11.ある日、森の外
第一〇六城砦付近の森に到着した。
俺とフィリラちゃん、ラキスさんの三名と、スケ兵さん百体の大所帯である。
フィリラちゃんは弓を、ラキスさんは剣を携えている。スケ兵さん達も完全武装である。
食料調達とは思えない陣容である。まるで戦場に赴く軍隊みたいだ。
城砦を出発した際、いつにも増して無表情なキリキスが見送ってくれた。
なぜだろう、彼女の赤い瞳に見詰められ、背筋に寒気を覚えたのは。
それはともかく、俺たちは森を前にして待機中である。
スケ兵さんたちを使いたいというので、フィリラちゃんに暁闇の指輪を渡した。
ラキスさんが少し驚いた顔をした。
何を考えたのか見当はつくがいまさらの話しだ。お互いが信頼できなければ俺達は滅ぶしかないのだ。
一方のフィリラちゃんは大はりきりである。
スケ兵さん百体を半分に分け、大きく迂回させて森の左右から一列に並ばせて奥に進ませる。
森の中の安全確認のため、索敵でもしているのだろうか。
フィリラちゃんは森に向かってさかんに両腕を振り回している。
たぶん森のスケ兵さんたちに指示を送っているのだろう。
思えば彼女がスケ兵さんを指揮するのは初体験だ。ちょうど良い訓練になるな。
そんなわけで暇をもてあました俺は、ラキスと会話をすることにした。
コミュニケーションは円滑な人間関係を築くための第一歩だ。
「いい天気だね」
「・・・そうだな」
「・・・」
「・・・」
あれ?変だな?会話が続かない。
「ああ、そうだ、何か困ったこととか、不満とかないか?」
「・・・特にはない」
「・・・」
「・・・」
フィリラちゃんが、森に向かって大きく両手をふりまわす。
ラジオ体操みたいだ。
話題がない。いや、負けてはだめだ。何かあるはずだ、そう例えば
「そういやキリキスやクルスとは、仲良くやっているか?」
「口を利かないから」
「・・・」
「・・・」
はい残念。ダメでした。
俺はあきらめてフィリラちゃんを眺める。広げた両手で一生懸命半円を描いている。
何をしているのかさっぱりだが。
「はりきっているなあ」
「そうだろ! 気落ちしている様子で心配だったんだが、今日は元気でいらっしゃる。やはりフィリラ様は明るくふるまっていらっしゃるのが一番だ!」
「・・・そうだね、彼女は笑顔が可愛いしね」
「その通り!純情で健気でお優しい!嫁にしたい魔王の筆頭だな!」
・・・奥様は魔王?
「もう少し自己主張をしてもいいと思うけどね」
「馬鹿な!あの謙虚で控えめなところが良いんだ!目立つことはないけれど、気付けば魅了されずにはいられない、ひそやかに野に咲く一輪の花!いや待て!」
「・・・・・・」
「普段は可憐な少女だが、時には大胆な振る舞いで誘われるのもいいかも。だが決して下品にはならず、恥らいつつも精一杯の勇気を奮い起こすような感じで!」
「・・・ほんのちょっと前かがみになって胸元をのぞかせるような?偶然を装いつつ頬を真っ赤に染めて?」
「それだ!!」
それだじゃねえ!駄目だこいつわっ!!
なんか致命的にひどい有様な気がする!
恍惚とした表情の彼女を見て、俺は引いてしまった。
「でもそんなにふさぎこんでいたのか?そうは見えなかったが」
「・・・人前では気丈にふるまわれているが、ときおりため息をついておられる。故郷の家族を思われているのかもしれない」
「・・・そうか」
「あの方の命を助けてもらったことについては感謝している」
「・・・うん」
「あの方は戦いに向いてはいない。魔王として召喚された日も、ただひたすらに嘆き悲しまれていた。いくら言葉を尽くして励まし、お慰めしても、故郷の家族を思い涙された」
ラキスさんは悔しげに唇を歪める。
「従者としてはふがいない話しだが、あの方一人では早晩命を落とされていただろう。そういう意味ではカズサ様に敗北したのはあの方にとって幸いだった」
「・・・そう言ってもらえると、ちょっとは救われる気がするよ」
「どういう意味だ?」
「そうだな。理由をいくら挙げても結局は、戦う気のない女の子を襲って捕らえ奴隷にしてしまった」
「・・・」
「だからさ、彼女が幸せになれるように頑張るよ。それで罪滅ぼしになるとは思わないけどね」
そうだ。最悪の出会いだったけど、これから頑張ればいい。
「・・嫁にはやらんぞ?」
まじめな顔で言われたよ!
