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綻びを繕う者 ~三十五歳の設備保全員、異世界で唯一の修繕師になる~  作者: のむ


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 第三章 冒険者ギルドと最初の依頼


 ブランデルの冒険者ギルドは、町の中心広場に面した二階建ての建物だった。一階がギルドの受付と掲示板、二階が会議室と倉庫になっている。

 柏木とリーナは、トーマスの紹介状を持ってギルドを訪れた。

 受付にいたのは、眼鏡をかけた二十代半ばの女性だった。銀色の髪を高い位置で結い上げ、きっちりとした制服を着ている。

 ギルドの建物は、赤猪亭よりも一回り大きかった。木と石の組み合わせで造られた二階建てで、正面には冒険者ギルドの紋章——交差した剣と盾——が掲げられている。

 中に入ると、広い一階フロアに受付カウンター、依頼掲示板、そして冒険者たちが情報交換をするための丸テーブルがいくつか並んでいた。

 時間帯のせいか、中にいる冒険者は少なかった。奥のテーブルで地図を広げている二人組と、カウンターに肘をついてぼんやりしている若い男が一人。

 柏木はカウンターに近づいた。

 「冒険者登録ですね。お名前と、クラスをお願いします」

 「柏木遼一。クラスは修繕師です」

 「リーナ・フォルスト。クラスは剣士です」

 受付の女性——名札にはエルザ・キルシュと書いてあった——は、柏木のクラスを聞いて一瞬ペンを止めた。

 「修繕師……。申し訳ありません、ギルドの登録クラス一覧にない名前なのですが」

 「ないんですか」

 「はい。戦士、剣士、魔法使い、僧侶、弓使い、盗賊、鍛冶師、錬金術師——登録可能なクラスは全部で四十二種ありますが、修繕師という項目はございません」

 柏木は困った。ここで門前払いされると、冒険者としての活動ができない。

 「一番近いクラスで登録することはできますか」

 エルザは少し考えてから、にこりと笑った。

 「特例として『その他・特殊技能』の枠で登録しましょう。このギルドの支部長権限で対応できます。念のため、スキルの実演をお願いできますか?」

 柏木は受付の横に置いてあった、壊れたインク壺を手に取った。底にひびが入って使い物にならなくなっていたものだ。

 【修繕術】を発動。数秒でひびが消え、新品同様のインク壺になった。

 エルザの目が丸くなった。

 「……これは、すごいですね。修繕というより、魔法のようです」

 「いやいや、そんな大したものでは」

 「いいえ。このギルドでは壊れた装備の修理費用が大きな問題になっています。修繕師の方がいてくださると、とても助かります」

 エルザは手早く書類を作成し、二枚の冒険者証を発行してくれた。銅の板に名前とクラスが刻印されたものだ。ランクはE——最下位の初心者ランクだった。

 「ランクは依頼の達成実績に応じて上がります。E、D、C、B、A、S、SSの七段階です。それぞれのランクに応じた依頼を受注できます」

 エルザは掲示板を示した。木の板に羊皮紙の依頼書が何枚も貼り付けられている。

 「Eランクの依頼は主に採集や運搬、害獣駆除などです。お二人の場合は——」

 エルザは一枚の依頼書を取って柏木に見せた。


 【依頼:壊れた水路の修理】

 ランク:E

 依頼主:ブランデル町役場

 内容:北地区の農業用水路が破損し、農地に水が行き渡らなくなっている。

    水路の修理ができる者を求む。

 報酬:銀貨五枚

 備考:水路付近に小型魔物の目撃情報あり。注意のこと。


 「この依頼は二ヶ月前から掲示されていますが、受ける人がいません。鍛冶師や石工は水路の修理が専門外ですし、戦闘要員は修理ができません。修繕師と剣士のお二人にはぴったりかと」

 柏木はリーナを見た。リーナは大きく頷いた。

 「やりましょう、リョウイチさん!」

 「では、この依頼を受けます」

 柏木は依頼書を受け取った。紙質は元の世界のものとは違い、動物の皮をなめしたもので、独特の手触りがあった。だが、書かれている内容の本質は変わらない。困っている人がいて、直してほしいものがある。それだけで十分だった。

 ギルドを出ると、昼下がりの日差しが目に染みた。この世界に来てまだ数日しか経っていないのに、不思議と落ち着いている自分がいた。仕事がある。やるべきことがある。それだけで、人間はこんなにも安心できるものなのか。

