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私と豹馬くんに気が付いた紘夢くんがにこっと笑い、豹馬くんも営業スマイルを振りまく。
「酒も呑めないのにツマミか?」
「呑めませんが、食べられるので。ご一緒にどうですか? うるさくて眠れなかったですか?」
「いや、オレたちはいいよ。コイツ、酒癖悪いから呑ませちゃいかんって次代様に言われてるんだ」
なっ? と豹馬くんに同意を求められて、私はしぶしぶ頷く。
何も今、こんなところで暴露しなくてもいいのに。
島の皆もお行儀よく呑んでいるわけじゃないですよ~、と紘夢くんはくすくすと笑う。
初めて会った時はどんよりとした感じだったけれど、こうやって年相応に笑う姿を見ると心がほっこりとした。
しばらく立ち話をしていると、豹馬くんがさり気なく話題を切り出す。
「寺の薬箱ってどこにあるか知ってるか?」
「薬箱? 台所にあったと思いますけど。怪我ですか?」
首を傾げた紘夢くんにつられて私も薬箱? と傾げる。
「オレ、山育ちのせいか潮風に弱かったみたいで目が痛いんだよ。目薬かホウ酸かあれば助かるんだが」
飄々と嘯く豹馬くんはわざとらしく眼鏡の下の目を擦る。
すると紘夢くんは慌てて豹馬くんの腕を取った。
「擦っちゃだめですよ。僕、ホウ酸なら持ってます。ちょっと待っててくださいね」
そう言って紘夢くんは一旦枝豆を座敷に置いてから、自分の寝泊まりする部屋へと駆けて行く。
本気で心配をしてくれている背中を見送って、私は豹馬くんを見上げた。
「目、痛いの?」
「痛くない」
「目薬はともかく、ホウ酸ってなによ」
「目を消毒する薬品」
「ふーん。でもなんだってそんなマニアックなもの、紘夢くんが持ってるんだろ」
「兄貴の為、じゃねーの? それか自分も目の調子が悪いからとか」
数分すると半透明の小さな点眼薬のボトルを手にした紘夢くんが戻り、豹馬くんに渡す。
心配気に眼鏡の奥の目を覗き込む紘夢くんに、流石の豹馬くんも少し後ろめたさがあったようで、何度もありがとうと繰り返した。
「紘夢くんも目が痛かったりして持ち歩いてるの?」
私が尋ねると彼はちょっとだけ眉間に皺を寄せて困ったように笑った。
「僕は大丈夫なんですが、兄が目が弱いもので。父も母も夜目が利かなくなった時期があって……。やっぱり海が近いと目って悪くなるんでしょうか……」
そんなことは無い。
海に囲まれた島国で、そんな話は聞いたことが無い。
「お父さんもお母さんも?」
「はい……。そんな目で夜に出歩いてしまったから……」
そんな目で夜に出歩いてしまったから『普段行くことのない崖から転落した』。
紘夢くんが飲み込んだ言葉の先を思って、私と豹馬くんはこれ以上彼に話を聞くのは酷なことだと判断し、お礼を言ってからその場を立ち去った。
再び部屋に戻った私たちは、煌々と明かりをつけた電気の下で作戦会議を開いた。
豹馬くんは紘夢くんから貰った点眼薬を手のひらで転がしている。
「ねぇ。私の予想とはちょっと違ってきてるんだけど」
「オレもだ。八紘を使ってと思ってたんだが」
そうなのである。
私も八紘さんに憑りついて悪さをしていると考えていた。
けれど紘夢くんの話を聞けば両親に憑りついて、そのまま殺害したと思ってしまう。
夜這いの男たちは別としても、殺意を持って憑りつき、実行している。
とするとだ。
憑りつかれた人間は殺される。
夜這いの男たちは別の目的の為に憑りついたに過ぎない。
普通に考えて、母親は息子である八紘さんの為に動いていると思っていたけれど、八紘さんは目の状態からしてターゲットにされている可能性が高い。
そしてもっと疑問なのが、紘夢くんは無事であるということである。
薄暗い廊下をお盆を持って普通に歩いていたから、全く影響を受けていない。ということは憑かれたことが無いということだ。
「母親が甥の紘夢くんに肩入れする理由ってなに。てゆうか自分の息子を殺そうとする意味って」
「息子を自分の両親に預けて失踪するようなやつだぞ。頭のおかしいやつの考えなんか解るものかよ」
「身も蓋も無いこと言わないでよ。とりあえず確認するけど、母親に憑りつかれた人間は夜に目が見えなくなるわよね?」
私が同意を求めると豹馬くんは顎を引く。
「それでたぶん憑かれたのは亡くなった網元夫妻と八紘さん。紘夢くんは無事。ついでに夜這いの男の人たち」
「そうだな」
「でもって、夜這いの男の人たちが殺されなかった理由は」
「目的は上守を襲うことだから殺す必要が無かった。もしくは塀内で力を発揮することが出来なかった。もしくは、神守の眼で散々しばかれたから早々に逃げてった」
「そもそもどうして私を襲おうと思ったのかしら」
「息子の嫁にと考えたのか。でも他の男に襲わせようとする意味が解んねぇな」
「そうなんだよね。だったら八紘さんが乗り込んでくるはずでしょ?」
「あぁでもアレだな。憑りついた人間を殺すことが目的だったとして。息子を殺そうとしている母親の気持ちって母親じゃなくて女なんだろうな」
「はぁっ?」
「網元の家に来た若い女は敵」
「何でよ」
「自分は網元の紘雄と結ばれるはずだったのにって逆恨み」
「いやだって私は次代の婚約者ですって紹介されたんだよ?」
「そんなもん霊は理解なんかしちゃくれねぇよ。アレがいつ死んだのか知らねぇけど、時間が過ぎれば過ぎるほど恨みの本能だけ残って悪霊化すんだよ。ずっと人間のままの思考能力を持ってるわけじゃない」
「そういうもの?」
「そういうもの」
半ば強引に私を納得させた豹馬くんは、遊んでいた点眼薬をぽーんと放り投げて空中で片手を使ってキャッチした。




