脳裏に焼き付く鉄火
王都最大の賭場であるカジノは国が運営する集金所のようなものだ。
そこへ赴く者は一発当てて大勝してやろうなんて夢をはなっから抱いていない。なんたって負ける前提の施設だからな。
魔法の発動を感知して警告音を鳴らす道具が各所に設置されているし、ディーラーは平然とした顔でイカサマを行使する。そして、それを咎める行為は無粋という極めて面白くない暗黙のハウスルールが敷かれているのだ。
要は金を持て余して仕方がないやつが金を捨てに行く場所である。賭場とは名ばかりの社交場であり、そこにいるやつらはどれだけ気持ちよく金を捨てられるかを競うことで自分の富をアピールするのだ。まことクソの極みである。
何の得も無いように見えてその実、国への献金になるので常連になれば顔を覚えてもらえるし、客同士でコネを繋ぐ場に使えなくもない。
羽振りの良さをアピールすれば言外に業績を示すことができる。相乗効果を生み出せそうなビジネスパートナーを発掘する場としてはそこそこ優秀なのだ。確実に金を失うというデメリットに目を瞑ればの話ではあるが。
くだらねぇよな。ヒリつかねぇ。客がはなから勝つことを諦めている賭けなんぞ、下っ端楽団の三文芝居を見るよりも時間の無駄である。唾棄すべき文化だ。
しかしながら、誠に遺憾ではあるのだが、こいつらに金のありがたみを教えるにゃお誂え向きの場所なんだな、これが。
俺は一つ指を立てた。
「必ず守るべきルールを説明しておくぞ。いいか? まず一つ、魔法は使うな。絶対にだ。イカサマは即刻出禁のうえに違反金を毟られる。悪質な場合は兵にしょっぴかれるぞ。勇者が王都の牢に繋がれるなんて冗談にもならねぇ。いいな?」
「分かった」
「私には関係ない話だな」
俺の忠告を聞いた姉上らは軽い調子で頷いた。ほんとに分かってんのかこいつら。
二本目の指を立てて言う。
「……次に二つ目。ディーラーには絶対に逆らうな。ディーラーが白っつったら黒色ですら白になる。そういうものだと納得しろ。口答えはするな」
「ねぇ、ディーラーってなに?」
「賭けの進行役だ。カード配ったりルーレット回したりしてるやつのことだと思えばいい」
「なぁ、るぅれっとってなんだ?」
「それは店に入ったら説明する。とにかく賭けを仕切ってるやつには逆らうな。いいな?」
「はーい」
「ん」
気のない返事だ。まぁ……賭場の様相すら知らんうちから言われても実感が伴わないか。
しかし中に入ってからでは遅いので前もって釘を刺しておく必要がある。俺は三本目の指を立てた。
「これが最後だ。三つ目、暴力厳禁。今から行くのは、賭場っつっても上品な部類なんでね。下衆な連中がたむろしてる場末のソレとはわけが違う。絶対に暴れるなよ? 淑女然とした振る舞いを心掛けろ。いいな?」
「もう! 私がそんなことすると思ってるの?」
人の香辛料をかっぱらうために上級魔法をぶっ放そうとしたのはどこのどいつだよ。
「手を出さなければいいんだな? 簡単なことだ」
淑女とは対極に位置する野生児同然のお前が一番心配なんだけどな……。
懸念点は消えないが、それを気にしていたらどこにも連れていけないのであえて無視する。ポンコツどもめ。出来の悪い姉を持つと弟が苦労するよ。
「金はまだ余ってるな?」
「うん、金貨が二十枚」
「それがチップになる。よく考えて使えよ。あとは……念のため瞳の色も変えておく」
姉上二人の顔に手をかざす。【偽面】発動。目立つ碧が地味な茶へと変化する。
うむ、より一層そこらの小娘っぽくなったな。これならさすがに正体が露呈することもないだろう。
「レア、もはや別人みたいになってるぞ!」
「レイだって。ふふ……なんかちょっとドキドキするねっ」
ああ、もっとドキドキしてもらうことになるさ。もちろん違う意味でな? 胃が締め付けられるような感覚を存分に味わってもらうとしよう。良薬は口に苦く、故にいい思い出になるもんさ。くっくっ……。
