63話 母と娘
サーシャ視点
「もう体の具合は大丈夫みたいね?」
「はい、心配をかけてごめんなさい」
私がカムイの村からこの町に戻りお母様に今回起きた事件についてお話したところで緊張の糸が切れたのか、私は寝込んでしまった。
自分が思っていた以上に今回の件は私にとっては負担が大きいものだった。
初めての行商がこんな形で終わることになるとは夢にも思わず己の不運を呪ったが、タイラントバジリスクという第六危険度のモンスターに遭遇しながら五体満足でこの場所に帰って来ることができたことを考えればむしろ幸運な方だ。
「あなたが無事で本当に良かったわ」
「お母様……」
いつもそうだ。
お母様はまだ私が幼い頃から交渉術や経営術、良い品物を見極めるための目利きなど、一流の商人として生きていくのであれば必ず必要となる技術を私に叩き込んでくれた。
普段はどちらかと言えば私に甘いお母様も、私に商人としての教育を施すときは本当に厳しい。
しかし私は、それらは全て自分の苦い経験から来る物だと知っている。
お母様はその身一つで、誰も味方等いない、誰の助けも期待できないような状況から今の地位を築いてきた。
周囲の人は誰も彼もがお母様を羨む。
神から与えられた商人としての才能を遺憾なく発揮する豪商。
しかし彼女たちは知らない。
商売を始める際、もともと決して体が強いわけではなかったお母様が血反吐を吐きながら溝さらいや皿洗い、建築現場の肉体労働などに従事していた事を。
今でこそ強かで優れた手腕を以ってして大きな事業を展開しているが、かつては善良で気弱な性格から何度も他者に騙された経験があること。
これらの苦い経験全てが今のお母様を、『ヴェノム商会』代表ヴェリルを形成している。
普段人に弱みを見せないお母様がこのような話をするのは、私が実の娘である事も多少は関係しているかもしれないが、それ以上に自分と同じ過ちを起こさせないようにするためなのだろう。
カムイの村への行商も、危険な『境界の森』に他にいくらでも候補がいた中で人族の英雄である彼を護衛に就けたのも全ては自分を超えうる立派な商人に私を育て上げるため。
そんなお母様の愛情が理解できているからこそ、私はどのような苦難にも耐えることができる。
「ラージャとラーバちゃんも無事だったみたいだし、村人もカムイの村自体も全滅は避けられた。これは商人としても私人としても非常に喜ばしい事だわ」
「はい!」
「それに」
そこでお母様は普段浮かべている掴みどころのない笑みから口角を吊り上げた獰猛な笑みへとその表情を変えた。
この笑みを浮かべるのは、普段から冷静沈着なお母様でも自制が利かないほど興奮しているときだけだ。
「彼の価値を見定める事ができたのは僥倖だったわね」
「彼はお母様のお眼鏡にかないましたか?」
「えぇ。ただこれから私好みに教育する必要はありそうだけど」
「……私の護衛を放棄してタイラントバジリスクの討伐に向かった事がご不満ですか?」
お母様が『教育する』と言う事は即ち、自分の時間を割いてでも教育する価値が相手にあると認めたということだ。
人族である彼をそこまで高く評価していることに驚いたが分からなくもない。
六英雄である彼の力は強大だ。
つまり利用価値がある。
感情よりも実利を優先するお母様らしい判断だ。
「いえ?あなたには悪いけど彼の判断が間違っていたとは思わないわ。彼のおかげで『ヴェノム商会』はカムイの村に大きな貸しを作る事ができた事だし…」
「……」
今回持ち込まれたタイラントバジリスクの素材を売却した金の一部をカムイの村への救援物資の購入や建造物の修繕に携わる職人たちの手配に回すよう彼から言われた。
つまり、現在あの村の命運を握っているのは我々の商会なのだ。
私とラージャほどではないもののお母様とラーバさんもかなり親交が深いはずだが、それとこれは別という考えなのだろう。
この国有数の鉱山を所有するカムイの村に大きな貸しができただけでも今回の行商に意味はあった。
少し悪い気もするが、これからも彼を上手く利用して…。
「『彼を上手く利用しよう』なんて考えてはダメよ?」
「っ……!」
お母様の顔がすぐ目の前にあった。
考え事に夢中でこちらに移動してきた事に気が付かなかったらしい。
「あなたのことだから『少し悪い気もするが、商人が私情を持ち込むのはご法度。私もお母様を見習って心を鬼にし、利益のために彼を最大限利用しよう』とでも思ったのだろうけど…」
私の顎を持ち上げ自分と目を合わせるようにする。
今、お母様はいつものサングラスをかけていない。
既に殆ど光を失っているはずだが、『視られている』感覚がひしひしと伝わってくる。
私と同じ紫色の瞳には、私と違い深い闇が渦巻いているような気がした。
「相手を選びなさい」
お母様は私に諭すように、脅すように言う。
「商人にとって危険なラインの見極めは必須技能よ。そして彼はそのラインの遥か向こう側にいる。あなたが彼を利用するつもりでも恐らく彼は自分が利用されている事にすぐ気がつくでしょう」
「そこまでですか?」
「そこまでよ。それは私も同じこと。だから彼とは真当な付き合い方をお勧めするわ。じゃないと…」
そこまで言ってお母様が私の頬を舐める。
ひやりとした感覚が背筋まで伝わってきた。
「喰われるわよ」




