死者のためのミサ曲
熊蜂の飛行が終わり、会場は拍手に包まれた。
当然だろう。ショウキを嫌っているユウリすら、力強く拍手をしているのだ。
今の演奏を聞いて、音楽家ならば賛辞を送らないはずがない。
「熊蜂の飛行をお聞きいただきました。続いての曲は、宮藤ショウキ作曲『神無月の嵐』です」
司会の言葉に、観客がざわついた。
今最高の演奏を見せたばかりのショウキが、自ら作ったという曲を弾くのだ。驚きと期待に、会場はえもいわれぬ雰囲気に包まれる。
「……」
鍵盤に手を置いたショウキは、観客を焦らすように微動だにしない。誰もがショウキに注目し、待ち焦がれる。
そして観客の期待と苛立ちが最高潮となったのを見計らったように、ショウキの手が踊り始めた。
「!?」
バンと扉でも開け放つような衝撃と共に始まったのは、まさに嵐のごとき音の奔流だった。
転調を繰り返すそれは、嵐にもまれたものを思わせる。滅茶苦茶に叩き出されたような音は、しかし計算し尽くされたかのような調和をもって旋律を作り出す。
誰も声を出せず、動くことすらできなかった。
これは本当に学生が作曲したものなのかと、戸惑いと敗北にも似た敬意すら抱いた。
そしてクランドも、その曲を聞いて鳥肌がたつ思いをした。
他の観客が固まるのも分かる。この作曲を成しめたのは、間違いなく天才と呼ばれる人間だ。
それが分かるからこそ、クランドは複雑な思いでショウキを見つめていた。
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翌日。週明けということもあり、だるい気分のまま授業を乗りきると、クランドはそそくさと帰り支度を始めた。
「深山先生。お時間よろしいでしょうか」
「大丈夫よ。でも、深海くんから話しかけてくるなんて珍しいわね」
「ついにベートーベンがデレた!?」
「黙れザビエル」
横から茶々を入れてくるアキ。それにクランドが冷たく言い放つと、アキは『ザビエルって言うなー!』と泣きながら走り去った。
どうやらクランドの冷たい態度よりも、ザビエルというあだ名の方がダメージが大きいらしい。
「仲良いわね貴方たち」
「……どこがですか」
「遠慮がないじゃない。喧嘩するほどなんとやらよ」
「つまり深山先生と宮藤さんみたいな……」
「深海くん。戯れ言はほどほどにしないと、ピアノの鍵盤に砂糖水塗りたくるわよ」
「すいませんでした」
輝くような笑顔で言われて、クランドは間髪入れず頭を下げた。
拭っても拭ってもベタつく鍵盤。想像しただけで指先がむずむずしてくる。
「それで、どうしたの?」
「今日宮藤先生にお会いする予定なんですけど、学舎は何時まで出入りできるんですか?」
「平日なら19時までね。鍵は内側から開けられるから、出るのは遅くなっても大丈夫よ」
「そうですか。ありがとうございます」
頭を下げると回れ右をするクランド。しかし一歩踏み出したところで、ガシッと肩を掴まれて進行を阻止される。
誰の仕業かなど見なくても分かる。今クランドの背後にいるのは、先程まで話していた女性しか居ないのだから。
「……何か?」
「私も大学に用があるの。丁度いいから一緒に行きましょうか」
あんたは俺の何なんだ。
そんな叫びをクランドは飲み込んだ。
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相変わらず趣のある学舎は、平日ということもあり多くの学生で賑わっていた。
そしてその学生たちの中には、クランドを興味深そうに見つめてくるものもいる。恐らくは、先の演奏会に参加していた人間だろう。
もしかしたら、注目されているのはユウリと一緒にいるからかもしれないが。
「私はそんなに有名じゃないわよ」
「美人は何もしなくても注目されますから」
「……深海くん、意外にさらっとそういう事言うわよね」
ため息をつくユウリに、クランドは『はて?』と首をかしげる。
ヒメはクランドを孤高の人と評価していたが、それは概ねあっている。
独特の価値観と行動原理で動き、他人の評を気にしない。故に恥はあっても羞恥心がかなり薄いのだ。
まあどちらかというと孤高というより変人の類いだが。
「深山先生も宮藤先生に用事ですか?」
「ええ。いろいろと話さなきゃいけないことがあるの」
なら自分は後回しにした方が良いか。
クランドはそんな事を考えながら、宮藤セイジの部屋の扉をノックした。
「宮藤先生。深海です」
……返事はない。
出かけているのかと思ったが、扉に丁寧に貼られた行動表は在室になっている。
修正を忘れたのでなければ、中にいるはずだが。
「居ないみたいね。中で待ちましょうか」
「鍵がかかってますけど」
「大丈夫よ。私のIDで開くようにしてもらってるから」
そこまでしているとは。やはりユウリはセイジにかなり気に入られていたようだ。
ユウリが学生証をかざすと、ピッと電子音が鳴って鍵の開く。
「失礼します」
一応そう言いながらクランドは扉を開く。
しかし開ききったところで、中の異様な様子に目を見開いた。
つんと鼻をつくような臭いがした。
整頓されていた部屋の中は、楽譜が撒き散らされ、椅子が一つ倒れて荒らされたみたいになっていた。
そしてその椅子のそば。頑丈そうな縄にからまった何かが転がっていた。
瞼は限界まで開かれ、飛び出した眼球がこぼれ落ちないのが不思議な状態だった。
だらしなく開かれた口からは舌がつき出され、涎が顎を伝っていた。
かつて人間だった、変わり果てたそれは、間違いなく宮藤セイジと呼ばれた人だった。
「い……イヤアアアアッ!?」
セイジの姿を認めたユウリは、しばし現実が信じられないといった様子で固まっていたが、とうとう堪えきれなくなったのか悲鳴をあげた。
それにつられて学生たちが集まり始め、騒ぎが大きくなり始める。
「……何で……なんですか」
そんな中、比較的冷静だったクランドは、誰に向けたのか静かに呟いた。




