第二十九話 悪役令嬢(2)
ようやくたどり着いたテラスには、既に待ち人がお茶を口にしていた。
金髪の縦ロール、宝石のように光る碧眼、遠目からでも分かる美貌――間違いなく、エインス・ネウ公爵令嬢だった。傍らに侍女と思われるメイドを控えさせ、優雅な佇まいでまるで一枚の絵画のようである。
そんな彼女が、テラスにやって来たティナに気がつくと、顔を輝かせて立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。思わずビビってしまう。
「アリティーナさん! ようやく会えましたわね!」
「うおっ……」
いきなりのことに戸惑い、両手を握られるままにされた。
強張った様子に、喜色満面といった様子だったエインスは眉をひそめる。
「あれ? どうしましたかアリティーナさん。いつもはこうすると、とても喜んで失神しそうになるのに」
この程度で失神してたって、抱きつかれでもしたら死ぬんじゃないかと言いたくなった。日記で元のアリティーナがエインスに夢中だったことは知っていたつもりだったが、その心酔振りは想像を遙かに越えていたらしい。
「あ……その……申し訳ありません。私、何も覚えてないもので……」
「あっ……」
記憶喪失の話は、当然エインスにも伝えていたはずであるが、どうも忘れていたらしい。今思いだしたようで、彼女は頭を下げる。
「これは失礼しましたわ。あなたとは、とても仲の良いお友達だったもので、つい……この三ヶ月、ずっと心配してお見舞いやお茶会の誘いをしてましたのに、いつもお断りの返事だったので心配してましたのよ」
「大変申し訳ありません。なかなか体調が回復しなかったもので……」
実際は記憶喪失だったものだから、淑女として一から教育する必要が出来て徹底的に叩き込まれただけである。が、そんなことは勿論口にしない。
「おっと、こんなところで立ち話しても仕方ありませんわ。ささ、最高級のお紅茶を用意いたしました。どうかおくつろぎくださいませ」
などと誘われ、ティナは席へと座らされた。エインスはまだ座らず、ティナを連れてきたオルテッドへと笑顔を向ける。
「オルテッド殿下、今日はありがとうございました。殿下にご苦労かけて申し訳ないですわ」
「何を言うんだエイン。君の力になることなら、僕はどんな苦労も厭わないよ」
先ほどまでティナやセニアに向けられた敵意から一転、陶酔するような表情でエインスと相対するオルテッド殿下。それだけで、この男が彼女にどのような感情を抱いているかティナすら理解できた。
「大変失礼ですが、今からアリティーナさんと二人でお話ししなければなりませんの。殿下には無礼と分かってはおりますが、今はお戻りになっていただけませんか?」
「え? しかし、いいのかいエイン。このような者と二人きりだなんて……」
暗に出て行けと言われた殿下は、納得いかない様子で食いつくが、愛しのエインスからは冷たい態度を取られてしまう。
「お許しください。とても、とても大切なお話ですの。いずれ埋め合わせは必ずいたしますわ。ですから、今は私とアリティーナさん二人にさせてくださいませ」
「……分かったよ。君が言うなら間違いないだろう。僕は、先に失礼させて貰うよ」
「ありがとうございます殿下。殿下のことは、わたくし一番信用していますわ」
「当然さ。では――君も、彼女に粗相の無いように」
そんな捨て台詞を吐きつつ、王子はテラスから去って行った。
残るはティナとエインス、そして彼女のメイドだけとなると、エインスは席に座りお茶会の開始となる。
ティナの分の紅茶が注がれ、伯爵家で使われているよりさらに高級そうなティーカップの中を満たす。自らの前へ出されたそれの香りは、紅茶のことなど全然知らないティナでも美しいと思うほど赤い色が綺麗だった。
ティースタンドに並べられたスコーンやケーキなどがメイドにより取り上げられ、ティナのプレートに並べられると、待っていたかのようにエインスは口を開いた。
「……アリティーナさん。一つお聞きしますわ」
「はい。なんでしょうか」
