39:白衣のニャンコと白澤医院 (1)
黒い救急車は闇に紛れて道無き道を猛スピードで走っているのだが車内は至って静かだった。
目の前にはぐったりと――というかぐっすりと横たわる伊緒里。
私と並んでその横の座席部分に腰掛けている青年の姿のままの蒼とその隣の叶斗もまた怪我人だ。
肋骨を傷めた叶斗は毛布に包まれ、その姿はこちらの方こそぐったりといった感じで本当は座っているのも辛いように見える。
それでもベッドを伊緒里に譲ったのは意地なのか強がりなのか。
心配な状況だった。
蒼の方は長い足を組んで澄ましたものだが、まだ出血の続く右肩に手を当てている。
妖怪は法具で傷付けられると治りが悪いそうだ。
痛むそぶりはみせないけれどじっと目を閉じて耐えているのかもしれなかった。
傷口に当てられた左手は黒い手袋ではなく素肌が露わになっている。
だから袖口から中指と薬指に続く鱗のような痣が今ははっきりと見えた。
それだけならタトゥーのようにも見えるのだけど二本の指だけ爪は鋭く、まるでそこだけ別の妖怪のもののようだ。
恐ろしくて、だけど目が離せずにいるとそれに気づいたのか蒼の長い睫毛が持ち上げられ金の瞳がこちらに向いた。
「あ…あの…」
慌てて目をそらす。
葉杜の言っていたこと、聞いてみるなら今だと思うのに子供の時と余りに違う彼にはまだ慣れなくて勇気が出ない。
でもそれじゃダメだ。
本当のことを知っておかないといけないと思う。
この人達と妖怪達の力になりたいって決心したのだから。
「その模様のこと、教えてもらえませんか?禁忌だとか呪いだとか、どうしてそんな…」
蒼は黙って視線を前方へと移す。
「あ、あの、嫌だったらいいんです。無理に話さなくて」
「あの男が言っていたことは間違っていない」
「え?」
随分と間があって蒼が唐突にポツリと呟くように言うので思わず聞き返した。
「千年程も前になるな。天狗の里に眠っていた龍を喰らった。呪いは徐々に体を蝕んでいき…」
蒼の言葉は淡々としたものだ。
「一族の元にはいられなくなったが、榊河の祖たる人物は自らの血をもって呪いを封じた。だから俺は式となり、人の側でこうして生きている」
簡潔に語られた事実は葉杜の言葉を肯定していた。
「どうして…どうして龍の力を?」
「長になるためには力が必要だった」
けれど実際には龍の力を手に入れても長にはなれなかった。
それどころか仲間の所にはいられなくなってしまった。
禁忌だということを知らなかったとでもいうのだろうか。
とても長になろうという人が知らない事とは思えないのに。
私が想像するよりずっと重い物を蒼は背負っているという気がしてならなかった。
『もうすぐ着きますよぉ』
私達の会話が聞こえていたのかいなかったのか、前の座席から美由と美弥が声をハモらせて言う。
わずかに覗くガラス窓の向こうに暗くたたずむ病院が見えていた。
林の中に建つそれは廃墟のように不気味で、私の中で急に不安が膨らむ。
程なくして到着した病院に掲げられた古びた看板には『白澤医院』の文字がかろうじて読み取れた。




