あとがき
最後までお読みいただいてありがとうございました。千場 葉と申します。
『バタフライエフェクト・ヒーロー』いかがでしたでしょうか?
本作は前作『異世界転生できませんでした。』に続く、千場にとって二つ目の短期連載となります。
そして、一切ファンタジックな要素を用いなかった、初の作品でもあります。
「小説家になろう」に来て一年半、ある意味では、初めていわゆる「ライトノベル的」ではないものを書いた、そういった形でしょうか。書いている側にとってはそういう意識は無いものですね。いつも通り夢中になって書き上げた、それだけです。
このお話の発案は、数ヶ月前の閃きでした。
まさに本作第一話と同じく、道ばたの歩行中に思いついたものです。
普段は気にも留めない車の列。歩行者にとっては、または、運転している一車のドライバーにとっては、避けるべき障害物でしかない色とりどりの鉄の箱。
しかしそこにはそれぞれの目的地があり、経済や個人の生活に大なり小なりと影響を与える、そんな活動があるわけです。
もし、何かの影響で、その走行が十分遅れたら。
もし、何かの影響で、その走行が十分早まったら。
もし、何かの影響で、辿り着くことがなくなってしまったら――
それはまさに蝶の羽ばたきが起こした微風のように、波及的に様々な場所に影響を与えるのではないでしょうか。
例に限らず、あらゆることが、あらゆる力をもった羽ばたきなのではないでしょうか。
そして、「情けは人のためならず」という、古い言葉があります。
「人にかけた情けは、巡り巡って自身への恩恵となる」。
もちろん実際にはわかりません。
かけた情けで逆に打ち据えられる、人の面倒に首をつっこんで骨折り損、なんの得にもならないヤブの蛇を突いたという経験は、きっと誰しもにあると思います。
もしくは陰徳と言われるもので、やったからといって誰に何を褒められるでも、利益を得るでもない、自己満足で終わっているものもきっとあるでしょう。
でも、実際にはどうなのでしょう?
返ってくるまでの期間が長すぎたり、全く関連性の無い形で現れたり……
もしくは、それによって一過性の不幸に見舞われることが、先へと繋がる恩恵だったり――
ひょっとすると返ってくる恩恵は、人の頭を超えていて認識できないのかもしれません。
もしかすれば、その「情け」は、
巡り巡りながら力を増しつつ、「弱きを助け、悪しきを挫いて」いるのかもしれません。
――電車内に転がった、誰かの捨てた空き缶を拾う。
――お店の人が間違えた、多めに手渡されたお釣りを返す。
さぁ、次はどんな正義の羽ばたきが起こるでしょうか?
明日の「BE・ヒーロー」は、あなたかもしれません。