「だいなしだな! 返せよ俺の純情を!!」
そのとき森の奥が騒がしくなった。
耳をすませば、がちゃんがちゃんと何かを打ち鳴らす音が鳴り響いている。
音はだんだんとこちらに近付いているようだ。
森のほうを眺めていると
「あ、可愛い」
斑点模様の動物が森から跳び出てきた。
小鹿のような生き物がぴょんぴょんと跳ねまわる姿にほっこり癒され
飛来した矢に首を射抜かれ、小鹿はパッタリ倒れた。
「・・・あれ?」
「やりましたっ!」
弓をぶんぶんと振り、フィリラが満面の笑みを浮かべていた。
ショックで呆然とした俺が眺めていると、フィリラは二匹目の獲物もさっくりと射殺した。
合計三匹の獲物を仕留めると、フィリラちゃんはスケ兵さんたちを指揮して獲物を木にぶら下げた。
「これだけあれば、しばらくはお肉に困りませんね」
前掛けをした彼女は、すごくご機嫌な様子で凶悪なナイフを取り出すと、手早く喉をかっさばいて・・・
鼻歌交じりで皮を剥ぎ肉を裂き骨を絶つ姿は、可憐とか清楚とかいう表現とは無縁だ。
「素晴らしい生活力です実にたくましい!」
前言を百八十度反転して褒めたたえるラキスの株は、俺の中で大暴落だ。
くるりと振り向くフィリラちゃん。
素敵な笑顔だがほっぺについた血は拭いてほしい。
「カズサ様とラキスさんも手伝ってくださいね」
女の子ふたりの前で醜態をさらさないよう、吐き気をこらえながらフィリラちゃんを手伝う。
その一方で俺は、暁闇の指輪を操作した。
フィリラの指揮系統に上位権限で介入し、スケ兵さんたちの様子を確認する。
どうやらフィリラちゃんは森の中でスケ兵を騒がせ、獲物たちを追い立てたようだ。
いまスケ兵さん達は、彼女の指示で森の果実や野草を探している。
この森はかなり深そうだから、こうした人海戦術は有効だろう。
わざわざ森に入らなくてもいいので楽だし。
フィリラちゃんのおかげで、俺はスケ兵さんたちへの先入観を改めた。彼らは単なる兵力ではなく、労働力としても実に重宝だ。
今後の計画において選択の幅が広がりそうだ。
血なまぐさい作業から意識をそらしていろいろな案を練っていると、不意に頭の中で警鐘が鳴り響く。
「フィリラ! ラキス!」
森のスケ兵さんの反応がひとつ、いきなり消えた!
「カズサ様!」
フィリラの指揮権を奪い、スケ兵さんたちに指示を飛ばす。
「森の中からなにか来る! ここから離れろ!」
俺はフィリラの手を引っ張りながら駆け出す。
スケ兵たちを集結させようとして――ダメだ!木立が邪魔で間に合わない!
