15:榊河家と式神 (6)
蒼が向かったのは最上階の自宅ではなく一階の朔良の店だった。
あやめと渚は楓太の所に残っているから後に続いたのは私と伊緒里だけだ。
緊張しながら入った店内は朝食時間ということでそれなりに賑わっている。
ほとんどがマンションの住人らしく、蒼も伊緒里も親しげに挨拶を交わす。
どの人が榊河暁史なのかと視線を巡らせたが、朔良はにこやかにカウンター近くの扉の一つを指し示した。
そこに暁史がいるということだろう。
ためらいもなくドアを開けた蒼の頭越しに室内が見えた。
応接室といった落ち着いた雰囲気。
木のテーブルの両側に大きなソファがあって、足を組んで座った叶斗がこちらをチラリと伺い見た。
そしてその向かい、四十前後とおぼしきスーツにネクタイ姿の男性はこちらに微笑みかけると立ち上がる。
背が高くがっしりとした体格はまるで格闘家のようで、それでいて顎髭を蓄えた威厳に満ちた顔は『素敵なおじ様』『大人の魅力』そんな表現が浮かぶ紳士的な雰囲気を併せ持っていた。
自分の父親と同世代のはずなのに、中年というのは失礼な感じがする。
「着くのが遅くなってすまなかったね」
想像通り低くて渋い声だった。
叶斗の父親の弟だと自己紹介をした後私に向かいの席を勧める。
「どっちが勝った?」
私と暁史のやりとりをよそに叶斗がそんな事を言い出した。
「蒼ちゃんや」
叶斗の向かい、暁史の隣に腰を下ろした伊緒里が答えた。
「なんだ、せっかく秘策を授けてやったのに」
「あの札叶斗が渡したもんかいな!まぁ確かにええとこまで行っとったで。せやけど大人の蒼ちゃんに勝つのは無理や」
「ふぅん。楓太相手に本気を出すとは大人気ない事をするんだな」
叶斗の冷めた視線を受けて蒼があからさまにムッとする。
「ボクにだって事情があるんだよっ!だいたいかなちゃんの水穂に対する態度の方がよっぽど大人げないよ!」
「なんだと?僕はこうして付き合ってやってるじゃないか」
「あの…」
二人を止めなければと思った。
このままでは二人に挟まれたこの席はものすごく居心地が悪い。
「どうしてそう素直になれないの!?かわいくないなぁ」
「かわいいなんて思われたくもない」
しかし、やめてくださいの一言は二人の耳を素通りしてしまったようだ。
「前は怖い夢見たとか言って僕の布団に入ってきてすごく可愛かったのに」
「そうや。うちかて風呂にも入れたったし、オムツもかえたで!」
伊緒里が自慢げに飛び入り参加をする。
「うるさい!いつの話だ!!」
「ほんの十年ちょっと前だよ」
「止めるの聴かんと木に登って降りられへんで泣いてたときも助けたったで」
「やめろ!どうしてそうつまらないことばかり」
「喝ーーツ!!」
延々と続くかと思われた言い争い――というか途中から叶斗の幼少の思い出暴露大会になりつつあったが――は迫力の気合いによって終止符が打たれた。
空気までビリビリと震えているようだ。
「いい加減やめないか三人とも」
気合いの一声から一転、暁史は落ち着いた声で三人を諭した。
叶斗は渋々、蒼と伊緒里は何事もなかったかのように姿勢を正して座り直す。
「騒がしくてすまないね」
「いえ…」
「本題に入ろうか」
本題、暁史がここへ来た理由だ。
暁史は足元の鞄から分厚い冊子を取り出した。
「君にはこれからここに記された術を覚えてもらわなくてはならない」
手渡された冊子をめくってみれば難しい字が並んでいる。
「基本的な術をできるだけ簡単にまとめたつもりだ。重要な術は口伝でのみ伝えられるためそこには記されてはいない」
まずは基本から覚えろということらしい。
基本といっても簡単に覚えられそうもなかった。
「なに、叶斗に教えてもらえばいい。もちろん覚えただけでは術の完成にはならない。あとは実戦で習得してもらいたい」
「実戦て、危なないんか?」
伊緒里が心配してくれたのか口を挟んだ。
「そのために昨日この辺りで起きた妖怪がからんでいると思われる事件から危険の少ないものを調べておいた。叶斗と蒼と共に解決にあたってほしい」
私の不安を読み取ったのか、暁史はすぐに申し訳なさそうに付け足す。
「我々も、ここまでの事を君に課すのは正直心苦しい。普通の生活を送らせてあげれるものならばそうしたい。しかし…榊河の直面している事態がそれを許さないのだよ」
「直面している…事態…ですか?」
暁史はああと頷く。
「夜稀。それが榊河が相手にせねばならない妖の名だ。彼は榊河の式神だった」
「式神が…敵?」
「元、式や。夜稀は人間に裏切られた思っとる」
悲しみとも憤りともつかない感情が伊緒里の表情をかすめた。
「夜稀は榊河に復讐するつもりや」
「夜稀と戦う事になれば蒼の力は不可欠だ。君には自分の身くらい自分で守ってもらわなくては話にならないというわけだ」
伊緒里の言葉を叶斗が引き取った。
「本当に、私でいいんでしょうか?私にできるかどうか」
ここにきて自身がなくなったというのは少しはあるが、それ以上にやはり蒼の主人は叶斗の方がいいのではないかと思えてならなかった。
「やってもらわなくては困る」
「蒼くんを榊河くんにお返しすることはできないんでしょうか?」
「それができれば苦労はないな」
「水穂が使った術は通常式の儀に使うものと違うんだ。だから解呪の方法がみつかってないんだよ」
蒼の声は優しかった。
しかし彼の言葉を言い換えれば一生このままかもしれないということになる。
だからこそ私に託すことに榊河家は決めたのだ。
「君にならできると八重殿も判断されてのことだ。我々ができるかぎりサポートする」
暁史のその言葉に少しだけ勇気をもらい、私は今度こそ本当に覚悟を決めるしかなかった。
いつも読んでくださっている方、初めて読んでくださった方、本当にありがとうございます。
読んでくださる方がいるということに感激です。
さて、この「榊河家と式神」では登場人物がいっきに増えました。
これから活躍させることができればなーと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。




