むせ返るほどの甘さ
僕は非常に後悔していた。
気紛れで彼に挨拶を返してしまった事を。
「腹減ったー!
日替わりランチ美味そうだな。
俺もそれにすりゃ良かった。
そのエビフライとこの獅子唐の天ぷら交換しねぇ?」
「…いくつか言いたい事はあるけど。
君のその獅子唐とでは等価交換は成立しない」
「あ、じゃあこの海老の方が良いか?」
「…どちらも海老だよ。
揚げ方に違いがあるだけで」
というか、何故僕の目の前に座る。
他にも席は空いているじゃないか。
「え?俺たちが友達だからだろ?」
「誰と、誰が、いつ、友達になったの」
「え!?
この前挨拶返してくれたじゃん!」
「挨拶返しただけで友達とは言わない。
馬鹿なの君」
「辛辣!!」
だけど、絶対に本人には言ってなんかやらないけど、以前より嫌いじゃない…気がする。
この心変わりは、彼女と出会ったからなんだろうか。
「――――ヒムロ君、何かあったのかい」
本棚に本を並べている途中、いつもののんびりとした口調で店主が言った。
「いえ、特に何もありませんが。
どうしてですか?」
「最近ヒムロ君楽しそうだからねぇ。
前より明るくなったというか」
明るく?
何かの間違いだろう。
僕は変わった覚えなんてない。
「いやあ、若いってのは良いねぇ。
私の孫も前まで何かに悩んでいたのが嘘みたいに最近楽しそうでね。
好い人でも出来たのかなあ。
それはそれで寂しいものだけど」
穏やかに笑って本の背表紙を優しく撫でる。
僕は、バイト終わりの彼女との会話に思いを馳せた。
「これ、差し入れ」
「おぉ、今日も店主さんのお孫さんから?
良い匂い良い匂いー!」
「カップケーキらしいよ。
差し入れの頻度も増えたから助かったよ」
「…あれ、もしかしてお孫さんの差し入れそんなに嬉しくない感じ?」
「別にそんな事はないよ。
大体君と会う日に貰うから、無駄にならなくて済むし。
まあ、何で僕にっていう疑問はあるけど」
「そっかそっか。
…あ、話は変わるんだけど、君って香水とか好き?」
「そんなに好きじゃない。
どちらかと言えば嫌いの部類に入るけど。
それがどうかした?」
「最近従兄弟が「少しはお前も女らしくしろー」ってうるさくてさ。
あげるって言うから貰ったんだけど、明らかに元カノの忘れ物なんだよね。
そんなの人にあげる神経を疑うわ。
…で、これを見事に持て余してるんだけど、女物だから君に使ってもらうって選択肢もなくてさ。
使いそうな友達とかいるなら君にあげるけど」
「僕が欲しいって言うと思う?」
「だよねぇ…」
どうしようかなあ、と空中のシュッと香水を吹きかける。
「あ…」
どこかで嗅いだ事のある甘ったるい臭い。
そして、映像で思い出される忌々しい記憶。
「愛しているわ、貴方の事を」
あの女と、同じ臭いの香水。
僕は思い切り振り払った。