118.破棄
主に精神的な意味ではあるが、体調が回復し学園へと向かう。
教室はいつもよりまばらであった。
「おや、お早い回復ですね」
ティライザが意外そうに見つめてくる。
「俺は早いほうなのか?」
「この教室を見ればわかるでしょう」
「確かに人が少ないな。で、諸悪の根源は?」
「ひどい言われようですね……」
アイリスがつぶやく。
もっとも否定しない以上、彼女も同じように思っているということだ。
「国王も伏せてますので。代理でできることをやっているようです」
ティライザの言葉で、ユーフィリアがヒーヒー言いながら苦手な事務作業をしている様が目に浮かぶ。
しかし――。
「自業自得だからほっとくか」
「はい」
ティライザが容赦なく頷く。
「いくとしたらジェミーのお見舞いですかね」
ジェミーもまだ回復していないとのこと。
ジェミーは家族と王都に住んでいるらしい。
それほど広くないマンション住まいだとか。
「見舞いに行っても大丈夫な状態なのか?」
「そりゃ食べた直後に魔法で治療してますから。むしろなぜ何日も休んでいるのかわからないくらいですね」
「それは食べた者だけがわかる」
俺は呻くように語る。
「口に入れた瞬間は平気なんだ。刺激物じゃないからな。だが一瞬遅れてやってくる強烈な吐き気。これは食べ物なんかじゃないんだと体が告げてくれる」
「あ、すいません。こっちも気持ち悪くなるので聞きたくないです」
「食材への冒涜になりそうなので……」
ティライザとアイリスが俺の説明を遮る。
「おのれ……」
俺は恨み言を言うが、二人は平然としていた。
俺は見舞いは彼女らに任せることにした。
その数日後のこと。
俺が暗黒神殿に戻ると爺やとジェコが待っていた。
「珍しいな」
まだ早い時間である。
ブリトン王国首都ローダンでの顔を持つ二人が、こんな時間に戻ってきていることはあまりない。
アドリゴリやガレスらも一緒だが、こちらは別に珍しいことではない。
「一つ問題が発生しまして」
そうは言いつつも、爺やは涼しげな表情である。
大した問題ではないだろう。
もっとも、爺やなら深刻な事態でもいつものすまし顔でいるだろうが。
爺やが本気で驚いた姿など俺でも見たことがない。
「ブリトン王家より書状がきております」
もちろん暗黒神殿に届くわけがない。
彼らはこの場所を知らないのだから。
俺たち3人はそれぞれローダンに仮宿を持っている。
戸籍上の家というやつだ。
もちろん実際に家はある。
マンションの1室だったり、小さな一軒家だったりだが。
家財道具は一式そろっているが、ほぼ住んでいないので生活感はない。
そこに書状が届いたというわけだ。
「正確に言うと、使者が来ました」
ジェコが告げる。
「使者?」
「はい、私がたまたま様子を見にいったらいました。アシュタール様を食事会に招待したいとのことです」
「食事会ねえ……」
俺は首をかしげる。
そりゃ王侯貴族というのはちょくちょく食事会だのパーティーだのを開いているものである。
しかしそんなものに俺が招待されるのは初めてであった。
「なんでも、国王の娘に会ってほしいとか」
「いや、よく会ってるだろ」
娘であるユーフィリアとは頻繁に会う仲である。
「いえ、ユーフィリア殿ではなく、その姉だそうです」
「姉と言うと……」
「ドロシー・プランタジネット。20歳の姫君ですな」
ドロシー・プランタジネットはユーフィリアの姉ではあるが、残念ながら妹ほど目立った存在ではない。
勇者であるとか戦闘の才能に優れているわけでもなく、容姿もことさら優れているわけでもない。
妹のほうがはるかに評判がよいであろう。
それでも姉妹の仲は良いらしく、ドロシーを悪く言う者はいない。
穏やかで優しい性格だとの評判であった。
大国の姫君とはいえ、勇者でも何でもない人物など俺が注意を払っているわけもない。
ここ何年かは見た記憶もないな。
「そんなのと会ってどうしろというんだ?」
俺の問いに爺やが苦笑する。
「もちろん縁を深めたいのでしょう」
「縁といわれてもな。第一ユーフィリアとの関係はそれほど悪くないのだが、それではだめなのか」
「おそらく、それ以上の縁がほしいのでしょう。婚姻を視野に入れているのかと」
