第十五話 閑話
下手をすれば憑りつかれてしまう寸前だった。織神さんは痛む傷を抑えながら俺を叱ってくれた。犯人がすぐに見つければどれだけいいか。これ以上誰かが悲しむことを嫌った結果、一番傷つけてはいけない人を傷つけてしまった。
後悔は先に立たない。後悔はいつもうしろで足を引っ張る。
「腕を出して」
一度俺たちは彼女の家に戻った。当然傷の手当てをするためだ。ぶたれた頬など季節違いの冷たい風が撫でていくだけで十分だった。この痛みが引いてしまう前に、謝らなければ。そうでなければ犯人の策略に陥ってしまう気がしてならない。ここで仲たがいしては、重要な何を見逃してしまう。
「……」
彼女は服の裾をめくり、包丁の切っ先で裂けてしまった傷を見せる。血が滴り、綺麗な白い肌を赤に染めている。救急箱から包帯と消毒液を取り出して、彼女の手当てを始めた。
母や保険医の片桐先生の見よう見まねだが、手当ては思っていたより様になっている。彼女はうめき声一つ上げずにそっぽを向きながら何やら言葉を選んでいるようだった。徐々に冷たくなっていく雰囲気が、この部屋の静けさと融けていく。このままではダメだ。俺から話しを切り出さねば。
「あの……」
「なによ」
彼女はすぐに言葉を返してくれた。少なくとも俺と会話程度はしてくれるようだ。
「さっきは……ごめん。俺が無茶したせいで、織神さんに迷惑をかけた。本当にごめん」
子どものようなただ頭を下げるだけの謝罪。これで彼女に気持ちが伝わったかどうか変わらないが、しないよりはマシだ。そのはずだ。
「……」
彼女はまたしても口をつぐんでしまった。やはり、これだけでは気持ちなど伝わるわけも無かったのか。弱るな、一度でダメなら二度三度。
「驚いた」
予想だにしない言葉だった。彼女が一体何に驚いたのか俺には皆目見当もつかなかったが、珍しく表情を崩してそう言った。
「てっきり、手当てしたことに対して感謝の言葉を求めるものだと思っていたのに。貴方って不思議な人ね」
不思議なのは織神さんの方だろ。と意図せず口から漏れてしまいそうになったが、そこはぐっと飲み込んだ。
「そんなこと気にしなくていいわ。貴方だって犯人の正体を探ろうとしてやったわけでしょ? なら私としてもあの問答だけで終わりよ。これ以上責めるつもりなんてない。だから難しい顔をするのは止めななさい。似合わないわよ」
彼女は手当てが終わった腕を俺の手から離し、肩を数回回す。憑神とまた戦う可能性があるのだ、自分の利き腕がどれだけ自由にできるか把握しておいた方がいい。
「手当て、どうもありがとう。おかげさまであいつ如きなら負ける気がしないわ。それと……」
と言いかけて彼女は止めた。懐かしい写真を見るようなセピア色の瞳は俺に何も語ってくれなかった。俺も彼女に改めて問い返すつもりなどない。彼女に許されたそれだけでいいのだ。
織神さんの携帯が鳴った。おそらく、南方刑事からの連絡だろう。
彼女は画面を確認すると、鋭い視線を彼方へ向けてこう言った。
「二人のところに行くわよ。そろそろこの戯曲も終わりにしてあげましょう」




