星の魔女1
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星の魔女1
夢を見ていた気がする。
どんな夢だったのかはもう思い出せない。
誰かがいたような気もするし、いなかったような気もする。
ただ。
暖かかった。
春の日差しみたいな。
焚き火の前みたいな。
そんな暖かさだけが何となく残っていて。
目を開ける。
広く澄んだ空だった。
目を開けると青い空に雲がゆっくり流れていて、風も吹いていた。気持ちよさそうだなぁと思いながらしばらくそれを眺めていたけれど、いつまでも寝転がっているのも何だか変な気がしてゆっくりと体を起こした。
変なところだった。
周りには崩れた石柱や半分土に埋まった石像なんかが転がっていて、昔は立派な建物だったんだろうなぁということだけは何となく分かる。分かるけれど、それ以上は分からない。
というか、そもそも私は自分のことすら分からなかった。
名前も。家族も。どこから来たのかも。どうしてここにいるのかも。
思い出そうとしてみても頭の中は真っ白で、古い本のページがごっそり抜け落ちてしまったみたいに何も出てこない。
これは困った。いや、多分かなり困る。普通に考えたら大問題だ。
でも。
ぐぅ、とお腹が鳴った。
どうやら記憶がなくなってもお腹は空くらしい。人間って案外たくましいのかもしれない。
立ち上がって辺りを歩いてみる。
石。
草。
また石。
少し大きな石。
やっぱり石。
食べ物はなさそうだった。
草ならある。でも草はあまり美味しくなさそうだ。一応一本ちぎって味を確かめる。しかし世間はそう甘くないよで人が食べるにはあまりに苦すぎた。これはダメな味だ。多分。
その時だった。
遠くで何か音がした。
ガサガサと草をかき分ける音。
獣かもしれない。
怖いものだったら嫌だなぁと思って近くの崩れた壁の後ろに隠れた。ちゃんと隠れられているかは怪しい。少なくとも私は隠れたつもりだった。
しばらくして姿を現したのは一人の男の子だった。
年は同じくらいだろうか。
背中には大きな荷物。
腰には剣。
日に焼けた顔。
服は少しくたびれている。
旅人みたいだった。
男の子は何かを探すように辺りを見回していたけれど、やがて私に気付いたらしくぴたりと足を止めた。
私は壁の後ろにいる。
隠れている。
つもりだった。
でも向こうは普通にこっちを見ている。
おかしいな。
男の子はしばらく黙っていた。
私も黙っていた。
風だけが吹いている。
気まずい。
先に口を開いたのは男の子の方だった。
「……何してんだ?」
そんなこと聞かれても困る。私も分からない。だから正直に答えることにした。
「わかんない。」
男の子は少し黙った。頭をぽりぽり掻く。それからもう一度私を見る。
「迷子か?」
「たぶん。」
「家は?」
「知らない。」
「親は?」
「知らない。」
「名前は?」
少し考えた。
でも駄目だった。
何も出てこない。
「……知らない。」
男の子は空を見上げた。
大きなため息を吐いた。
その顔は呆れているようにも見えたし、困っているようにも見えた。もしかしたら両方かもしれない。
しばらくそうしていたけれど、やがて諦めたように肩を竦める。
「まぁまぁだな。」
変な人だった。
何がまぁまぁなんだろう。
男の子は荷物を下ろすと中をがさごそ探り始めた。しばらくして取り出したのは少し固そうなパンだった。
「腹減ってるだろ。」
その言葉とほぼ同時にお腹が鳴った。
ぐぅ。
とても良いタイミングだった。
男の子は吹き出した。
私は少しだけ恥ずかしくなった。多分これが恥ずかしいという感情なんだと思う。
男の子はパンを半分に割って片方を差し出した。
私はそれを受け取る。
暖かくはなかった。
高そうにも見えなかった。
でも。
なぜだろう。
その時の私には、世界で一番美味しそうなものに見えた。
風が心地よく感じる季節だった。食欲が湧く季節とも言う。パンをかじりながらそんなことを考えていた。冷静になればなるほど、この状況が何なのか分からなくなってくる。私は誰なのか。なんでこんな遺跡に寝転がっていたのか。どうしてこの男の子と一緒にパンを食べているのか。考えてみても何も分からない。つまり私は何も考えていなかった。多分まだ脳みそが起きてないんだと思う。
