不機嫌の理由
夕方。
庭の掃除をしていた旭は、急に縁側の方が暗くなったのを感じ、顔を上げる。
「えっ、」
縁側に、旭や弥命の背を優に越える大男が座って、こちらを見ていた。
「よぅ、兄ちゃん」
古く色のかすれた着物に、土気色の肌。目は赤く血走り、白髪混じりの黒髪は、ざんばらだった。老人のように見える。旭は声も出ず、ただ大男を見た。それをじろりと見て、大男は再び口を開く。
「旭は、俺みたいなの視えて大変だなぁ」
それから、怒涛の勢いで話し出す。
「視えるのに何も出来ないってのも辛いね」
「いつも誰かが助けてくれるとは限らんぞ」
「自分の身も守れぬ」
早口の言葉は、全て旭に向けられた謗りだった。旭は顔を青くしながら、それを聞いている。
「何を言って……あなた一体、」
旭の微かな声には答えず、大男は続けた。
「おお、そうだ。だが、原因は全てあの……青髪の叔父貴か」
その言葉に、旭の肩がぴくりと動く。
「喧嘩腰で災を招いては、旭を巻き込んでばかり」
「厄はいつも周りが被る」
「力があるだけで、何も救いはせぬ男」
旭は少しずつ俯く。男の言葉は止まらない。
「けれども不憫な。旭がいなければ、もっと自由に生きれるものを」
「いつも旭を助けて守ってばかり」
「さぞ迷惑だろうに」
大男は立ち上がり、謗りながらゆっくり旭に近付く。そして、旭の背後に回ると、後ろから被さるように顔を覗き込む。血走った昏い目が、旭の揺れる瞳を捕らえる。
「なぁ、ヤツは旭を助けること、うんざりだと思ってるよ。お前もそう思うだろ?」
にんまりと、男が笑いながら揺れた。旭の頭の中に、今大男が並べた謗り、弥命の姿が浮かぶ。旭は大男の目を真っ直ぐに見据えて、言った。
「叔父さんが、本当にそう言ったんですか?」
ぴたりと、大男の動きが止まる。旭は、息を深く吸い込む。
「僕は。叔父さんが言ったことだけを信じます。他の誰かじゃなくて、叔父さんからの言葉を聞きますから。あなたからの言葉も、同情も、要りません」
ピシャリと言い放たれた言葉に、大男は動揺したように旭の周りで揺れる。
「本当はそう思っているくせに。強がりか」
しばらくぶつぶつと言っていた大男は、やがて旭から離れ、庭の外へ向かうように歩き出す。そのまま、フッと消えた。旭は、呆然とそれを見ている。
「旭」
静かだが、優しい声音に、旭はハッとする。
「弥命叔父さん」
振り向くと、縁側に弥命が座っていた。旭が駆け寄ると、弥命は不敵に笑う。
「とんでもねぇヤツだったな」
「……いつから居たんですか」
旭の硬い声に、弥命は肩をすくめる。
「よぅ、兄ちゃん、辺りから」
「最初からじゃないですか」
後は唇を引き結ぶ旭を見、弥命は笑った。
「目くらましされてたんだよ。怒ってんのか」
旭は一瞬戸惑ったような表情になるが、何も言わない。弥命はそれを一瞥し、息をつくと立ち上がった。
「一緒に来いよ、旭」
困惑しながら、旭は歩き出した弥命を追った。
「で、俺のところに来たと?」
工房ヤリガミネ。そこの主であるヤリハルは、怪訝な顔で弥命と、離れた場所の作品棚を見ている旭を見た。
「ここなら、旭の機嫌も直るかと思ってな」
そう弥命は零したが、作品を見ている旭の表情は曇ったままで、俯いている。
「あんまり、今回は効果なさそうだぜ?叔父さん」
にやりと笑うヤリハルに、弥命は、ちぇと言いながら後ろ頭を搔く。それを見ながら、ヤリハルは不思議そうに尋ねた。
「何でその大男、すぐぶっ飛ばさなかったんだ。いつもならお前、そうするくせに」
問われて弥命は、バツが悪そうな顔になった。
「ちょっと面白かったから、聞き入っちまったんだよ。旭が言い返すとか、珍しいし。危害加えようとしたら、目くらましごと即蹴り飛ばす気でいたんだけどな」
少し考え、ヤリハルは弥命を半眼で見る。
「……お前、自分一人で旭から聞き出すのが気まずいから、俺を使う気で来たな?」
「さて、何の話だろうな」
弥命は、ヤリハルから顔を逸らして言う。ヤリハルはそんな友人を睨んで、旭を呼び寄せる。
「まだご機嫌ななめか、旭」
旭はハッとした顔になった。
「すみません。作品を見せていただいてるのに」
ヤリハルは目元を和ませて笑う。
「気にすんな。大体分かったから。旭は怒ってるのか?」
旭は難しい顔をして、俯く。痛みを耐えるような、泣き出しそうな、普段見ない表情に、弥命は一瞬ドキリとする。
「怒ってるというか……気分悪い、です」
「変な大男にボロクソ言われて?」
「僕のことは別に、構いませんが。その通りですし。……僕だって叔父さんのこと、あまり分かってませんけど。それでも。叔父さんのこと知らないのに、叔父さんのこと悪く言われるのは、嫌、です」
きっぱりと、旭が言い切った。しん、と、場が静まり返る。弥命は、旭とヤリハルから目を逸らす。やがてヤリハルが、最初に笑い出した。バシバシと、弥命の背を叩く。
「だとよ、叔父さん!良かったねぇ」
「……外、出て来る」
弥命は煙草を出しながら、足早に出て行く。
「あの、」
旭は出ていく弥命の背と、笑うヤリハルを見比べている。
「心配すんな。ありゃただの照れ隠しだから」
「照れ隠し?」
ヤリハルはまだ可笑しそうに笑いながら、旭と、弥命が出て行った工房のドアの向こうを見る。
「そりゃ、目の前でどストレートにあんなこと言われたらな。浮かれるし、そんな顔見せたくねぇだろ」
旭は首を傾げる。何か考えるような顔をしているが、答えは出なさそうだった。
店から出た弥命は、二人から見えない死角に回り込む。
「参ったね、こいつは」
緩みそうになる口元へ煙草を運び、火を点けながら、弥命は呟く。さっきの旭の言葉が、まだ胸の中に響いている。旭からあんなことを言われたことも、それを喜んでいる自分にも、驚いていた。
(そういや、旭の本心聞いたの、初めてかもしれん)
吐き出した煙を、弥命はただ目で追う。
もう少し、この暖かな余韻を一人で味わいたいと思った。