「話が長くなったな。それじゃ行くとしようか。楽しいギャンブルの始まりだ」
▷
カジノは大通りから逸れた裏道に入口がある。一般人が偶然迷い込んでも面倒なので、知る者のみが辿り着ける構造になっているのだ。一見様お断りの紹介制に近い。
とはいえ招待状や割符の類は必要ない。金の匂いを漂わせてれば門戸は開く。
カジノへ続く扉の前に控えている黒服がさっと視線を滑らせる。規格を満たした客と見なされたのだろう。掛けられた声は柔和なものだった。
「三名様ですね?」
「ああ」
「ごゆっくりお楽しみくださいませ」
「ご苦労」
黒服が扉を開けたので中へと入る。
一本道、そして地下へと続く階段。素っ気ない作りなのは賭場に入場した時の衝撃を煽るための演出だろうな。
「あっ、この格好で階段降りるの少し難しいかも……」
「なぁガル、お前……こんな場所をどうやって知ったんだ?」
「まー、昔ちょっとな」
王都のスラムに顔を出し始めてすぐの頃に風の噂でカジノの噂を聞いたのさ。もちろんすぐさま乗り込んだよね。
まぁ、カジノの仕様を詳しく知らなかった俺は魔法を使ったイカサマを敢行して酷い目に遭ったわけだが……それはいい。過ぎた話だ。首斬って逃げられるって便利よな。つくづくそう思う。
「それより……着いたぞ。気ぃ引き締めとけ」
忠告の後、下り階段の突き当りにある扉を開く。
見境なしに綺羅を飾りすぎて、いっそ下品なのではないか。そんな感想を抱かずにはいられない。
床にはどぎつい真紅のカーペット。天井にはやたらとギラギラした白色光を放つシャンデリア群。壁に嵌められたガラスは複雑な切断面を有しており、浴びた光を不規則に反射している。
各所に配置された遊技台の盤面は目の冴えるような緑色だ。床の赤との補色対比は鮮やかさよりも寧ろけばけばしさを感じさせる。
お高いドリンクを提供するカウンターは淡い青色の光で照らされていて特に目を引く。極彩色が乱舞する店内を歩き回るスタッフは白と黒の画一的なスーツを着こなしており、自らは主役ではないと主張するかのようだった。
成功者どもが行き着く悪趣味極まるどん詰まり。それがこのカジノである。
「はぇ〜……」
「おぉう……」
あまりに異質な雰囲気に飲まれたのか、姉上二人は揃って間の抜けた声を上げた。
分かるよ。俺も初めての時は似たような反応になった。こんな無駄に贅を凝らした馬鹿みたいな施設があるものなのか、と。
「口閉じておけ。アホ丸出しだぞ」
「うっ……」
「さて、んじゃ適当に遊ぶとするかね。付いて来い」
俺はこのカジノで姉上二人を破産させる。
服を買って残った金貨二十枚は、ディーラーに小一時間ほど弄ばれた後にすっからかんになるだろう。庶民が十年近くかけて稼ぐ金がここではゴミのように捨てられる。
その事実を刻み込んだ上で最後に種明かしをするのだ。お前らがスッた金はどれだけの価値があったのか、と。
そうすりゃ馬鹿でも金のありがたみってもんが分かるだろうよ。ついでに人の悪意にも触れてもらえりゃ上々。
そしてこう続くわけだ。俺が貸した金貨五十枚を地道に働いて返してみせろ、と。
天賦の才で魔物をブッ倒すことはできても……銀貨一枚すら稼げねぇ有り様じゃ人の時代は生き抜けねぇ。
ポンコツ二人にはその事実を噛み締めてもらうとしよう。これはその第一歩である。
「よし、お前はルーレットで遊んでろ」
「うん……これ、何すればいいの?」
「数字が書かれた台があるだろ? そこにディーラーが玉を放り込む。最終的にどこに入るか当てる、それだけのゲームさ」
「えっ……それけっこう難しくない?」
「一つの数字を選ぶ必要はねぇさ。赤か黒のどっちに入るかを選ぶこともできる。これならだいたい二回に一回は当たるぞ? 列ごとに賭けるのもアリだな。ここならだいたい三分の一で当たる」
