99話 彼我の差
「惜しい。本当に惜しいよ、ディアボロちゃん」
『黄金の英雄』――――エルシーは俺の耳元に顔を寄せながらそう呟く。
すぐにその胴体に蹴りを叩きこみ、吹っ飛ばすことで距離を取る。
その手応えは確かにあった。
実際内臓を損傷したのか、奴の口からは少なくない量の血が吹き零れる。
にも関わらず目の前の女は穏やかな笑みを浮かべている。
「随分余裕だな」
「そうでもないぜ?」
そう言ってエルシーは口元の血を拭ってから内出血によるものか、青紫色に変色した自身の腹部を撫でる。
嘘を吐け。
これまでのやり取りで俺は少なくない攻撃をこいつに当ててきた。
もちろん防がれたものもあったが、その中の何発かは手応えのある会心の一撃とも言えるようなものもあった。
それこそ奴の黄金の鎧を砕く程のものも。
だが今、奴の鎧には罅一つ入っていない。
それに比べて俺の纏うエンドレスダークはガタガタだ。
あちこちに罅が入り、動く度に悲鳴のような不快な音をたてる。
まるで俺にこれ以上の戦闘継続は無理だと訴える警報のように。
俺は目の前の敵から視線を逸らさずにポーションを呷る。
先程までの一進一退の攻防の最中、俺はポーションを使う余裕もなかった。
それは相手も同じはず、だが。
「少し気になることがあるんだけど、ディアボロちゃんもしかして……」
エルシーは口元に付着した拭いきれなかった血をベロリと舐めとり、腹部から手を放す。
そこには青アザ一つ無い、割れた褐色の腹筋があった。
あぁ、分かっている。
こいつに有って、俺には無い物。
「回復魔法使えないの?」
御名答だクソッたれ。
瞬時にエルシーの懐に潜り込み、俺の拳が眼前の腹筋を抉り、撃ち抜く。
固い、がそれでも腰の回転を加えた俺の拳の衝撃は再び奴の内蔵をシェイクする。
本当に不快な感覚だ。
何で俺がこんな感覚を味わわなければならない。
そんなことを考えながら次の一撃のために上体を起こそうとするが、後頭部に手を回され胸元に顔を押し付けられた。
体を浮かせる勢いで撃ち込んだ一撃だぞ!?
その答えは視線の先にあった。
奴の両足は地面を砕き、沈み込ませることでしっかり縫い止められていた。
その事を確認したのと同時に腹部に強烈な衝撃が走る。
体が僅かに浮き、呼吸が止まった。
「っかは……」
「やっぱりね。ちょっと性格悪いけど、そこをとことん攻めさせてもらうよ?」
申し訳なさそうな声が聞こえるのと同時に、奴は大きく息を吸う。
「【電光石火一式―百烈拳】」
浮き上がった無防備な身体中に次々と拳が叩き込まれる。
意識が朦朧とする中で身に纏ったエンドレスダークが砕ける音が嫌に耳に残った。
何とか、反撃しなくては。
このままでは一気に勝敗が決してしまう。
先程まで何とか保っていた均衡は既に崩れ去った。
まるで自分の身体が自分の身体ではないかのように感覚が失われている。
(あれ?手足ってどうやって動かすんだったっけ……?)
ポーション
そうだ。
ポーションを飲んで、何とか傷を、治さなくては。
だが俺の身体は糸の切れた操り人形のようにピクリとも動く気配がない。
「がっ……!!」
一際強い一撃が腹部に突き刺さり、それとほぼ同時に数回背中に強い衝撃を感じた。
ようやく衝撃が止み、項垂れた俺の頭部からドロリと垂れる不快な液体が視界を塞ぐ。
数度の瞬きの後、何とか顔を上げて再び視界に捉えた奴はゆっくりと俺に歩み寄って来ていた。
あ?さっきまで目の前でしこたま俺を殴り付けてたあいつが何であんなに遠くにいるんだ?
あぁ、そうか吹っ飛ばされたのか。
奴と俺の間にある薙ぎ倒された木々と抉られた地面が作り出した道筋を見てそう判断した。
その道筋を太陽の光を浴び、黄金に煌めく傷一つ無い鎧に身を包んだ暴力の化身が悠々と進む。
ふざけやがって。
こっちは満身創痍のボロ雑巾状態だってのに。
さっきまで俺が必死こいて付けてきた傷はどうなったんだよ。
いや、分かってる。
こいつは俺がいくらダメージを与えようと即座に回復魔法を発動し、瞬時に万全の状態で戦闘を継続できる。
それこそ魔力が尽きない限り、一撃で殺しきれなければダメージなど与えられない。
対して俺は回復魔法が使えない。
『黒曜の英雄』を選択した際のデメリットだ。
『黒曜の英雄』は闇属性の魔法と相性が良い代わりに光属性とは絶望的に相性が悪い。
だから光属性の回復系統の魔法には一切適正が無いのだ。
『回復魔法が使えなくても回復アイテムさえ使えるなら別にデメリットでもないだろ』
そんな呑気に構えていた過去の俺を殺したい。
ゲームだからと特に深く考えずに選択したツケが最悪の状況で回ってきた。
「ッヒュー……、ッヒュー……、ぶふっ!」
何とか呼吸を整えようとするが、肺が痙攣して全く酸素の循環がうまく行かない。
それどころか競り上がって来た血液が二酸化炭素の代わりに口から吐き出される始末。
肺を潰されたか?
自分のことのはずなのにどこか他人事のように思考を働かせていることに気がつく。
『死』という感覚が身近に迫ってくる。
「ごめんな。痛いよな?苦しいよな?俺ちゃんも辛いけど、ディアボロちゃんはその何百倍も辛いんだよな?」
そんな俺にエルシーは本当に、本当に申し訳なさそうな沈痛な面持ちで歩み寄ってくる。
血を失い、全身を叩き潰され、思考も定まらない中で離れた場所から伝わる奴の声は不思議とはっきり聞こえてきた。
何とか背にした大木を支えに立ち上がる。
未だに呼吸は整わず、膝もガクガク震えて一人で真っ直ぐ立つことすらままならない。
だが、このままでは――
「君をこの地獄から救い出す」
声と同時に奴の姿が、視界から掻き消えた。