森の中から黒い巨体がとびだした。
ソレは森の境界に出ると二本の脚で立ち上がり、凄まじい声で咆哮した。
聴覚を圧倒する咆哮に俺は立ちすくみ、フィリラは腰が抜けてへたり込む。
熊、なのだろうか。だがその顎部は狼のように突き出て、両肩は大きく盛りあがっている。
両脚は俺の胴体ほどもあり、血走った双眸が俺たちをにらむ。
黒く巨大な獣が再び吼え前脚を地面につけると俺たちめがけて駆け出した。
真正面から迫る殺意の塊のような巨体に、フィリラは悲鳴をあげた。
それがトリガーとなった。迫る脅威に魔王の従者が起動する。
紅い閃光が黒い獣に向かって走り、正面からぶつかた。
「ラキス!!」
銀の軌跡が獣の頭に叩きつけられる。
硬い頭蓋骨が剣をはじき返すが獣は急停止した。
ゴアアアアア
獣は立ち上がり、刃物のような爪を伸ばし剛腕でなぎ払う。
ラキスは後ろに跳んでかわし、すぐに懐に跳びこんで剣を胸につきたてる。
それからは凄まじい攻撃の連続だった。
ラキスは人外のスピードで剣を次々に繰り出すが、獣の厚い毛皮に阻まれて浅手にしかならない。
鋭い爪をふるう獣の攻撃も、ラキスの素早い動きに翻弄されてあたらない。
「カズサ様!」
ラキスが叫ぶ。
「フィリラ様を連れて逃げてください!」
両者の戦いは一見して拮抗しているように見えるが、実際は違う。
ラキスには余裕がない。常に肉薄して、獣の気を自分からそらさないように戦っている。
少しでも距離をとれば、獣は強い敵より弱い獲物、俺とフィリラに襲い掛かるからだ。
だから獣の爪がかするようなギリギリの死地に身を置き、命を削るような戦いを強いられる。
「ラキスさん!」
フィリラの悲痛な叫び。
ラキスの忠誠心を無駄にはできない。俺は彼女に代わりフィリラを守らなければならない。
「フィリラ!」
俺は彼女の腕をつかむと無理やり引き立たせた。
「嫌です!」
フィリラは抵抗するが、俺は逃げる際に手にした弓矢を押し付けた。
「弓を構えろ!」
巨獣に指を突きつける。
「襲え不死の兵たちよ!」
そして俺はフィリラの代わりにラキスを助けなければならない。
スケ兵が一体、獣の背後から剣をつきたてる。
魔王の従者でさえ満足に剣を刺すことができない分厚い毛皮と筋肉だ。スケ兵の剣が深く傷つけることはできない。
だが不意を衝かれた獣は反射的に振り返り、剛腕を振るう。
吹き飛ぶスケ兵。しかし無防備になったその背中を、ラキスが渾身の力を振り絞った一撃が見舞う。
明らかに今までより深い傷を負い、獣が吼えた。力を込めすぎた剣は歪んでしまった。
獣がふたたび向き直ろうとするより早く、次のスケ兵が、その次のスケ兵が、武器を手にしたスケ兵百体が次々に襲い掛かる。
ラキスの稼いだ時間を無駄にせず、森から引き上げたスケ兵すべてを、獣に襲い掛からせた。
それは大きな獲物に噛み付くアリの群れを思わせた。獣に比べ明らかに貧弱だが、死を知らぬスケ兵たちはひるむことがない。
腕を折られ足が砕けようと、這いずってでも襲い掛かる。
剣で、槍で、弓で、斧で攻撃を繰り返す。
無数の敵に囲まれ混乱する獣を、ラキスの攻撃が見舞う。
攻撃のみに専念できるようになった渾身の一撃を、獣に叩き込む。
彼女の力に耐え切れず、剣が折れるたびに、スケ兵の剣を拾い、戦い続ける。
絶え間ない攻撃に業を煮やした獣が立ち上がり、咆哮と共に大きく腕を振り払おうとした瞬間
フィリラが矢を放った。
狙い過たず、吸い込まれるように獣の右目に刺さる。
があああああ!!!
