に抜けて、次の扉を開ければ目の前にプールが広がっていた。
私達が今出て来た扉は更衣室の扉のようだ。
この高校のプールは屋外にあるはずなのにフェンスの外は真っ暗な闇。
ここも閉鎖された空間であって、外に出られたわけではなかった。
「邪魔者…消えろ」
感情のない声に振り返る。
人形達が背後に迫っていた。
リュウにやられていなくて良かったと思ったが喜べる状況でもない。
「あの方の邪魔をするな…」
消えろ、と彼らは口々に言う。
「あの方とは誰だ?」
あの方とは夜稀なのか、叶斗の問いかけに答えは返らなかった。
本物の人間が混ざっているせいでどうしても攻撃が制限される。
おまけに倒れてもまた起きあがってくるのできりがない。
私達は徐々にプールサイドに追い詰められていく。
その時私の頭をよぎったのは伊緒里から授けられた秘策だった。
「ごめんなさいっ!」
私は蒼をプールに向かい思い切り突き飛ばした。
まさか私がそんな行動をとるとは蒼も予想しなかったのだろう。
彼はいとも簡単にプールへと背中から落下していった。
勢い良く水しぶきが上がる。
「何してるんだ!!」
敵と対峙していた叶斗が面食らった表情で振り返った。
「実は昼間に伊緒里さんから蒼さんが記憶喪失になった時のこと思い出したってメールがあったんです!その時は池に…水の中に落ちて記憶がもどったんだって。だから今回ももしかしたら!」
お願い成功して!
5秒…10秒…大して深くもなさそうなプールから蒼はまだ顔を出さない。
「出てこないぞ!頭でも打ったんじゃないのか?」
「そ…そんな、まさかぁ…」
そうこうしている間にも人形と感情のない人間が押し寄せてきて、叶斗は襲い来る刃物をたたき落とすがすぐにまた別の場所からナイフが迫り切りのない攻防を繰り返すしかなかった。
私に出来ることなど皆無に等しい。
このままでは私達二人もプールに落ちかねないほどまで追い詰められていた。
ようやく水面が揺れたのはその時だ。
ザバッという水音にそちらを目で追えば彼の姿は既に空中にあった。
頭上高くで風を切るような音が鳴る。
長い髪をなびかせ地に降り立った蒼は、見とれるほどの優雅な動作で今し方ふるった刀を鞘へと収めた。
黒いスーツに黒い皮の手袋、青年の姿に戻っている。
見上げた真っ黒な空には光の筋が刻まれていた。
それは、今度は消えることなく広がって、この閉ざされた空間と外とを繋げてゆく。
やがて外と中を隔てる闇は消え、それでも辺りは暗いけれど、圧迫感が明らかに違っている。
大気が動いているのが感じられた。
本物であってもなお暗く重い空からは冷たい物が落ちてくる。
いつの間にか雨が降りだしていたのだ。
水面には細かな波紋が広がっては消えた。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」
叶斗が九字を切って精神を集中させる。
続けて唱えた真言は今度こそ力を得て敵へと襲いかかった。
霊気の網に捉えられ、ある者は力なくその場に倒れ、ある者はギクシャクと不自然な動きになる。
「これで人間か人形かは一目瞭然だな。蒼、あとは任せる」
印は結んだままの叶斗の命に蒼がコンクリートの地面に刀を突き立てた。
雨音が変わる。
私達に降り注ぐのはさきほどと変わらない冷たい水の粒なのに、不自然な動きを繰り返す人形達に降る雨は堅いつぶてのように彼らを破壊していく。
一部を壊されても起き上がってくる人形達だが雨粒に全身をボロボロにされればそうはいかない。
やがて一体、また一体と地に伏していった。
細かい穴が無数にあいたその姿は人形といえども凄惨なものだ。
私は見ていられなくなって目をそらした。
パリンと雨音に混じって微かにガラスの割れるような音。
叶斗と蒼にも聞こえたらしく二人が校舎に目をやっていた。
恐らくはリュウか、彼が追っている妖怪がやったのだろう。
「あそこだ」
その姿まで見えるらしい蒼が校舎二階を指し示した。
リュウが犯人を殺してしまう前に止めなければ。
犯人からは情報を聞き出さなくちゃならない。
私達は気を失って動かない人達と動けなくなった人形達を残して校舎の二階へと急いだ。




