60:東の清流と西の宵闇 (10)
妖力の影響か元々なのかわからないが、蛍光灯の一つが点滅を繰り返す。
その明かりに照らされて刃が白々と閃いた。
しかしガラス窓には傷一つついていない。
幾度目かでようやく窓と壁にはうっすらと光る筋が刻まれたが、すぐに消えてしまった。
蒼は刀を下ろす。
「ダメだ。切れる気がしない」
珍しく弱気な発言だった。
「もう一度だ」
叶斗は無慈悲にも言い放つ。
この空間はかなりやっかいで、扉を開ける度に別の場所へ繋がる。
この閉ざされた迷路のような場所から脱出するために手っ取り早く壁をぶち破ってしまえたら…そんな目論見はそううまくはいかないようだった。
いや、蒼に本来の力があればあるいはそう難しくないことなのかもしれないけれど、今の彼には残念ながら無理なのだ。
「ったくこれ以上チンタラやってられっかよ」
行儀悪く机の上で足を立てて煙草を吸っていたリュウだったが、短くなった吸い殻を床に投げ捨てた。
しびれを切らしたらしく、立ち上がりそして一人出口へと向かう。
「おい!一人で勝手に動くな!」
「要はあいつら操ってる奴を探し出して締め上げりゃ済む話じゃねぇか」
叶斗の制止も虚しくリュウは職員室を出ていってしまった。
扉が閉まる。
叶斗がその扉を開いた時にはリュウの姿はどこにもなかった。
おそらくまた別の場所に繋がったのだ。
「一人で大丈夫でしょうか…?」
「ふん。あいつは殺されても死にはしないさ」
叶斗は至極真面目にそう言った。
「だったら…だったら心配なのは本物の大野さん達じゃないですか!?」
「そうかもしれないな」
それはとてもマズい状況のような気がする。
「蒼!壁ばかり切ってないで行くぞ!!」
自分でやらせておいてそんな風に言う叶斗。
かなり勝手だ。
それは蒼の表情にも表れていたが彼は何も言わなかった。
そうして私を叶斗の後に続くように促す。
「あっ、ちょっとだけ待ってください」
リュウが床に捨てていった吸い殻を拾い上げ喫煙スペースらしきソファーの側の灰皿に入れておいた。
扉の先は本当は廊下に出るべき所だが、別の教室に繋がっていた。
音楽室。
確か4階にあったはずだ。
立派なグランドピアノが備え付けられた天井の高い部屋だった。
突然ポーンと高い音が鳴って鼓動が跳ね上がる。
誰も演奏する者はいないのに目の前のピアノがデタラメな旋律を奏で始めた。
不協和音が室内に嫌に反響して、恐怖をかき立てる。
「な、何ですかこれ!?」
「何か憑いているんだろ」
慌てる私の隣で叶斗は落ち着き払っていた。
やがて重いグランドピアノはガタガタと激しく揺れ出す。
遂には宙を舞いこちらへ向かって飛んで来るではないか。
そして次の瞬間には真っ二つに斬られて床に落ち、耳障りな和音を鳴り響かせた。
残骸から白っぽい何かが――たぶん普通の人には見えないものが抜け出て空中に溶けて消える。
独りでに鳴るピアノといえば学校の怪談話の王道だが、それが飛びかかってくるなんていう話は聞いたことがなかった。
「人間だけじゃなく妖も操られている、か」
蒼は美しい模様の鞘に刃を収める。
「全く面倒な話だ!次に行くぞ」
怒りも露わに叶斗がまたどこに出るか見当も付かない扉を開け放った。




