おやすみ、おまえはほんとのお馬鹿さん
「まさかユイと深海くんが知り合いなんてね」
「話したことはありませんよ」
もしあったなら、あの日本美人から放たれる微妙な言葉遣いに唖然とはしなかっただろう。
そういう意味では、ユウリの方が外見相応以上に品がある。例え背後に小悪魔の尻尾が見え隠れしていてもだ。
「あの子は……悪い子じゃないのよ。ただ負けず嫌いで……正直というかマイペースというか」
「いっそ清々しいです」
あれほど敵意を向けられたのに、こちらから敵意を抱こうと思わないのは、ある意味人徳かもしれない。
単に呆れの思いも強いが。
「ここが宮藤先生の部屋よ」
二階の最奥にある、他より少し広めの部屋の前でユウリは止まった。
二度ノックすると「はい」という柔らかな男性の声がして、しばらくするとドアは開いた。
「深山くんですか。時間通りですね」
ドアの向こうから現れたのは、少し痩せすぎな容貌の老人だった。
短く刈り込んだ白髪に、丸い老眼鏡というパットしない外見だが、その目は優しく、深い色が見えた。
音楽の指導を行う人間は、スパルタが基本で厳しく苛烈な者が多いのだが、どうやら目の前の先生――宮藤セイジは少ない例外らしい。
「教育実習はうまくいっていますか?」
「もちろん。面白い子も見つけましたし」
「ああ、後ろに居る子ですね。深山くんが手放しに誉めるなんて珍……」
突然セイジが言葉を途切れさせた。
何事かとユウリが思えば、その視線はクランドに向けられ微動だにしない。
「……君は……シオンくんの……」
「お久しぶりです」
セイジの驚愕を予想していたように、クランドはいつも通りに頭を下げて挨拶をした。
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「……お久しぶりですね。まさか、深山くんが見つけたピアニストが君だとは……」
驚愕から数分後、立ち直ったセイジに誘われ、クランドは対面に置かれたソファーに腰かけていた。
ユウリには悪いが席を外してもらっている。ユウリもセイジの様子から訳ありであると察したのか、文句も言わずに受け入れてくれた。
「以前ほどでなくても、名前は売っていたつもりですが」
「ああ……いえ、確かに深海クランドという名前は見聞きしました。しかし、同姓同名の別人だと……」
それはまた凄い思い込みだと、クランドは苦笑した。『深海』という姓も『クランド』という名も、そうそうあるものではない。
それでも別人だとセイジが思ったのは、クランドがピアノを続けているとは思えなかったせいだろう。
「君はピアノを続けない……続けられないと思っていました」
それが当然だとクランドも思う。
「君とシオンくんは確かに『親子』だった。しかし、それでも、シオンくんがやったことは許されないことだ」
それも間違いないとクランドは認める。
「君は……シオンくんを恨んでいないのですか?」
そう。真実を知る誰もがそんな疑問を抱き、月影シオンと深海クランドを別物と考えるようになった。
「……分かりません。俺にとって母は母でしたが、何故あんな事をと、何度思ったか分かりません」
だがきっと――。
「恨んだことはありません。例えそれが歪なものであっても、母が俺に与えてくれたものは愛でした。そして俺にとってピアノは母の愛そのものであり、半生を共にあった半身です」
そう、だから――。
「ピアノを教えてください。母と同じ高みを、俺にも見えるように」
頭を下げるクランド。そんなクランドの懇願に、セイジは驚いたように目を丸くし、そして宝物でも見つけたように、嬉しそうに笑った。




