孤城に座する
葉が頭にぶつかり、小さな足で、土を巻き上げる。
世界は無限に広く、空は蒼く、そして熱かった。
背の高い草木群は、まるで要塞のように見え、遠くに広がる森林は、まったくの新天地である。
「わぁ!」
子供は、叫ぶ。
何に叫んでいるのかは、分からぬ。
それでも、叫ぶ。
それは、自由と、空へと続く、声だった。
ただ、声を上げて、言語化できぬ、その想いを、表現したかったのだろう。
色とりどりの華が見えて来、更に、空が蒼くなる。
その声は、熱は、何処までも続いてゆく気がした。
永遠に途切れぬ、その声は、あの、内臓が沸き立ち、さわやかな何かが、体を貫く感触が、忘れられない。
__忘れられない
忘れたく、無かった。
いつまでも、子供で居たかった。
「…んっ」
「起きましたか、アモル将軍」
「……ああ、俺は、寝ていたのか」
何も思い出せない。
体が重い。戻りたくない場所に、戻ってきてしまった。全身から冷や汗が垂れ落ち、咄嗟に、嫌な気分になる。
寒い。石窓から、吹雪が漏れ入って来る。
その寒気は、嫌な予感と共に、襲ってきた。
「将軍、アルバ・ドール陛下の本隊は、北へ向かわれました」
憔悴し、寒さに震える寝起きの男に向かい、その、部下と思わしき女性は、容赦なく続ける。
「……何だと」
男は、寝床の上で、少し、ふらついた。急に、目の前が真っ暗になったような、足場が無くなったような、そんな感覚に陥る。
また、眠たくなる。
「もう、この城には、戻られぬでしょう」
「……待て、待て…グレイ」
思い出した。グレイ。そう、女性を呼び止めつつ
「待ってくれ…この城には、まだ、三千もの兵士が残っている」
「そうですね」
しばらく剃っていないのだろう。
薄髭を撫でつつ、黒い長髪の男は、焦っている。
「な…何か」
「何か、策を」
「次の、作戦を…」
焦っている。この様な非常事態に、あんな夢を、見たせいだろう。
得体のしれぬ不安が、つきまとっている。
(俺は、現実から逃げたいのだ)
「…アモル将軍、先ずは落ち着かれよ」
「また、来ます」
王の使者から渡された書状を置くと、グレイは部屋から出て行った。
「…まだ、ゼナ様が、お嬢様が、居られる」
男は、若将軍は、狂った様に、何度も呟いた。
何回も瞬きをし、深く、深く、深呼吸をする。
汗まみれの体を拭うこともなく、目を瞑り、顔を覆った。
男の座する、南の孤城は、既に敵雲の中であった。
その地を支配していた王は、配下を捨て、北へと逃げ去り、堀を深くし、壁を築いた。本格的な、冬籠りである。
孤城は、王に、棄てられたのだ。
(だが、まだ、希望はある)
北王アルバ・ドールの娘であり、氷の戦姫、ゼナ・ドールは、未だ健在である。
齢、二十七と少しなれど、その戦上手は、国内外に響いている。
彼女は、男の、直接の主人でもあるのだ。
希望は、ある。
「お嬢様が、まだ、居られる」
「夢は無くとも、使命がある」
使命、それは、ただ、主を信じ、この、南の孤城を守るという使命である。
「使命がある、希望もある…」
「お嬢様は、必ず、この城を取り返しに来て下さる」
ふと、石窓から思い切り頭を出し、目を凝らして、下を見れば…槍や斧を、稲穂のように揃え、恐らく、二万近いであろう軍勢が、吹雪の中、コチラを睨んできている。
「希望は、ある」
目は、覚めた。
アモルは、そして、決断した。
再び、側近の、グレイを呼び出す。
ずっと、直ぐ側で待機していたのだろう。
彼女は、ため息をしつつ、青髪を掻き上げつつ、ノックをし、部屋に入る。
「この吹雪、まだ続くかな」
「恐らく…魔法で雲の動きを探知した所、あと半日ほど続くと思われます」
若将軍の判断は、速かった。
少し微笑みつつ