 「リョウイチさん、明日の準備をしましょう。水路の場所を確認しておいた方がいいです」

 「ああ。先に現場を見ておこう。どんな修繕でも、まず現状把握が基本だ」

 十三年間の設備保全員としての習慣が、自然と口をついて出た。リーナは不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔で頷いた。


 町の北地区は、あの綻びに最も近い場所だった。

 かつてはここにも住居があったが、瘴気の影響で住人はみな南側に移った。今は放棄された建物と、かろうじて維持されている農地が残るだけだ。

 農業用水路は、町の西にある川から引かれた石造りの溝だった。全長二百メートルほどのうち、北地区を通る五十メートルの区間が酷く損壊していた。

 石組みが崩れ、底にはひびが入り、水が土中に漏れ出している。さらに、水路の一部には紫色の変色が見られた。綻びからの瘴気が、ここまで影響しているのだ。

 柏木は水路に沿って歩きながら、【鑑定眼】で全体の損傷状況を把握した。

 「損傷箇所は全部で十二か所。うち三か所は瘴気による侵食あり。修繕は可能ですが、順番に作業する必要があるので、半日くらいかかりそうです」

 「わかりました。私は周囲の警戒をしますね」

 リーナは修繕された「暁光」を抜き、周囲を見回した。水路付近に魔物の目撃情報があるという依頼書の記述を、しっかり覚えているようだ。

 柏木は最も損傷が激しい箇所から作業を始めた。

 崩れた石組みに両手を当て、【修繕術】を発動する。バラバラになった石が元の位置に戻り、隙間が埋まり、石と石の接合面が修復される。まるで時間を巻き戻しているかのような光景だった。

 一つ目の修繕に五分。二つ目に三分。慣れてくると、石造りの構造が手に取るようにわかるようになった。

 三つ目の箇所は瘴気に侵されていた。あの剣のときと同じ、紫色の侵食。しかし今回は範囲が広い。

 柏木は集中力を高め、瘴気の除去と修繕を同時に行った。額に汗が浮かぶ。魔力の消費が激しい。しかし、リーナの剣の修繕で掴んだコツが活きた。瘴気を排除するイメージがより明確になっている。

 四つ目、五つ目と修繕を進めていったとき——。

 「リョウイチさん、来ます!」

 リーナの声が鋭く響いた。

 柏木が顔を上げると、放棄された建物の陰から、灰色の獣が飛び出してきた。体長一メートルほどの、狼に似た魔物だ。しかし通常の狼とは違い、体表に紫色の模様が浮かんでいる。瘴気に汚染された魔物——瘴気狼だ。

