140.法王に会うために①
「「「はあああああああ!?」」」
ティライザ、アイリス、ジェミーの驚いた声がティル部の実験室にこだまする。
「なにやってんですか! もうすぐ戦端が開かれちゃうんですよね?」
ティライザが珍しくテーブルをバンバンと叩きながら怒っている。
まあ自分の苦労が無駄になるかもしれないので、怒って当然ではあるんだが。
邪眼ビジョンで戦場付近を見てみると、オズワルド軍はシュズベリー砦の傍の川に到達したところであった。
離れた森の中ではアイザック軍が伏兵を配置しており、頃合いを見計らって突撃するつもりでいるだろう。
まさに戦闘開始直前といえる。
「法王の同意は間違いなく得られるって言ってましたよね?」
アイリスが信じられないといった感じでプルプルと震えている。
「間違いなく得られるとは言ったが、同意を得たとは言っていない」
現在のダグザ教法王は老齢の女性で、高潔な人物。
人間同士、同国内で争うことに心を痛めているらしいし、提案を拒否することはないはずだ。
「どうすんだよこれ……」
ジェミーは頭を抱えた。
「落ち着け、まだあわわわわわ……慌てるような時間じゃない」
「めっちゃ慌ててるじゃねーか」
「ジェミー。よく考えてください。アシュタールが本当に慌ててたら謎言語になるはずですよ」
ティライザがジト目でツッコむ。
言われてみればそうだな。別に騙すつもりでやってるわけじゃないんだが。
さすが賢者様は鋭い。
「そういえば……。ってことは何か秘策があるのか?」
ジェミーとアイリスが期待に満ちた目で見てくる。
「いや、秘策なんてないが……。法王に会って話をつければいいだけだろ」
俺の答えを聞いてティライザがため息をつく。
「時間がないんですが……。そんな簡単に会えますかね。世界三大宗教の筆頭、ダグザ教のトップなんですよ」
「アイリスなら伝手とかないか?」
ジェミーの質問にアイリスは首を左右に振る。
「対立しているわけではありませんが、気軽に会えるような関係ではありません。いきなり押しかけて会うのは無理かと。それよりも国王陛下から親書などいただくというのはどうでしょうか?」
アイリスの提案に今度はティライザが首を左右に振った。
「今は無理ですね。ユフィはもう戦場にいるんでしょう? この時期の国王は錯乱していて話にならないんで」
「親馬鹿だな……。もう戦場に行くこと自体を止めさせろよ」
俺が呆れながら言うと、ティライザがため息をついた。
「戦場に行くのはユフィの意思ですし、馬鹿親に止められるとでも?」
「ああうん……すまんかった」
「まあ、ユフィの心配なんてしなくていいとは思いますけどね。逃げ場もないくらい完全に包囲されたりしない限り」
ユーフィリアは当代の勇者であり、人類の中でも最強クラスの戦闘能力がある。
そう簡単に仕留められるわけがない。
味方も最悪ユーフィリアだけでも逃がそうとするはずだし、ちょっとさえ時間を稼げば転移魔法で逃げられる。
そういうわけで彼女の心配などする必要もないはずなのだが。
「ダグザ教団に知り合いがいる奴はいないか?」
「ローダンの一般信徒でよければ顔見知りの方はいます」
アイリスの所属するブリジット教団のローダン本部と、ダグザ教団ローダン支部は近所にある。
ゆえに、たまに会話する程度の関係の人はそれなりにいるようだ。
もっともローダン支部の一般信徒と仲が良くても、今回の件では役に立たないけど。
「アタシもそんな感じかな」
「私も似たようなものですかね」
「嘘つけ。ティルに教団関係者の知り合いなんていないだろ。むしろそれ以外の知り合いもほとんどいないくせに」
ジェミーはティライザにツッコむが、当のティライザは平然としていた。
「居たって居なくたって今回のケースでは同じようなものだから言ったんですが?」
ティライザに友達がいない問題は置いておくとして、このままここで話をしていても時間の無駄であろう。
俺たちはアイランド王国首都ダブラムに転移した。
アイランド王国首都ダブラムにあるダグザ教の本部――聖ダブラム大聖堂。
ダグザ教徒は自らの神を三大神の主神であると考えてる。
そこにあるのは荘厳な大神殿であった。
立派ではあるが実用性を重視しており、いざというときは立て籠れるように堀や塀で守られていた。
資金力という点ではスコットヤード王国にあるアンガス教団には勝てないであろう。
アンガス教団は商売の神様であり、その資金を生かして絢爛豪華な神殿を建立していた。
世界で唯一、第六魔災以前に作られた大神殿である。
俺たちは聖ダブラム大聖堂を少し離れたオープンカフェから観察していた。
「ほえええ……。立派ですねえ」
アイリスが感嘆の声を上げた。
「そりゃあダグザ教の本部だからな」
俺は大聖堂の入り口を見る。
敷地内にはいくつもの建物があり、各所で警備兵が見張っている。
入り口も門番がいて不審者がいないか周りを見ていた。
警備はしっかりしているようである。
「むしろブリジット教団の本部がこじんまりしすぎているだけじゃね」