「うまいか?」
男の子が聞いてくる。
「うん、美味しい。」
「んで、なんでここにいるんだ?」
わかんない。
「なんでいるんだろう……ごめんね。わかんないや。」
遺跡の石床がひんやりとしていて気持ちがいい。でも会話の空気はひんやりしていて、あんまり気持ちよくなかった。
気が付くと男の子は手に持ったパンを食べ終えていた。
「俺はウィズ。ウィズ・タラン。」
よろしくな、と言うみたいに手を差し出してくる。
「よろしく。」
私も手を伸ばして握手をした。
思っていたより少し大きくて、ごつごつしていた。旅をしている人の手って、みんなこんな感じなんだろうか。
そんなことを考えていると、ウィズは少し困ったような顔で笑った。
「まいったなぁ。」
そう言って空を見上げる。
まいったのは多分私の方なんだけどなぁと思ったけれど、それを言うのは何となく違う気がしたので黙っておいた。
よく噛んで飲み込んだパンが喉を通っていく。程よく吹く風が遺跡の隙間を抜けていく。音のない会話の時間も、それに合わせるみたいにゆるりと流れていく。
……流れていけ。
この気まずい空気ごとどこかへ。
あと水分もほしい。
ん、とウィズが水筒を差し出してきた。
どうやらこの人はさっきから私の考えていることが分かるらしい。
そうとしか思えない。
随分と都合のいい能力だなぁと思いながら、私の手は勝手に水筒を受け取っていた。
中身が何か分からないので恐る恐る口を付ける。
毒だったらどうしよう。
いや、パンをくれた人が毒を飲ませるだろうか。
分からない。
分からないけれど喉は渇いていた。
一口飲む。
少しぬるい水だった。
もう一口飲む。
乾いていた喉がゆっくり潤っていく。
「ぷはぁー。」
思わず声が出た。
喉が潤うだけでこんなに幸せな気持ちになるとは思わなかった。人間って案外単純なのかもしれない。いや、私が単純なだけかもしれない。そもそも私は人間なんだろうか。
分からない。
考えてみたけれど分からないのでやめた。
ウィズはそんな私を見て少し笑っていた。
「落ち着いたか?」
「うん。」
「そりゃよかった。」
そう言って立ち上がる。どうやら帰るらしい。確かにパンも食べたし、水も飲んだ。ここに座っている理由も特にない。
私は遺跡を見回した。
崩れた柱。石像。石。草。やっぱり石。
何か思い出せるかもしれないと思ったけれど、特に何も思い出せなかった。
残念である。
「じゃあな。」
ウィズはそう言って歩き出した。
私はその背中を見送った。
見送ってから気付く。困った。この後どうしよう。家も知らないし名前も知らない。おまけに草は苦かった。今のところ分かっていることと言えば空が青いことと草が苦いことくらいである。
生きていける気がしない。
しばらくそんなことを考えていると、遠くを歩いていたウィズが立ち止まった。振り返ったウィズと目が合う。
気まずい。
私も困っているけれど、多分向こうも困っていた。
「……来るか?」
私は少し考えた。
少しだけ。
でも答えはすぐに出た。
「行く。」
だって他に行く場所を知らなかったから。
そうして私はウィズの後ろを歩き始めた。
青い空は気づいたら紫にとって変わっていた。
あれだけ吹いていた風はどこに行ってしまったのか。
もうとっくに疲れ果ててしまった私の足は反抗期を迎えてしまったらしい。
一歩前へ進もうとする度に、とんでもない抵抗をしてくる。
反抗期の子には何を言っても意味がない。
きっと足も同じだ。
対話は不可能。説得は諦めた。
……つまり休憩がしたい。
というか休憩をするべきだと思う。
私のためにも。
足のためにも。
「ねぇ。」
前を歩くウィズに声をかける。
「んー?」
「休憩しない?」
「しない。」
即答だった。ひどい。もう少し考えるふりくらいしてくれてもいいと思う。
「私の足が反抗期なんだけど。」
「知らねぇよ。」
知らないらしい。薄情な男である。
「歩きたくないって言ってる。」
「お前が言ってるだけだろ。」
