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支度をせよ

 関屋教授という人は、声楽を担当としているものの、学生時代はピアノを専行していたらしい。

 ピアノから声楽に転向したのは、宮藤セイジに勝てなかったから……ではなく、単に教師たちから勧められただけだったりする。

 そしてそんな情報を、クランドはわざわざ他人に聞かなくても知っていたりする。


「お久しぶりです関屋先生」

「久しぶり……ではあるけどね。まさか本当に君が戻ってくるとは思わなかったよ」


 部屋に通され、すすめられた椅子に座るなりしれっと挨拶をするクランド。

 それに関屋教授はどこか呆れた目を向けながら、以前にクランドと出会ったときにはかけていなかった眼鏡を指で押し上げる。


「よくもまあ、あんな事があったのに、もう一度ピアノに触る気になったね」

「ピアノは自分の半身ですから」

「……君一回精神科に行った方が良いよ。多分どっか病んでるから」


 ある意味失礼な関屋教授の言葉に、クランドはどこ吹く風で出されたお茶を啜った。


 自分が病んでいる事など自覚している。病んでいなければ、これほどピアノに打ち込む事も上達する事も無かっただろう

 むしろ一流の人間はどこか病んでいるものだと、クランドは妙な確信を持っていた。


「それで、ヤンデレベートーベンくん」

「デレてません。というか何故ベートーベンを知ってますか」

「病んでるのも否定しなさい。ベートーベンについては、深山くんが楽しそうに話してくれたよ」


 何をしてくれているのだろうかあの自称モーツァルトは。

 何故にそんなに気に入られたのかとクランドは首をかしげるが、関屋教授は忍び笑いを漏らしながら言う。


「親近感がわいたんだろうね。深山くんは古い知り合いにはモーツァルトなんて呼ばれてるから」

「……何故?」

「何でも学校でピアノを弾いている内に時間を忘れて、下校時間を過ぎても弾いてたせいで『モーツァルトの亡霊』なんて噂が広がったとか」

「……」


 どこかで聞いたような話に、クランドは眉間をおさえる。

 実は自称で無かったのも驚きだが、自分と似たような馬鹿が居たのにも驚いた。

 それは親近感もわくだろう。クランドもユウリの事をちょっと好きになりかけた。


「それで、何か余計なことをしてると聞いたんだけど。君は火遊びが好きなのかな?」

「……」


 眼鏡越しに、鋭い視線を向けてくる関屋教授。

 もし関屋教授が犯人ならば、ここで口封じに……などという展開もありえる。

 もっとも、その可能性は皆無だとクランドは思っているが。


「個人的に……許せないんですよ。犯人も動機も、俺の予想通りなら」

「……血は水よりも濃いというか、やれやれ困った子だ」

「……余計な事はするなと言ったが」


 不意に聞き慣れた重低音が聞こえて、クランドは口に含んだ茶を吹きかけた。


「……父さん?」

「ああ」


 まさかと思い声をかければ、入り口とは逆の扉からドウゲンが出てきた。

 普段から厳つい顔だが、今日は一段と渋くなっている。


「……何故ここに?」

「捜査だ」


 何故に一課長自ら捜査に乗り出しているのか。

 聞くまでもなくクランドのせいだろう。電話では止まらないと判断し、直接首根っこを捕まえに来たのかもしれない。


「クランド。自殺ではなく殺人である証拠と、犯人を特定する証拠。揃っているのか」


 しかし意外にも、ドウゲンはクランドに捜査の進展を聞いてきた。


「……止めないんですか」

「止まらんだろう。第一、今一番真実に近いのはおまえだ。止めるなら引き継ぎをしてから止めろ」


 理解が無いようであるのか微妙な対応だった。もしかしたら、クランドにへそを曲げられて、証拠や証言が手に入らない事を危惧したのかもしれない。


「……自殺ではなく他殺なのは、父さんも見ればすぐ分かったでしょう。犯人を特定する証拠は微妙。犯人の動機を引きずり出す小道具はありますけど」

「動機か。それで観念すると思うか?」

「さあ? 少なくとも、音楽家としては終わります」


 クランドの言葉に、ドウゲンは口元を隠して何やら黙考する。


「……やるだけやってみろ。駄目ならば地道に捜査するだけだ」

「はい。ならこれを鑑識なり科捜研なりで調べてください」


 そう言ってクランドが鞄から取り出したのは、手書きの楽譜だった。

 それを見てドウゲンの眼がにわかに圧力を増す。


「……遺留品を持ち出したのか?」


 しかしクランドは動じず、ゆっくりと首をふった。


「それは俺の私物です」

「何故おまえの私物が今回の事件に関係する?」

「運命の悪戯じゃないですか。俺も最初に耳にしたときは驚きましたし」


 言いながら、クランドはどこか寂しそうな目をする。


「頼みます父さん。わけは話しますから」

「……良いだろう」


 滅多に感情を見せないクランドの変容に、ドウゲンは内心で焦りを覚えながら答えた。

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