咆哮ではない、それは苦痛の絶叫。
紅い髪をなびかせ、魔王の従者が跳躍する。
彼女の剣は開いた口に突っ込まれ、獣の口蓋を貫いて脳に達した。
とどめとばかりに剣でえぐると、獣は大きく身震いする。
やがて獣は仰向けになって倒れ、地面がどしんと揺れた。
あ、とフィリラが声をあげる。奇妙な声音だった。
小さく痙攣してから、熱く潤った息を吐く。
次の瞬間、俺も名状しがたい感覚に襲われる。
何かが俺の身体をはしり抜け、その感覚をつかむ前に消えた。
俺とフィリラは顔を見合わせた。
一瞬だが俺たちは、何かを共有したのだ。
交わった視線を互いにそむける。なんとなく気まずかった。
「フィリラさまあああ!」
戻ってきたラキスが、フィリラちゃんに勢いよく抱きついた。
「すごいですフィリラさま!素敵です!かっこよかったです!」
それはもう、その場に押し倒さんばかりです。
腰をすりつけながらむしゃぶりついている。
悲鳴をあげるフィリラちゃんに、鼻息荒く顔を紅潮させるラキス。
俺はため息をつき、ラキスの頭を殴りつけた。
「本気なの?」
フィリラちゃんの提案に、俺は耳を疑った。
「あたりまえじゃないですか、もったいないですよ」
そういうことだ。
俺たちは城砦への帰途についた。
本日の戦果は子鹿が三頭。それに黒くてデッカイ獣が一頭。
自分を食おうとした猛獣さえも晩飯にしようとするフィリラ。
弱肉強食というやつか。食う方が強いならフィリラが最強なのか。
壊れずに残った五十体のスケ兵さんたちで獲物を引っ張っていく。
ずいぶんと重そうだ。スケ兵さんたちには頭が上がらない。
戻ったらキレイに水洗いしてあげよう。
リヤカーが欲しい。城砦の物資は必要最低限のものだ。生活改善を図るなら、いろいろと欲しいものがある。
フィリラちゃんと相談してリストを作ってみよう。入手方法についてはあてがないわけではない。
ラキスによれば、黒い獣は魔獣と言うらしい。
魔獣は危険な生物で、あの獣は強さなら上位種にあたるが、上位種としては下の強さだそうだ。
あれよりまだ強いのがいるのか。
ただ上位種はめったに見ないらしい。たぶんあの森にはあの一匹だろうということ。
魔獣は上位になればなるほど、広いテリトリーを必要とするからだ。
ならば十分な備えをすれば、またあの森で狩りをしても問題はないだろう。
ただ下位の魔獣はあちらこちらに出没するらしい。それを聞いて俺は、このあたり一帯の探索が必要だと思った。
魔獣だけではない、どんな危険が潜んでいるのか、あらかじめ知っておく必要がある。
危険対策だけではなく、資源となりそうなものを発見できるかもしれない。
地図を作ろう。城砦にある大雑把な地図ではなく、もっと詳細なものだ。
測量技術などないが、実用にたえられるレベルならかまわない。
やらなくてはならない仕事はいくらでもある。
魔王群の襲来までどのくらい時間があるか分からないが、やるべき仕事をすべて片付けるには足りないだろう。
振り返ったのは、直感のようなものだったのか。
背後に広がる森を眺めると、人影が見えた気がした。
確かめる間もなく、影は森の中へ消え去った。
「私が間違っていた!」
アルフが頭を下げ、素直に謝罪した。
森から城砦に無事帰還した、その日の夕食である。
食卓には久しぶりの肉料理に、森で採れた野草の料理が並んでいる。
「確かにおいしい食事は、生きていることを実感させる。それをおろそかにする発言は軽率だった。許して欲しい」
「・・・分かってくれたならいいよ」
アルフの食べ方は貴族らしく上品だったが、なかなかの健啖ぶりだ。どんどん料理が減っていく。
「ありあわせで申し訳ありませんが」
フィリラちゃんはしきりに恐縮している。
彼女曰く、肉の熟成やら調味料やら、足りないものが多くて不本意な出来らしい。
「いや十分以上だ。フィリラの料理の腕前はすばらしいな」
「そうですフィリラ様、お嫁にほしいぐらいです」
ラキスさん本気だね?
キリキスもクルスも、黙々と食べているが、実に満足げだ。
フィリラちゃんの料理は見た目からしてうまそうだ。
「・・・みんな、おいしそうだね」
俺が恨みがましい視線をキリキスに向ける。
「はい、美味です」
彼女はしれっと言い、切り分けた肉をほおばる。
俺一人だけが、ガンパンをかじっていた。
「あ、あの、カズサ様、すみません・・・」
「ああ、いいんだよ、気にしないで」
フィリラちゃんの気遣いが心底うれしい。
あれ、ガンパンがやけに塩辛い。そうか、こぼれた涙は心の調味料なんだ。
「仕方ありません。陛下は異世界の方。通常の食材でもどんな影響があるかわかりません。一晩経過を観察したほうがいいでしょう」
そうなのだ。
ラキスは毒見と称して俺の分の料理をほとんど平らげた上、どの料理も一口ずつしか食べさせてもらえなかったのだ。
理屈は分かるよ?でもなんでだろう?
意地悪というか悪意というか、そんなものを感じるんだよ。
「ねえ、俺、なんか怒られるようなこと、した?」
「なんのことでしょう」
にべもない返事。だけどその瞳が、普段の十割り増しで冷たい。
「なんでもありません」
俺はごりごりと、ガンパンをかじり続けた。