それはそうかもしれない。でも足も多分そう思っている。きっと。
「もうちょい頑張れ。もうすぐ村だから。」
村。その言葉に少しだけ元気が出た。少しだけ。足はまだ反抗期だった。
「あとどれくらい?」
「もうちょい。」
「もうちょいってどれくらい?」
「もうちょいはもうちょいだ。」
全然分からない。会話とは本来もっと分かりやすいものだった気がする。知らないけど。
仕方ないので歩く。足を引きずるように歩く。これ以上ないくらい歩く。そのうち私は世界で一番歩いた人間として歴史に名を残すかもしれない。
そんなくだらないことを考えていると、前を歩いていたウィズがふいに立ち止まった。
「ほら。」
顔を上げる。
木々の隙間から煙が見えた。小さな家が見えた。柵が見えた。人が見えた。
村だった。
「あ。」
思わず声が出る。
人がいる。家がある。煙も出ている。つまりご飯もあるかもしれない。
素晴らしい。
反抗期だった足も少しだけ機嫌を直してくれた気がした。多分気のせいだけど。
村だった。
人がいる。家がある。煙も出ている。つまりご飯もあるかもしれない。
素晴らしい。
反抗期だった足も少しだけ機嫌を直してくれた気がした。多分気のせいだけど。
「ウィズ。」
「なんだ。」
「ご飯。」
「着いて早々それか。」 それ以外に何があるだろうか。
私には分からない。
ウィズは呆れたように頭を掻くと、「まぁ待ってろ」とだけ言い残して村の中へ駆けていった。
置いていかれた。
ひどい。
私は村の入り口でぼんやり辺りを見回した。
ザザバンジュ村。
木で出来た家が並び、畑があって、風が気持ちいい。人も少ない。平和そうな村だった。
しばらくするとウィズが村のおばさんと話しているのが見えた。
「まぁウィズじゃないかい。」
「久しぶり。」
「今日は旅人さんも来てるよ。」
「マジか。」
ウィズの目が輝く。
私のお腹も鳴る。
お互い興味のあるものが違うらしい。
「行くぞ。」
「ご飯?」
「ご飯もだ。」
よかった。
私は安心してウィズの後を追いかけた。
宿屋へ入ると香ばしい匂いが鼻をくすぐる。さっきまで反抗期だった足が急に働き者になった。
人間の体はよく出来ていると思う。
「おーい親父。」
「なんだウィズ。」
「飯。」
「なんだその注文は。」
店主は呆れながらも料理を出してくれた。
焼いた肉。
野菜のスープ。
それからザバンの実。
少し辛かった。
でも美味しい。
私は食べる。
ひたすら食べる。
幸せだった。
向かいではウィズが旅人の話を聞いていた。鼻の穴が少し広がっている。
多分興奮している。
ふと視線を感じた。
顔を上げる。
村人達がこちらを見ていた。
正確には私を見ていた。
知らない顔。
知らない服。
知らない女の子。
気になるのも無理はない。
「ウィズ、その子は誰だい?」
宿屋中の視線が集まる。
ウィズは少し困った顔をした。
「俺もよく知らない。」
静まり返った。
「知らないって何だい。」
「いや本当に。」
「拾ってきたのか。」
「拾ってねぇ。」
「じゃあ何なんだ。」
「俺が聞きたい。」
村人達は困った顔をした。
私も少し困った。
でもご飯は美味しかった。
「名前は?」
誰かが聞いた。
私は考える。
少しだけ。
でも何も出てこない。
「わかんない。」
「わかんないかぁ。」
村人達がざわつく。
「じゃあ名前付けるか。」
「犬猫じゃないんだから。」
「でも無いんだろ?」
それもそうだった。
しばらく皆が好き勝手言い合っていると、宿屋の店主が私を見ながら言った。
「ナランなんてどうだ。」
宿屋の何人かが「あぁ」と頷いた。
私は首を傾げる。
「ナラン?」
「知らないかい。」
店主が笑う。
「昔話さ。記憶喪失のナラン。」
知らない。
私は今日知ったことがあまりにも少ない。
店主は椅子にもたれながら話し始めた。
「昔々、何も覚えていない女の子がいたんだとさ。名前も知らない。家も知らない。自分が誰なのかも分からない。」
私はスプーンを止めた。
「その子は色んな町を旅した。色んな人と出会った。色んなことを忘れた。」
宿屋の何人かが笑う。
「でもな、その子は最後まで自分が誰なのか思い出せなかったらしい。」