 一匹だけではなかった。建物の裏から、さらに二匹が現れた。計三匹。

 「リーナ!」

 「大丈夫です!」

 リーナは「暁光」を構えた。その構えは、父から教わったものだろう。基本に忠実な、堅実な剣の構え。

 一匹目の瘴気狼が跳びかかった。リーナは冷静に半歩退いて跳躍をかわし、すれ違いざまに刀身を振り抜いた。ミスリル合金の刃が、瘴気狼の胴を切り裂く。

 瘴気に耐性が付いた「暁光」の刃は、瘴気に汚染された魔物の体にも怯むことなく食い込んだ。

 一匹目が倒れる。しかし残りの二匹が左右から同時に迫った。

 リーナは右の一匹に斬りかかったが、左の一匹への対処が遅れた。瘴気狼の爪がリーナの左腕をかすめ、革の腕当てが裂けた。

 「くっ……!」

 リーナは痛みに顔を歪めながらも、右の一匹を仕留めた。しかし左の一匹が再び跳躍の態勢に入っている。

 柏木は咄嗟に足元の石を拾い、瘴気狼に向かって投げた。石は狼の鼻先に当たり、一瞬怯ませた。その隙にリーナが剣を振り下ろし、三匹目の瘴気狼を倒した。

 「はぁ……はぁ……」

 リーナは息を切らしながら、剣を下ろした。

 「ありがとうございます、リョウイチさん。助かりました」

 「いや、石を投げただけだ。リーナが強い」

 「三匹同時は、さすがに厳しいです……。もっと修行しないと」

 柏木はリーナの左腕を見た。幸い傷は浅いが、革の腕当ては使い物にならないほど裂けている。

 「腕当て、直しますよ」

 柏木はリーナの腕当てを受け取り、【修繕術】を発動した。裂けた革が修復され、ついでに革の強度も上がった。

 「わあ、新品みたい……。いえ、新品より丈夫になってます」

 「ついでに少し補強しておきました。次は同じところが裂けないように」

 リーナは修復された腕当てをはめ、腕を動かして具合を確かめた。

 「すごい。動きやすいのに、しっかり守ってくれる感じがします」

 柏木は小さく頷き、水路の修繕に戻った。

 残りの箇所を一つずつ丁寧に直していく。瘴気の侵食がある箇所は特に慎重に作業した。

 全ての修繕が終わったのは、日が傾き始めた頃だった。

 水路に水を通すと、澄んだ水が五十メートルの区間を滞りなく流れていった。修繕前は水が行き渡らず枯れかけていた農地に、ゆっくりと水が染み込んでいく。

 「やった……!」

 リーナが歓声を上げた。

 柏木も、達成感を感じていた。工場で設備を直したときの充実感と似ている。いや、それ以上かもしれない。ここでは自分の仕事が、直接人の暮らしに繋がっている。


 ギルドに戻って依頼完了の報告をすると、エルザは水路の状態を確認した上で報酬を支払ってくれた。銀貨五枚。柏木とリーナで半分ずつ分けた。

 「見事な仕事です。水路の修繕報告は町役場にも上げておきます。きっと喜ばれますよ」

 エルザはそう言って、二人の冒険者証に依頼完了のスタンプを押した。

 「このペースなら、すぐにDランクに上がれますよ。実は、Dランク以上でないと受けられない依頼に、お二人にぴったりのものがあるんです」

 「どんな依頼ですか?」

 「綻びの調査です」

 その言葉に、柏木の心臓が一つ跳ねた。

 「この地域の綻びの状態を調査し、報告する依頼です。直接綻びに近づく必要があるので危険度が高く、Dランクからの受注になっています。ただ、修繕師の方なら——もしかすると、ただ調査するだけでは終わらないかもしれませんね」

 エルザの目が、意味ありげに柏木を見つめた。

 綻びを直す。まだ今のレベルでは無理だ。しかし、調査して近くで観察できれば、何かが見えてくるかもしれない。

 「Dランクまで上げましょう、リョウイチさん」

 リーナが力強く言った。

 「ああ。上げよう」

 柏木は頷いた。


 翌日から、リーナは毎朝鍛冶場にやってきた。

 朝の稽古を終えた後に訪ねてきて、柏木の仕事を見学する。見学と言いながら、実際には手伝いをしていた。修繕待ちの品物を運んだり、修繕した品を元の持ち主に届けに行ったり。

 「リーナ、毎日来なくてもいいぞ」

 「いいえ、来ます。リョウイチさんの修繕を見ていると、勉強になるんです」

 「剣士に修繕の勉強が必要か?」

 「必要です。リョウイチさんが物を直すとき、すごく集中してますよね。あの集中力は、剣にも通じると思うんです。対象をよく観察して、理解して、最善の一手を打つ。それは戦闘でも同じです」

 なるほど、と柏木は思った。この少女は見かけによらず、物事の本質を見抜く目を持っている。

 リーナは自分のことも少しずつ話してくれた。

 母親はリーナが五歳の時に病気で亡くなった。以来、父アルベルトと二人暮らしだった。父は冒険者として町を守りながら、リーナに剣と生活の術を教えてくれた。

 「父は優しい人でした。でも、綻びのことになると、表情が変わるんです。何かに追い立てられているような、焦りを含んだ顔になって。きっと、綻びの向こうに何かがいることを、ずっと前から感じていたんだと思います」

 「だから調査に行ったのか」

 「はい。あの日、父は『行ってくる。必ず帰る』と言いました。——帰ってきませんでしたけど」

 リーナの声は穏やかだった。もう何度も繰り返し、自分の中で消化してきた話なのだろう。

 「でも、暁光が帰ってきました。ボロボロで、原形をとどめないくらいだったけど——それをリョウイチさんが直してくれた。父は帰れなかったけど、父の剣は帰ってきた。それで——少し、救われた気がしたんです」