ブリトン国王は親バカで有名である。
娘は嫁には出さんと公言してはばからない。
その態度が軟化したのは年齢のせいだろうな。
子供のうちはそんな風にいう男親は珍しくもない。
しかしある程度の年齢になれば普通言わなくなる。
それより上の年齢になると、「おい、結婚はまだか」とか「早く孫の顔が見たい」とか真逆のことを言うようになる。
理不尽なものである。
この世界の王侯貴族で20歳で未婚というは相当遅いんじゃないだろうか。
誰かにそんなことを言われたんだろう。
「殊勝な心掛けですな。確かにこの世の女性はすべてアシュタール様のものなれば、当然といえば当然なのですが」
「残念ながら俺の手はそんなに広くないんでな」
相変わらず頭がおかしいジェコの発言は放置する。
「そんな食事会になど出る気が起きん。断っておいてくれ」
「よいのですか?」
「なにがだ」
俺は爺やを見る。
「そういった場でうまく立ち回ることもよい経験かと思いましたが」
「……なるほど。そういう意見もあるな」
俺はあごに手を当てて考える。
修行と考えれば、時間の無駄というほどのことでもあるまい。
一度も出ずに断るというのは礼節を欠く行為かもしれないし。
「しかたない。1回くらいは顔を出すか」
爺やに丸め込まれ、俺は食事会に出ることにした。
「これで問題解決ですな」
「ん? 結局問題とは何だったのだ」
「ジェコが先走って合意してしまったことです」
「なにを」
俺は嫌な予感がして眉をひそめた。
「婚約を前向きに進めると」
「ちょっと待てや」
「適当に頷いていたら、そういうことになっていました」
ジェコは悪びれない。
「どうせこの世の女性はすべてアシュタール様のものでございますれば」
また同じことを言ってやがる。
「それとも、何かその女性を気に入らない理由でもありますかな。たとえば顔とか」
「別に醜悪な顔というわけではない。第一顔だけで判断するのも良くないだろ」
「確かに、顔だけで判断されてしまうとアシュタール様も――ごほぁあっ!」
何か言いかけたガレスがはるか遠くまで吹っ飛んで行った。
「愚かな……」
アドリゴリがつぶやいた。
「まあ婚約なんざ断るが、1回は顔を出したうえで直接言うのが礼儀か」
俺はため息をついた。
後日。
約束の時間の少し前、俺は招待状を持って王城ウォーリックに向かう。
服装はタキシードである。
門番に招待状を渡すと、会場に案内された。
広めのホールであり、たくさんの人が集まっていた。
あれ?
初顔合わせだし、少人数での食事会形式なんじゃないの?
「本日はよく来てくださった」
国王リチャード二世が笑顔で俺に話しかける。
貴族たちも集まっていて、挨拶をしてくるものも少なくない。
見知った顔もいた。
「いやはや。姉のほうだとは予想外でした」
バンクオブブリトンの頭取、ベン・スプリングフィールドが小声で話しかけてくる。
「なにがだ」
「またまた。どう見ても妹君の方と仲がよさそうだったではないですか」
「いや。正式に話を受けたつもりはないんだが」
「確かに、正式発表はまだですな。しかし色よい返事をしたから話が進んでいるのでは?」
ベンは頭をかく。
「ああ、ちなみにこのパーティーはお見合いとは別です」
「んん?」
「予想以上に好感触だったので、陛下が張り切ってパーティーもついでに開いただけらしいですよ」
親バカなのは変わってないらしい。
もはや婚約が成立したような状況であった。
あれ? この雰囲気断りづらくねえ?
どうしたもんかなと俺が迷っていると、相手の準備ができたらしい。
別室へと案内される。
「お待たせして申し訳ありません。アシュタール様」
小さいながらも調度品が整えられた豪華な部屋。
その部屋で待っていたドロシーは優雅にお辞儀をする。
うわさ通り穏やかな表情である。
しかし――。
「ブッサ。婚約破棄するわ」
ドロシーを見た瞬間俺はつぶやいた。
数年見ない間にかなり太って、見るも無残な姿になっていた。
顔も脂ぎっていてテカテカである。
まるで別人のようであった。
容姿だけで判断するなといっても限度がある。
この数年でいったい何があった。
この日、俺とブリトン王家の関係が深まることはなかった。