「それでどうなったの?」
思わず聞いていた。
店主は少し笑う。
「幸せに暮らしたんだと。」
「思い出せたの?」
「いや。」
「じゃあなんで?」
「さぁな。」
店主は肩を竦めた。
「でも昔話ってのはそういうもんだろ。」
私は少し考える。
少しだけ。
そしてそのナランという子に少しだけ親近感を覚えた。
「じゃあ。」
私は言う。
「ナランでいい。」
宿屋が少しだけ静かになる。
「いいのか?」
ウィズが聞いてくる。
「うん。」
私は頷いた。
「ナラン。」
口に出してみる。
不思議な感じだった。
でも悪くなかった。
少なくとも今までよりは、自分が誰なのか分かった気がした。
ザザバンジュ村に来てから、太陽と月が何回か私に挨拶をしていた頃。
旅人の話を聞いたウィズは、どうやら早く旅に出たくて仕方がないらしかった。
暇さえあれば剣を磨いている。
リュックも整理している。
何が入っているのかは知らない。
夢とか希望とかかもしれない。
でも持ち上げたら重そうだったので、多分ガラクタも入っている。
きっといっぱい。
私はというと、ナランという名前を気に入っていた。
暇な時に心の中で言ってみる。
ナラン。
もう一回。
ナラン。
なんだか可愛い。
私の名前である。
多分。
ザザバンジュ村の人達はみんな優しかった。
ウィズの旅の話を聞いて大笑いするおじさんもいるし、村中の胃袋を支配している料理上手のおばさんもいる。
昼からお酒を飲んでいる人もいた。
大丈夫なんだろうか。
楽しそうだから大丈夫なんだろう。
多分。
そんな平和な村で、今日はウィズと一緒にザバンの実を採りに行く予定だった。
ザバンの実は辛い。
でも美味しい。
不思議である。
私は少し大きな籠を背負った。
やる気は十分だった。
主に食べる方の。
「準備できたか?」
ウィズが家の外から声をかけてくる。
「できた。」
「ほんとか?」
「多分。」
お腹をポンと叩いて見せた。
私は元気よく家を飛び出した。
ザザバンジュ村の周りには森が広がっている。
鳥が鳴いていて、風が吹いていて、とても気持ちがいい。
ただ歩くだけなら。
問題はザバンの実が森の奥にあることだった。
「遠い?」
「遠い。」
嫌な予感がした。
「どれくらい?」
「まぁまぁ。」
全然分からない。
しばらく歩く。
また歩く。
さらに歩く。
木。
草。
木。
草。
たまに石。
景色があまり変わらない。
森というのは意外と単調な場所らしい。
そんなことを考えていると、ウィズが立ち止まった。
「着いた。」
目の前には見上げるほど大きな木があった。
枝には赤い実がたくさんぶら下がっている。
「あれがザバンの実?」
「そう。」
思ったよりたくさんあった。
これは食べ放題なのではないだろうか。
素晴らしい。
私は一番下の実を取る。
服で軽く拭く。
食べる。
辛かった。
「辛い。」
「知ってる。」
「でも美味しい。」
「知ってる。」
ウィズは呆れたように笑いながら木に登り始めた。
慣れた動きだった。
猿みたいだなと思った。
言わなかったけど。
「下で受け取れ。」
「うん。」
実がぽとぽと落ちてくる。
私は籠に入れる。
また落ちてくる。
入れる。
また落ちてくる。
食べる。
「食うな。」
「一個だけ。」
「さっきから五個目だ。」
見られていたらしい。
……少し恥ずかしい。
しばらくして籠はいっぱいになった。
大漁だった。
私のお腹も少しだけ満たされた。
ウィズが木から飛び降りる。
着地に失敗した。
派手に転んだ。
「痛ぇ!」
私は少し考えた。
少しだけ。
「反抗期?」
「違う。」
即答だった。
でも少し面白かったので笑った。
ウィズは不満そうだった。
私はもっと笑った。
空は青かった。
風も気持ちよかった。
ザバンの実は辛かった。
でも美味しかった。
なんだか今日は良い日だった。
ザバンの実を採ってから数日が経った。
私がせっせと食べたおかげで村の収穫量が少し減った気もするけれど、多分気のせいだと思う。
気のせいであってほしい。
そんなある日の朝だった。
村の広場が妙に騒がしい。
朝から大人達が何やら大きな机を運んでいるし、おばさん達は大量の食材を抱えて走り回っている。