 柏木は黙って聞いていた。

 「だから私、修繕師って仕事はすごいと思うんです。壊れたものを直すって、ただ物を元に戻すだけじゃない。壊れた人の心も、一緒に直してくれる」

 「買いかぶりすぎだ」

 「買いかぶりじゃないです」

 リーナは真剣な目で柏木を見た。

 「私は、リョウイチさんみたいな人になりたい。壊れたものを——壊れそうなものを、守れる人に」

 柏木は頭を掻いた。十六歳の少女にここまで真っ直ぐに言われると、応えないわけにはいかない。

 「なら、一緒に頑張ろう。お前が剣で守って、俺が修繕で直す。そのコンビで」

 「はい!」

 リーナの笑顔は、こちらまで元気になるような明るさがあった。


 ガルドとの日々も、柏木に多くのことを教えてくれた。

 ドワーフの鍛冶師は口が悪く頑固だったが、金属に対する知識と技術は凄まじいものがあった。

 ある日、柏木が修繕した剣を見て、ガルドが唸った。

 「お前の修繕は確かに見事だ。だが、一つ問題がある」

 「問題?」

 「お前は金属の結晶構造を『元に戻す』ことはできる。だが、金属には元より良い状態というものがある。鍛冶師が何度も鍛えることで、不純物を叩き出し、結晶をより緻密にする。お前の修繕は元の状態を基準にしているが、もし『理想の状態』を基準にすれば——」

 「もっと良い仕上がりになる?」

 「その通りだ。わしがお前に教えられることがあるとすれば、それだ。金属の理想の状態とは何か。何百年も鍛冶師が追い求めてきた、金属の完成形。それを知れば、お前の修繕はもう一段上に行ける」

 それから、ガルドは毎晩のように柏木に鍛冶の講義をしてくれた。

 金属の性質、合金の配合、鍛造と焼き入れの理論。ドワーフが何世代にもわたって蓄積してきた金属工学の知識は、柏木の設備保全員としての知識と見事に噛み合った。

 「お前の世界にも鍛冶師はいるのか」

 「いる。ただ、ドワーフはいない。機械で金属を加工する」

 「機械? ふん。機械に魂は込められんだろう」

 「そうでもない。良い機械には、作った人の思いが宿ってるよ」

 ガルドは鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。

 この二人の間には、職人としての共感があった。国も種族も世界も違うが、「ものを作る」「ものを直す」という行為に対する敬意は共通だった。


 それからの二週間、柏木とリーナはEランクの依頼をこなし続けた。

 壊れた橋の修繕。農家の倉庫の修理。害獣に荒らされた柵の復旧。魔物によって破壊された見張り台の再建。そして、その合間に湧いてくる小型魔物の討伐。

 柏木のレベルは着実に上がり、レベル五に到達した。修繕術のレベルも四になり、より大きく複雑なものを修繕できるようになった。一日に使える回数も二十回を超えた。

 リーナも、実戦を重ねることで剣の腕を上げていった。父から教わった基本に加え、柏木との連携戦法を身につけていった。柏木が【鑑定眼】で魔物の弱点を見抜き、リーナに伝える。リーナがそこを突く。単純だが効果的なコンビネーションだった。

 そしてもう一つ、柏木には新しいスキルが発現していた。


 ——————————————

 新スキル獲得:

 【強化修繕】Lv.1

  修繕時に対象の性能を向上させることができる

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 これまで「副産物」として起きていた品質向上を、意図的に行えるようになったのだ。

 柏木はこのスキルを使い、リーナの装備を一つずつ強化していった。革の胸当ての防御力を上げ、ブーツの耐久性を高め、「暁光」の切れ味をさらに研ぎ澄ませた。

 町の人々からの信頼も厚くなっていった。水路の修繕以来、北地区の農地が復活し、町の食糧事情が改善された。壊れて使えなくなっていた道具や設備が次々と修繕され、町全体の生活水準が目に見えて向上した。

 「柏木さんが来てから、この町は変わったよ」

 赤猪亭でシチューを食べているとき、店主がそう言った。

 「大げさですよ」

 「大げさじゃない。あんたが北の水路を直してくれたおかげで、今年は麦の収穫が去年の倍になる見込みだ。町のみんなが感謝してる」

 柏木は照れくさくなって、シチューに目を落とした。

 感謝される——それは、前の世界ではあまり経験のないことだった。設備保全は「動いて当たり前」の仕事だ。壊れたときに直すのが当然で、感謝されることは少ない。むしろ「なぜ壊れた」と責められることの方が多かった。

 しかしここでは、直すことそのものが価値になる。壊れたものを蘇らせることが、人の暮らしを直接支えている。

 ——悪くない。この生活は、悪くない。


 二週間の依頼遂行の結果、柏木とリーナは無事にDランクへ昇格した。

 エルザから新しい冒険者証——鉄の板に名前とクラスが刻まれたもの——を受け取り、柏木はいよいよ綻びの調査依頼を受ける資格を得た。


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