(2)
「キラお嬢様!! どちらに行かれるのですか?!」
学校から帰ってすぐ荷物を部屋に投げ込み、飛び出していこうとする私を侍女のマリアが呼び止める。
「教会の池にカモの親子が来ているんですって!きっとすごく可愛いわ。マーサ達と一緒に見に行く約束をしてるの!」
伯爵令嬢と思えないほどの私のお転婆ぶりはいつものこと。マリアも「はいはい」と、たしなめることもなく諦めたように答えた。
「じゃあ、お茶の時間までにはお戻りくださいね。シェフのトムが今日はお嬢様の大好きなリンゴタルトを焼くって張り切ってましたから。」
「やったぁ!分かったわ。早く帰るね!じゃあ、行ってきまーす。」
そう言って部屋を飛び出していく私をマリアは「やれやれ。」と笑顔で見送った。
私が生まれた時は、どんな過酷な運命が私に待ち受けているのかと、皆、すごく心配したそうだ。
事実、物心ついた頃は、興味津々、おもしろおかしく陰口をたたいたり、勝手な憶測で恐怖を煽る様な噂をたてられることも多かった。
当時の私は心ない言葉を耳にする度に「自分は望まれない子」「生まれてこないほうがよかったのかも」と不安になり、家族以外の人と接することに少なからず恐怖を抱いていた。自分は普通ではない、存在するだけで人に怖がられる存在なんだと...。
でも9歳になった今では、私の周りの人々は、私のことを全く普通の子どもと同じように接し、温かく受け入れてくれている。
「大丈夫。キラが自分らしく、人との出会いを楽しんで生きれば、きっと皆、キラのことを分かってくれるよ。」
お父様はいつもそう言って、私が積極的に人々と関わることをすすめた。私が与えられた運命から逃げずに、前向きに生きていけるようにと。
私の両親とお兄様は、私のことを普通の子どもと同じように愛し、慈しんでくれている。
むしろ普通以上の溺愛ぶり。
だから辛いことや悲しいことがあっても、いつも私には安心できる居場所があり、うつむくことなく生きてこれたのだと思う。
6才で領地の初等部の学校に通うようになった時も、初めは、他の子ども達は、まるで珍獣を見るように私を見た。
遠巻きに見ながらひそひそと噂するばかりで、誰も近づいて来なかった。
「本当に真っ赤な目だ」
「嫌だ。気持ち悪い。」
「真っ白い肌で、ちょっと恐いよね。魔女のお人形みたい。」
そんな囁きが聞こえてくるのも度々だった。
でも私は、お父様に言われたとおり、いつも自分らしく振る舞うよう心がけた。
決してうつむくことはするまいと...。
家族や屋敷の使用人達が、いつも私を大切に扱ってくれるのと同じように、私も周囲の人達を大切にしなければいけない。
私は、自分に関わる全ての人との関係を大切にしようと決めていた。
そうやって毎日を過ごしていくうちに、だんだん一人二人と私のそばに来て、一緒におしゃべりしたり、遊んだりできる友人が増えていった。
そして、その頃からだんだん私も弾けてしまったようで...。
だって、学校にいる平民の子どもたちは、私の知らないことを何でも知っていて。
素敵な場所もたくさん知っていて。
何でも自分でできて。
屋敷に籠って生活していた私にとって、それはそれは刺激的な毎日だった。
楽しくて、すっごい嬉しくて。
私ってこんなに何も知らなかったの?もっと彼らを見習わなくっちゃって思って。
それからは、お転婆が過ぎて別の意味でお父様やお母様をハラハラさせることになった。
そして、今やすっかり私も逞しく成長し、領主のお嬢様が、領地の平民の子どもと一緒に、文字どおり野山を駆け回って遊ぶ光景も、見慣れたものとなっていた。
友人達は、もう私の瞳の色など全く気にしない。あたり前のことだと思っていた。
ついでに私が伯爵家の、領主のお嬢様ということも、気にしていない。
だから、友人達と一緒に外を駆け回る私の後ろを、サザーランド伯爵家の従者があわてて付いて回るという微笑ましい光景も、いつものこととして誰も気にしなくなった。
私はこうやってのびのびと幼少時代を過ごしていた。そしてそれは、領主であるお父様の人柄と功績のおかげでもある。
ここ、アルメニア王国は近隣の国々の中でも豊かで活気のある国だ。基本的には貴族が支配する階級社会ではあるけれども、先代の王の時から平民の子どもにも平等に教育を受けさせ、誰もが努力次第で成功できる政策が取られるようになった。
まだまだ貴族階級の特権意識は根強いため、このような政策に反感を示すものも多く国内事情は不安定なところもある。でも、平民や下級貴族でも努力すればお金持ちになれるとなれば、そこに競争が生まれ、もたらされる経済的なメリットは大きい。
お父様は、こうした王国の政策を強く推進し、自身が治める領地のヒースリィ州においても、全ての子ども達が平等に学べる学校を整備した。
また、ヒースリィ州では鉱山資源に恵まれ、領地の大きな収入源となっていて、そこから得た利益の大半は、領地の人々の社会保障のために使われていた。
病気や怪我で働けない人々や、貧しく生活に困窮している人々のセイフティネットを整備したことで、皆、安定した生活が送れるようになった。
ヒースリィ州は王都から遠く離れた田舎の町だったから、そこに住む貴族達も元々おおらかな人が多かった。
多くの人々は、領地が豊かで平和になれば、自分たちもその恩恵を受けられると好意的に受け止め、こうした政策に反感を抱く人もなく、領地の貴族も平民もお互いに競いあいながら、助け合う風土が生まれた。
それは、自然と領地の人々に、領主の娘である私のことを大切に見守ろうという気運を生みだし、今の私の恵まれた環境に繋がっていった。