昼からお酒を飲んでいたおじさん達まで働いている。
これは異常事態だった。
「何してるの?」
近くを通りかかったおばさんに聞いてみる。
「何って、星実祭の準備だよ。」
「せいじつさい?」
「おや、聞いてなかったのかい。」
聞いていなかった。
というより初めて聞いた。
おばさんは少し笑う。
「一年で一番大事なお祭りさ。」
「お祭り。」
「そう。いっぱい食べる日だよ。」
「なるほど。」
理解した。
重要な行事だった。
それ以上の説明は必要なかった。
私はそのままウィズを探しに行くことにした。
案の定というかなんというか、ウィズは宿屋の裏で剣を磨いていた。
「ウィズ。」
「なんだ。」
「お祭りらしい。」
「らしいな。」
「いっぱい食べる日らしい。」
「お前そこしか聞いてねぇだろ。」
バレていた。
ウィズはため息を吐きながら剣を鞘に収める。
「星実祭だよ。」
「何するの?」
「収穫祭みたいなもんだ。」
「いっぱい食べる?」
「そりゃあもう、いっぱい食べる。」
良い祭りだった。
村人達は朝から忙しそうに動き回っている。
広場には見慣れない木組みが作られていて、その周りにはザバンの実が山のように積まれていた。
子供達は走り回り、大人達は怒鳴り合いながら笑っている。
なんだか楽しそうだ。
しばらく眺めていると、広場の中央で村長が大声を上げた。
「おーい!若いのは手伝えー!」
村人達が一斉にこちらを向く。
嫌な予感がした。
「ねぇウィズ。」
「なんだ。」
「逃げよう。」
「ハハ、無理だ。」
遅かった。
数秒後には私は大量のザバンの実を運ばされていた。
重い。
辛い。
まだ食べてもいないのに辛い気がする。
「頑張れナラン。」
「頑張ってる。」
「おうもっと頑張れ。」
「……頑張ってる。」
全然手伝ってくれない。
ひどい男だった。
太陽はゆっくりと空を進んでいく。
村中が慌ただしく動き回る。
気が付けば私もその中に混ざっていた。
名前も。
家も。
過去も。
何も思い出せていない。
それなのに。
不思議とこの村にいるのが当たり前みたいな気がしていた。
広場の向こうでは、おばさん達が笑いながら料理を作っている。
子供達はザバンの実を抱えて走り回っている。
ウィズは旅人の話を聞きながら何やら楽しそうにしている。
空は青い。
風も気持ちいい。
少し辛い気もするけど。
そしてその日の夕方。
ザザバンジュ村の一年で一番賑やかな夜が始まろうとしていた。
星実祭である。
顔なじみの村人達が集まっている。
知らない顔もちらほら見える。
旅人達だろうか。
大きな荷物を背負った人もいれば、立派な馬を連れた人もいた。
いつもは静かな村なのに今日はなんだか違う。
みんな楽しそうだった。
空は少しずつ暗くなり始めていた。
もうすぐ夜だ。
けれど広場だけは昼間みたいに明るかった。
集められたザバンの実。
吊るされた灯り。
大きな焚き火。
赤や橙の光がそこら中で揺れている。
遠くから見るとまるで地面に星空が落ちてきたみたいだった。
私はしばらくその光景を眺める。
綺麗だなと思った。
不思議だなとも思った。
どこかで見たことがあるような気もした。
でも多分気のせいだ。
私は知らないことばかりだけれど、それと同じくらい気のせいも多いのである。
「行くぞ。」
いつの間にか隣に来ていたウィズがそう言った。
「どこに?」
「祭りだよ。せっかくなんだから見て回ろうぜ。」
そう言うと私の返事も待たずに歩き出す。
相変わらず勝手な人だった。
私は慌ててその後を追いかける。
広場は人でいっぱいだった。
知らない顔もたくさんいる。
旅人達だろうか。
大きな荷物を背負った人。
立派な馬を連れた人。
楽器を抱えた人。
色んな人がいた。
いつものザザバンジュ村とはまるで別の場所みたいだった。
焼いた肉の匂いがする。
甘いお菓子の匂いもする。
ザバンの実を煮込んだ独特な匂いもする。
お腹が鳴った。
仕方ないと思う。
「見ろナラン。」
ウィズが真剣な顔で言った。
「どうしたの?」
「あの肉。」
指差した先には大きな串焼きがあった。
かなり大きい。
「うん。」
「俺よりでかい。」
見比べる。