「よし、グレイ…百本ほど、魔法製の松明を用意するように、ガンダフに伝えよ」
「出陣だ」
「この吹雪の中…将軍自ら?」
「ああ、吹雪だからこそ」
「……なるほど、わかりました、あの脳筋バカに伝えておきます」
「ああ、それと、グレイ」
「老将軍と、守護将を、地下の広間にお呼びしろ」
どうやら、出陣に際し、同僚とも相談するらしい。が、あまり顔は合わせたく無いのか、表情は硬い。
二人は、与力として、アルバ・ドール王から授けられたのだが…籠城中、ずっと意見が合っておらず、仲も悪い。
「はっ、ただちに」
命令を受けると、また、グレイは去った。
それを見届けると、アモルは素早く短剣を帯び、軽装になる。
急がねば、吹雪が、止んでしまう。
何となく、寒さも和らいだ気がした。
(敵も、馬鹿だな…この吹雪の中、自他を判別する為の、目印すら持たせぬとは)
「…慢心か、グンニバル将軍らしくもない」
ふと、零す。
だが、それは、"南方"の蛮族と、何年も死闘を繰り広げてきた、不思議な感覚からであった。
まるで、ライバルのクセを見抜くような、戦友の欠点を指摘するかのような、いたずら心さえ、ある。
グンニバル――それは、敵の賊将の名であった。
南方の蛮族とは、言語体系から、何から何まで異なるため、名前等の発音がしづらく、覚えられぬことが多い。
ただ、グンニバルだけは別であった。
北の民族であろうと、自国の奴隷民であろうと、一切の差別をせず、敵将にさえ常に敬意を払う。
勝てば驕らず、敗れても恨まず。その器量に惹かれぬ者は少ない。
将兵からの人気も高く、敵味方を問わず、その名を知る者は多かった。
「グンニバル」北方の言語で、"高潔なる武人"という呼び名も、本来の名が発音しづらいがゆえに、アモルが付けたあだ名である。
彼の主、ゼナ・ドールに宛てた書状にも、わざわざ"侮れぬ者"と記すほどに、彼は、老獪な男でもあった。
(…罠か?)
とも、一瞬思う。
自分をおびき寄せ、討ち取る為の、罠かも知れない。
(いや、灯りを付けぬのは、罠以前の問題だろう…)
族達も、色々と大変なのだろう。そう、納得する。するしか、無い。
よく見れば、槍や長斧も、形が不揃いで、錆びている物が多い。
「……全ては、豊かな北方王国が悪いのだ」
胸が苦しい。
そう、アモルは、この、大国の将軍は、思った。
十八の時から征南将軍として、この地を治めてから、既に八年もの歳月が過ぎている。
八年間も、南方の蛮族と……民達と接していれば、彼らの人の良さが、よく分かる。
確かに野蛮ではあるが、面倒見がよく、同時に、人懐っこい性格をしている。
「だが、お嬢様の為にも、殺さねばならん」
彼らを、殺さなければならない。
言いつつ、アモルは、部屋に立てかけてあった、火炎魔法が仕込まれた長剣も、背中にかついだ。
それは、決意の表れである。
一連の身支度が終われば、すぐに部屋を出て、カンカン、と低い音を立てつつ、石階段を降りてゆく。供回りは居ない。余程、急いでいる。
急いでいる。
石階段を降りる最中、ずっと、敵兵達の唄が、聞こえていた。
「敵将アモルは部屋に籠もった、部屋に籠もった、火喰鳥を恐れ、部屋に籠もった」
アモルに向け、唄を、歌っている。それは、彼らの英雄、南雪山郡の火喰鳥を讃える唄であった。
火喰鳥は、彼らにとって、北伐の英雄であり、同時に、王国に対する、最大の自慢であるのだろう。
力強い、その声は、凍った地面に響き渡り、石城を揺らし、アモルの鼓膜を震わせる。
「…急がねば」
どうにかして、彼らの士気を挫かねば、怒号と共に、この孤城も、いずれは飲まれてしまうに違い無い。
アモルは、更に足早に、広間へと向かった。




