35:海と夏休み (6)
「蒼ちゃん!叶斗!水穂!」
目を開けると視線の先にこちらへ駆け寄ろうとする伊緒里が見えた。
「お前の相手はあたしなんだろう?」
伊緒里が私達に気を取られた隙を逃さず数本の針が迫る。
身を捻るが全ては避けきれず左腿と左わき腹の二カ所に突き刺さった。
「つっ……なんや、このくらい…」
針を抜こうとして伊緒里の膝ががくんと崩れる。
「あ…れ?」
「それはただの針じゃないよ。化け物の妖力を奪うのさ」
伊緒里はついにはその場に倒れ込んだ。
それでも志芽乃に向かって腕をのばす。
小さな雷が指先に生まれたがすぐに消えてしまった。
「く…そぉ…」
「得意の雷もまるで静電気だねぇ。そこであの化け物が退治されるのを見てな」
志芽乃が振り返る。
艶やかな唇に勝ち誇った笑みが浮かんでいた。
まだくらくらする頭を動かして見回せば数メートル先に蒼と葉杜がいた。
蒼の右腕にはだらりと力がない。
左手でその身を岩に縫い付けた刃を掴んで引くが抜ける気配がなかった。
「妖怪には抜けぬよ」
葉杜が手にしているのは錫杖の鞘だった部分と蒼の刀。
日本刀を鮮やかに振るい蒼の左手に突き刺した。
蒼は声こそ上げなかったがつらそうに息を吐いたのがわかった。
動きを奪っておいて髪を掴み上げる。
隠れていた左の瞳が露わになった。
それは右目の澄んだ金色とは違ってくすんだ緑。
底のない沼のような色だ。
髪で隠れていた額と頬には鱗のような模様があった。
「これは…共喰いの印…か。初めて見るな」
それが意味するものを葉杜は知っているようだ。
「妖怪の間では神のごとき強大な力を持つ者を喰らえばその力を己の物にできると聞く。しかし代償にその身には呪いが刻まれるのだったな。さすがに化け物同士といえど禁忌とされているはずだが」
蒼が禁を犯した?
神に近いといわれる空の一族の、それも長になるはずだったひとが。
力を得るため。
けれどそのために風を操れなくなったのだと影雉という天狗は言っていなかっただろうか。
「一族を追われ榊河に拾われたか?」
「お前には、関係のないことだろう」
挑発じみた言葉に蒼は口の端に笑みすら浮かべて見せた。
葉杜は面白くないといった風に今度は肩に突き刺さった刃を押し込みながら捻るように更に力を込める。
「ぐぁ……っ…!」
短いうめき声をもらして蒼は歯を食いしばった。
肉の裂ける音と血の滴る音がここまで聞こえてくる。
あまりの凄惨さに目をそらす事ができず固まっていた私を、なみの雄叫びのような声が引き戻した。
襲い来る志芽乃の針を実体のない水の波動が阻む。
蛇のような下半身が志芽乃を捕らえようと迫った。
志芽乃は苦戦を強いられているようだ。
それを見て葉杜がなみの方へと対象を移した。
私達のすぐ近くを通り過ぎる。
「待…て…!」
私をかばったせいですぐ側で倒れていた叶斗がどうにかという様子で体を起こし言った。
「封じを壊したのは本当にお前達じゃないのか?もしそうならいったい誰がやったというんだ!」
叶斗も先ほどの二人の会話は聞こえていたらしい。
「知らぬな。だが、あれは我々の獲物だ」
葉杜はなみを指す。
「お前達には止められぬだろう。あのような化け物を飼い慣らして喜んでいる榊河にはな」
見下ろす葉杜の瞳は冷たい。
握った錫杖の片方、鞘だった部分をまだ満足に動けない私達に向かい構えた。
「ふん、こちらの台詞だ。何でもかんでも調伏すれば済むと思っている馬鹿者に任せておけるか!」
叶斗が先手を打って攻撃を仕掛ける。
低い姿勢からの足払い。
それを避けた葉杜に手刀の攻撃が繰り出された。
葉杜の錫杖の動きもスピードにおいて負けていない。
二人の動きは流れるようだった。
けれど、やはり叶斗のダメージは大きかったようですぐに息が上がり始める。
錫杖が腹部を軽く打っただけに見えたのに叶斗は膝を着いた。
「肋骨を痛めているな」
それでも叶斗は立ち上がろうとする。
けれど葉杜の蹴りが腹部を襲い叶斗はついにその場にうずくまった。
「もうやめてください!」
「馬鹿!下がっていろ!」
思わず前に出た私を叶斗が止めようとする。
「邪魔をするなら女子供とて容赦するつもりはない。二人とも消えてもらおう」
錫杖の鋭く尖った先端がこちらに迫ってくる。