肉。
ウィズ。
肉。
ウィズ。
「ほんとだ。」
「だろ。」
だから何なんだろう。
分からない。
でもウィズは満足そうだった。
祭りとはそういうものなのかもしれない。
しばらく歩いていると的当てを見つけた。
景品もある。
木彫りの鳥だった。
可愛い。
私は挑戦した。
外した。
もう一回。
外した。
最後も外した。
悲しい。
ウィズは三回とも当てた。
少し腹が立った。
「やった。」
木彫りの鳥を受け取ったウィズが得意げな顔をする。
「いいな。」
「羨ましいか?」
「うん。」
「仕方ねぇな。」
そう言って鳥を渡してきた。
私は受け取る。
可愛かった。
「やった。」
「それ何に使うんだ?」
「分からない。」
「じゃあなんで喜んでるんだ。」
「可愛いから。」
ウィズは少し笑った。
「お前将来騙されるぞ。」
その後、ザバンの実の早食い大会にも参加した。
一位になった。
ウィズは途中でむせていた。
少し面白かった。
気が付けば辺りはすっかり暗くなっていた。
広場の中央では大きな焚き火が燃えている。
火の粉が夜空へ舞い上がる。
それが星になっていくみたいだった。
もちろんそんな訳はない。
でも少しだけそう見えた。
誰かが笛を吹く。
太鼓が鳴る。
手拍子が響く。
いつの間にか村人達が輪になって踊り始めていた。
子供も。
大人も。
旅人も。
みんな笑っている。
お酒を飲みすぎたおじさん達は肩を組んで大声で歌っていた。
全然上手くなかった。
でも楽しそうだった。
「ほら。」
ウィズが手を引く。
「え。」
「踊るぞ。」
「踊れない。」
「大丈夫だ。」
「何が?」
「俺も踊れない。」
全然大丈夫じゃなかった。
それなのに輪の中へ連れていかれる。
ひどい。
でも周りを見れば誰もまともに踊っていなかった。
好き勝手に飛び跳ねているだけである。
なら大丈夫かもしれない。
多分。
焚き火の周りをぐるぐる回る。
誰かが笑う。
誰かが歌う。
誰かが転ぶ。
誰かがそれを見てもっと笑う。
村中の笑い声が混ざっていた。
歌声も混ざっていた。
楽器の音も混ざっていた。
何を歌っているのかは分からない。
でも不思議と心地よかった。
空を見上げる。
夜空にはたくさんの星。
足元にはたくさんのザバンの実。
まるで空と地面が繋がっているみたいだった。
綺麗だなと思った。
楽しいなとも思った。
どうしてなのかは分からない。
でも。
この日を私は忘れないと思った。
名前も知らなかった私が。
何も持っていなかった私が。
初めて自分の居場所だと思えたから。
その夜、私は夢を見た。
夢だと分かっていた。
でも変な夢だった。
真っ暗だった。
空も。
海も。
地面も。
全部真っ暗だった。
何も見えない。
何も分からない。
ただ音だけが聞こえていた。
遠くで何かが崩れている。
ごうごうと風が唸っている。
波の音もする。
誰かが泣いている気もした。
誰かが叫んでいる気もした。
胸の奥が少しだけ苦しかった。
どうしてなのかは分からない。
夢だからかもしれない。
その時だった。
暗闇の向こうで何かが光った。
小さな光だった。
でも少しずつ大きくなる。
まるで星みたいだった。
綺麗だなと思う。
不思議と怖くはなかった。
むしろ懐かしい気がした。
どこかで見たことがあるような。
そんな気がした。
そして。
誰かの声が聞こえた。
女の人だったと思う。
優しい声だった。
少しだけ寂しそうな声だった。
でも。
どこか嬉しそうでもあった。
『綺麗だね。』
それだけだった。
目が覚める。
朝だった。
窓の外から鳥の声が聞こえる。
いつものザザバンジュ村だった。
風も吹いている。
空も青い。
私はしばらく天井を見つめた。
変な夢だった。
何が綺麗だったんだろう。
分からない。
でも。
なぜだろう。
胸の奥だけが少しだけ暖かかった。
夢の最初みたいに。
春の日差しの中にいるみたいに。
私は首を傾げる。
分からないことばかりだった。
でも。
今日はなんだか遠くへ行く気がした。
窓の外では朝日が昇り始めていた。
その光は、まだ見たことのない世界の方まで続いているように見えた。
僕はドラクエが大好きです