「なるほど……なるほどねぇー……分かった!」
姉上はにぱっと締まらない笑みを浮かべた。俺は口の端を吊り上げた優しい笑みを返した。
ま、このルーレットはディーラーがどこに玉を入れられるか選べるようにできてるんだけどな。そういう魔石が使われている。つまるところ出来レースよ。
喜べ姉上。適度に一喜一憂させられた後、真綿で首を締められるが如くずるずると負けに飲まれるぞ。ふと気付けば素寒貧って寸法よ。
「よし、私もやるぞ! 動く物を捉える目には自信がある!」
「待て待て。お前はこっちだこっち」
「むっ」
勝手に椅子に座ろうとする脳筋の腕を引いて移動する。
二人を同じところに配置するとディーラーが勝ち負けの差配を慎重に操作しなければならなくなる。それは効率が悪い。豪快に上げて落としてもらうために別の席へ誘導する。
「……これは? さっきの台がないぞ」
「ごく簡単なカード遊びさ。ディーラーがカードを二つ伏せる。そのうち一つをめくる。残ったもう一つのカードの数字は、前のカードの数字よりも高いか低いか。それを当てるっつーゲームさ。ハイアンドローってやつよ」
「なんだそれは。ただの運じゃないか?」
「いやいやお前、そんなことねぇぞ。このカードの数字は一から十まである。最初にめくった数字が二だとしたら、ハイとローどっちに賭けるよ?」
「……二の下には一しかない。ハイだ」
「そう、その通りよ! 地頭の良さが試される戦略性の高いゲームなんだ。ああ、もし初めに一か十がでたらやり直しな。それより下と上がないからな。どうよ、頭のいいお前なら得意だろ?」
「ああ! 頭を使うゲームなら得意だぞ! 私にピッタリだな!」
姉上は頭の悪い笑みを浮かべた。俺は口の端を吊り上げた理知的な笑みを返した。
ちなみにこのカードの数字は可変式である。ディーラーの意のままに数字を変化させることができるのだ。例によって例の如く出来レースである。
喜べ姉上。もしかして自分は頭が良いのでは? という幻想を抱いた後、無様に負け散らかして頭の悪い顔を晒すことになるぞ。久しく浮かべていない負け犬の吠え面だ。堪能せよ。
これにて仕込みは完了。俺は懐から革の財布を取り出した。
「さて、俺はどのゲームで遊ぼうかね」
言いつつ歩く。目ぼしいものを物色する客のように視線を巡らせながら。
なお俺の目的は初めから決まっている。ルーレット――かつて俺がイカサマばれして苦杯をなめさせられた遊戯だ。俺はコイツに座ると決めていた。
姉上とは別の卓。他の客もいるところに腰を下ろし、慣れた手付きで黒へとベットする。その数、金貨五枚。
ディーラーは変わらず柔和な笑みを浮かべているが……分かるぞ。瞳の奥が笑っていない。新たなカモを見つけた目だ。
その肉は美味いのか。骨までしゃぶり尽くせる存在なのか。人を値踏みする視線というのは実に分かりやすい色を帯びる。
俺はなるべく上品な笑みを浮かべた。内心を覆い隠すように柔らかな笑みを。
姉上二人は骨の髄までしゃぶり尽くされるだろう。見てるこっちが気持ちよくなるくらいにぼったくられる。それは予定調和だ。元より姉上二人に費やした金貨百枚は捨てる気でいる。
だが……それで終わると思うなよ? 損して終わるだけなんて俺のプライドが許さねぇ。財布に空いた穴は国の金で埋めさせてもらう。
散々っぱらこき使ってるんだから姉上二人の教育料くらい気持ちよく負担してくれや。もちろん今までの迷惑料も込みでな?
そうだな……金貨三百枚くらいで許してやろうかね?
負ける前提。実にくだらない。そうじゃないだろう。身を焦がすようなヒリつきが遍く充満してこその鉄火場だ。
ここにいる全員。全員だ。その揺るぎなき真実を――栄冠に浴する俺を見て思い出すがいい……!




