117.婚約
ブリトン王国国王リチャード二世は1週間ほど寝込んだ。
その原因はとある事情によって公表されることはなかった。
寝込んだ王のために料理をしようとした少女がいたという話もあるが、実際に彼女が台所に立つ機会は訪なかった。
周囲の苦労が偲ばれる。
周囲の者が全力で止めたのであろう。
執務に復帰し、遅れを取り戻すように精力的に活動するリチャード二世。
そこにユーフィリアがやってきた。
「お父さん。何か用ですか」
愛する娘に問われ、リチャード二世は手を止める。
それほど忙しくもない時期であり、現状順調たまっていた仕事も片付きつつあった。
「うむ……」
リチャード二世は歯切れが悪い。
「ちょっと! 呼んでから言うかどうか悩まないでよね」
ユーフィリアが腰に手を当てて文句を言う。
「そんなに言いづらいことなの?」
「まあ、そうだなあ。話というのは婚約のことじゃよ」
「えっ!?」
ユーフィリアは素っ頓狂な声を上げた。
「ま、まさかまたヴィンゼントが?」
ユーフィリアが即座に思い浮かんだ相手は、スコットヤード王国第一王子である。
幾度となく婚約を迫られ、断るのに苦労した。
しかし現在はその話は消えている。
またそんな話が出てくるわけもない。
仮に持ちかけられたとしても、即座に断るであろう。
リチャード二世がそんなことで悩むはずもなかった。
「そんなわけなかろう。あんな男に娘は絶対にやらんわ」
リチャード二世が強い口調で告げる。
「そろそろ年頃だし。婚約、そして結婚を考えねばならんと思ったのじゃよ」
「なんでいきなりそんな話になってるの? この間まで『娘は絶対嫁に出さん!』とか息巻いていたのに」
ユーフィリアが小首をかしげた。
ユーフィリアとしてはすぐに誰かと婚約とか、そういったことに興味はなかった。
なので父の態度はとてもありがたかったのだ。
現在も全く興味がないかと言われれば少し違うかもしれないが。
「貴族たちとそういう話になってな。すぐにするかどうかはさておき、いい加減相手の検討くらいはしてもいいのではないかと」
王国の安定のために、血族というのは重要である。
多すぎたらそれはそれで争いの種になるが、少ないのは困る。
ユーフィリアは第二王女であり、当然姉がいる。
それと弟が一人。
まだ10歳と若いが、将来的には弟が王位をつくと目されていた。
もっとも魔王を討った勇者であるユーフィリアを推す声も少なくはないが。
貴族にとってみれば王族の嫁ぎ先は非常に気になるであろう。
しかしユーフィリアはそんな政略結婚はまっぴらごめんである。
「だが有力貴族の子弟にろくなのがおらんからな。そんな奴らに嫁に出す気にはならなかった」
ユーフィリアは父の言葉に頷いた。
ブリトンの若い貴族には問題があるとユーフィリアも思っていたのだ。
態度が悪い。勉学や武術にそれほど打ち込むわけでもない。
平民を見下すものも少なくない。
半世紀ほど前までは自分たちも平民だったくせに。
ユーフィリアはそんな印象を抱いていた。
「じゃあこの話は結局なしということ?」
「いや、一人だけ嫁に出しても惜しくない男がいたのを思い出したんじゃよ」
「そんな男居たかしら?」
ユーフィリアが思案にふける。
父が認めるような立派な貴族には心当たりがなかった。
「アシュタールという少年じゃな」
「ほあ!?」
ユーフィリアが盛大に驚く。
「何を言ってるの? アシュタールはブリトン人ですらないわよ」
リチャード二世は一瞬驚くような顔をしたが、すぐ真顔に戻った。
今の言葉から察するに、アシュタールなる者は自分の正体について一切娘に伝えていないようだ。
ならば、自分も一切の情報を伝えるわけにもいくまい。
盟約に関することである。
「身分で選ぶわけではない。優秀な者と縁を結ぶことは意味がある」
歴史を紐解けば、魔王を倒した勇者であれば王族に迎え入れられた例は少なくない。
もっとも、今回の件に関して言えばそういったものとは微妙に違うのかもしれないが。
「でもでも……。いきなりそんな」
「いきなりなのは間違いない」
「いやでも、いつかはそうなることも考えてたわけだし」
ユーフィリアは顔を赤らめ。体をくねらせる。
「うん?」
リチャード二世が怪訝そうに、いきなり変になった娘を見つめる。
「そ、そうよね。こういう機会がないと進展しそうにないし、覚悟を決めてやるしかないのよね」
「どうしたんじゃ?」
ユーフィリアは両手を頬にあててブツブツとつぶやいている。
よくわからずリチャード二世が話しかけた。
「ううん。こっちの話よ」
「それで、婚約の話なんだが」
「わかってるわよ。いきなりだからびっくりしたけど」
ユーフィリアは決断すると、すぐに頭を切り替えた。
「お前でもびっくりするのか。やはりどう伝えるか迷うのう」
「えっ。だれに?」
二人とも首をかしげる。
「なんかちょいちょい話がかみ合ってないのう」
「そうよね……」
「縁談、お見合いの話じゃぞ?」
「うん、わかってるわよ。うまくいけば婚約よね」
「そう。ドロシーのな」
「ほえっ!?」
ユーフィリアは再度素っ頓狂な声を上げる。
「ね、姉さんの?」
ドロシーはユーフィリアの姉であった。
4歳違いで、先日20歳となった。
「そうじゃ。さすがに20にもなったし、いい加減話を進めようかと思ってな」
リチャード二世としては、だれか自発的に好きな人を見つけるかもしれない。
それが王家として良縁であれば理想的である。
そんな風に甘く考えていた。
実際はドロシーはそういった話には恵まれなかったようで、これまで噂すら立ったことがない。
「ああ、なるほど。それならまあいい――ってよくないわー!」
ユーフィリアが絶叫した。
姉が誰かと結ばれることは問題がない。
しかしその相手がアシュタールとなれば話が違う。
そんな娘の心境など理解できるわけもない。
リチャード二世はわけがわからず首を傾げるのみであった。
こうしてアシュタールにお見合いの招待状が届くのだった。