「念のため確認させて貰いますが――記憶喪失というのは、事実ですの?」
開口一番それだった。まあ、記憶喪失なんて言われても普通の人間は真に受けないだろう。イザベラ――アリティーナの母とて、医者に何度も確認していたのを思い出す。
「……残念ながら事実です、エインス様。実のところ、自分が何者だったのかすら、目覚める前のアリティーナ・フェルベッキオのことは何一つ分からないんです」
「そう……ですの。申し訳ないですわ。別にあなたを疑ったりはしていないのですが、どうしても聞かずにはいられませんでしたの」
「構いません。それは別段おかしなことではないでしょう」
などと返したら、また不思議そうな顔をされた。キョトンとしてしまったなんだか面白い顔である。
「あの……どうかしましたか?」
「い、いえ、前のアリティーナさんは、わたくしが謝ったりしたら「エイン様に頭を下げられるなんて、私はなんという愚かなことを!」って暴れて泣いていたものですから」
前のアリティーナは本当にどんな奴だったんだと言いたくなる。心酔どころか崇拝ぶりはもはや常軌を逸している代物だったのだろう。日記出確認できる以上に壊れていたらしい。
そんなこちらの様子から、記憶喪失は間違いないと思ったのだろう。エインスは恐る恐る尋ねてみた。
「では――あのこともやはり、覚えていないのですね」
「あのこと……ですか?」
来た、とティナは身構える。
エインスが、アリティーナに何か頼み事をしていたのは日記から分かっている。その頼み事から、アリティーナは倒れ――今のティナが目覚める結果となった。
このような形でティナが肉体を得た理由に、何かしら関わっていることは間違いない。それを聞き出すことが、このお茶会に来た理由だった。
「覚えていらっしゃらないでしょうが、わたくしはアリティーナさんにあるお願いをしていましたの。もっとも、わたくしはそれを行わないようアリティーナさんには申していましたが、どうもアリティーナさんをそれを自分で始めてしまったようで……」
「お願い……? あの、差し支えなければそのお願いとは何か教えていただけませんか? 私も、自分の記憶を取り戻すきっかけが欲しいのです」
「――いえ、別にそんな大した願いではないのですが」
そう言って目を逸らす。この様子だと、大した願いでないはずはなさそうだ。ただ、口にする気は無いらしい。
地下室にて倒れていたアリティーナのその後からすると、尋常でないことが行われたのは間違いない。それにエインスが関わっているのもこれではっきりした。
だが、エインスの方はそれを喋る気は無いらしかった。記憶を取り戻すと言っても黙ってるのなら、これはどうしても言わないだろう。ティナは困ってしまう。
「そうですか……いえ、こちらこそ無遠慮なことを口にして申し訳ありません。私も、自分のことが分からず戸惑うばかりでして――」
「記憶喪失とは、辛いものですわね」
「ええ。目覚めてみたら、このような姿になっていて、自分が少女になるなんて思わなかった……あ」
紅茶を持った手が、ぶるりと揺れる。
顔を上げると、エインスが体を硬直させてしまっていた。
しまった、と自分の馬鹿さを呪う。
つい口を滑らせた。三ヶ月前起きたことを思い返して、余計なことを喋ってしまっていた。
どう取り繕うかと頭を悩ませていると、
「アリティーナさん……あなたまさか……」
「あ、いえその、これは……」
「アリティーナさん、あなたも異世界転生したんですの!?」
「……はい?」
異世界転生。などと訳の分からない言葉を告げられた。
何を言っているのかと困惑していると、勢いづいたエインスは立ち上がる。
「まさかあなたまで……いえ、あの儀式を行った結果でしょうか。こちらの予想外の事態になりましたが、これもゲームの隠しルートだとすればむしろ興味深いですわ」
「げ、ゲーム? 何のことを……」
突然ブツブツ呟きだしたエインスに困惑していると、エインスはこちらをビシッと指差してこう宣告した。
「アリティーナさん、あなたは――わたくしと同様、『悪役令嬢』なんです!」
「……は?」