「ブリジット教は東方の小国が中心で、寄進者も他の2宗教ほど多くないのですよ」
ジェミーの指摘にアイリスが不機嫌となった。
豊穣を司る神であるため、都会より田舎で支持されている。特に農民に。
当然ながら集められる資金ではダグザ、アンガスに勝てるわけもなく。
「それよりさ、こんなところで呑気に朝飯を食ってていいのかよ」
ジェミーがパスタをズルズルと啜りながら喋る。
「まず口の中に物が入っている状態で喋らないでもらえますか。あと呑気に食事しているのはあなただけです」
ティライザがまとめてツッコむ。
俺とアイリスはコーヒーを飲んでいるだけだし、ティライザはミルクだ。
「腹ごしらえをしたら乗り込むんだろ?」
ジェミーらしい単純な解決策を皆が否定する。
「馬鹿なこと言わないでください。無謀ですね」
「神殿の一つや二つ、アタシらなら強行突破できるだろ」
「聖ダブラム大聖堂は厳しいです。ダグザは戦の神。それを信奉する彼らは独自の戦力を持っています。不可能だとは言いませんが、あの神殿に立て籠られたら面倒ですよ」
「そんな争い事を起こすのは賛同できませんね」
アイリスが温厚な神の教義に従い否定する。
そもそも敵対しているわけではないので、いきなり襲撃とか論外である。
ダグザ教団本部は確かにアイランド王国にある。
しかし、ダグザ教団はほぼ独立した小国家のようなものだ。
独自の戦力――神殿兵を持っており、彼らは王命ではなく法王の命に従っている。
聖ダブラム大聖堂もいざというときは立て籠れるようになっており、アイランド王国もうかつに手を出せない程度には堅牢である。
国内で信者が多い宗教を不当に弾圧すれば国民は不満に思うから、そもそもそんなことは普通できないんだけど。
「じゃあどうするんだよ」
「それを考えるためにいったんここに来たんだが」
俺は大聖堂の様子を窺う。
距離があるため、門番もこちらを警戒してはいない。
「まず普通に面会を希望してみては?」
アイリスが穏やかなプランの提案する。
「それで会えるならすべて解決しますね。まあ無駄でしょうけど」
ティライザが否定的な意見を述べる。
「そこを交渉でどうにかするのが賢者様の仕事なんじゃねーの?」
「ふっ。短気な戦士ならともかく、頭脳明晰、冷静沈着な賢者がそんな挑発に乗るわけがないですね」
ティライザがジェミーを鼻で笑う。
しかし、ジェミーには予想できた反応だったようだ。
わざとらしい態度でやれやれと肩をすくめた。
「あー、やっぱりできないんだー。ティルが賢者として役に立ったことってほとんどないしなー」
「なななな、なにをぉ! いいでしょう、賢者の交渉術を見せてやりますよ!」
あっさり挑発に引っかかったティライザがミルクをグイッと飲み干すと、大聖堂の門へと早足で向かっていった。
「絶対に冷静沈着じゃないな。むしろ賢者かも怪しい」
俺は半眼になりながらつぶやく。
「ジェミーさんはティライザさんをのせるのがうまいのですよね」
アイリスが苦笑いしている。
「うまくいくとよいのですが……」
交渉に全員ついていく必要もないので、俺たちはカフェから見守った。
大聖堂の門までは距離がある。
俺は邪眼ビジョンを飛ばす。
飛ばしているのは目だけだが、当然声も拾える。
「あのーすいません」
ティライザが無表情で話しかける。
「どうしたんだいお嬢ちゃん」
40歳前後の門衛が応じる。
「法皇様にお会いしたいのですが」
ティライザが単刀直入に用件を告げる。
交渉術はどこいった。
「あー、うん。そうだねー」
門衛は苦笑している。もしかするとよく聞かれることなのかもしれない。
「法皇様はとてもお忙しい方なんだ。人前に出てお話をする機会はあるから、そのときに来てくれるかな」
あっさりと拒否される。
そう簡単に色よい返事がもらえるようなら苦労はないわけで。
「とても大事な話があるんです」
「うんうん、わかるよ。でも法皇様も今大事な用事があってね」
ん? なんだこの門番の態度。適当にあしらっているのともまた違うな。
「こっちはそれ以上に大事な話なんです!」
ティライザがイライラしだして声が大きくなっている。
「うん。そうだね。すごく大事なことなんだね。ところでパパかママは一緒に来ているよね? どこにいるかな」
あ、これ完全に子ども扱いされてますわ。
「そんな子供じゃないし! 私は賢者です!」
「あーそうなんだ。なれるといいね。賢者様に」
「だから魔王を倒した賢者だって言ってるでしょうが!」
ティライザがいつもかぶっている帽子を地面に叩き付けて怒る。
これもうダメだろ。
「すいませーん。ウチのお子ちゃまが失礼しました」
パスタを食べ終えたあと、近くで見守っていたジェミーに羽交い絞めにされ、撤収した。
「何をするんですジェミー! あなたが交渉してこいと言ったんでしょうがっ」
ティライザがじたばたと暴れているが、戦士の力にかなうわけもなく。
オープンカフェまで戻ってくるなり、明らかに不機嫌になっているティライザが俺たちに告げる。
「攻め滅ぼしましょう」
ダメだこいつ。早くなんとかしないと。




