第74話
居酒屋の長テーブルには、真新しい服に身を包んだフレッシュな面々がずらりと並んでいる。
みんな、新生活への期待に満ちあふれた、キラキラした瞳をしている。
「スポーツ観戦サークルにようこそー! カンパーイ!」
「カンパーイ!」
サークルの新入生歓迎会が始まった。
今年は二年生として、一年生を歓迎する側だ。
いずみは持ち前の明るさで、緊張気味の後輩たちに積極的に話を振って場を盛り上げている。
私もいつもの人見知りは少しだけ封印し、笑顔で会話をするように心がけていた。
――ガタガタガタッ……
「いらっしゃいませー!」
建て付けの悪い音を鳴らしながら扉が開くたびに、ハッと入り口の方へ視線を向けてしまう。
ここは、去年の歓迎会と同じお店だ。
ちょうど一年前、あの扉の向こうから祥ちゃんが現れた。
偶然の再会を果たした瞬間の記憶が何度もフラッシュバックして、胸がざわめく。
けれど……今日ここに、祥ちゃんはいない。
サークルのグループチャットでは「バイトだから欠席する」と言っていたけれど……。
もしかしたら、私がいるからと気を遣わせてしまったのではないか。
そんな心配が、頭の片隅から離れなかった。
祥ちゃんの部屋で「少し、考えさせて」と突き放すように言ってしまったあの日から、もう一週間以上が経っている。
早く自分のぐちゃぐちゃな感情を整理して伝えたいのに、まとめようと焦れば焦るほど頭の中がこんがらがって、ただ時間だけが過ぎてしまっていた。
祥ちゃんからも、連絡はない。
付き合い始めてから、こんなに長く連絡をとらなかったのは初めてのことだ。
私からあんなふうに言っておきながら、本当に自分勝手だと思うけれど……どうしようもなく寂しい。
彼は優しいから、私のペースを、ただじっと待ってくれているんだと思う。
歓迎会の前、いずみに一連の出来事について少しだけ相談していた。
私の話を聞いたいずみは、大きなため息をついてから眉を寄せた。
『美絵……それはさすがに言葉足らずだよ! 祥太郎くんに「それって、別れたいってこと?」って勘違いさせちゃっててもおかしくないよ? 考えがまとまらなくてもいいから、誤解だけは解いておいたほうがいいんじゃない……?』
そう言われ、自分がいかに残酷な言葉をぶつけてしまったのかを痛感して、激しく後悔していた。
「そういや、ヨッシー」
隣の席にいる正人くんから声をかけられ、我に返る。
「……うん?」
「祥太郎と喧嘩とかしてんの?」
「えっ……どうして?」
(祥ちゃんから何か聞いたのかな……)
そう思って聞き返すと、正人くんはお酒の入ったグラスを揺らしながら言った。
「なんか今週キャンパスで会ったとき、あいつ顔死んでたからさ。何も言ってなかったけど、何かあったんかなーって」
その言葉に、胸が思い切り締め付けられた。
こうしてる今も、彼はひとりで苦しんでいるのかもしれない。
「…………っ」
正人くんに言葉を返そうと顔を上げると、斜め向かいの席に座っている新入生の男の子たちから、視線を感じた。
それに戸惑っていると、正人くんも彼らの視線に気づき、ウンウンと頷いて笑いながら言った。
「そりゃあ、野郎どもはやっぱりヨッシーのこと気になるよなあ」
少し反応に困り「えっと……」となっていると、その中の一番元気なタイプの子が、思い切ったように身を乗り出してきた。
「……ハイ! 質問ですっ! 美絵さんは、彼氏とかいるんですか!?」
直球の質問に、周りの一年生たちも息を呑んで私の答えを待っている。
「え!? あっ……はい。います」
慌てて、首を縦に振って答えた。
男の子たちは「いやー、やっぱりそうですよねえー!」と大袈裟に肩を落としてがっかりしてみせた。
その様子を見て笑う正人くんが、「今日来てねーけど、このサークルのやつだよー! 俺たちの同期!」と明かした。
「マジすか!! どんな人ですか? 会いたいっす!」
「んー、優しくていいやつだよ。な、ヨッシー?」
そう振られて、大好きな彼の笑顔を思い出しながら「……うん」と小さく頷いた。
新入生たちの無邪気な「会いたい」という言葉に自分の想いが重なって、張り詰めていた糸が切れてしまうような感覚がした。
(会いたい……私も、祥ちゃんに)
陽だまりみたいな、あの優しくて柔らかい笑顔に触れたい。
会いたくて、申し訳なくて、胸の奥がギュウっと痛くなった。
◇
帰り道。
今日はお酒は飲んでいないけれど、賑やかな雰囲気で火照った頬が、夜風に少しずつ冷まされていく。
自宅の最寄り駅からマンションまでの夜道を歩きながら、ずっとスマホを両手で強く握りしめていた。
頭の中は、相変わらず祥ちゃんのことがぐるぐると巡っていた。
本音を言えば、今すぐにでも会いたい。
でも、今日は本当に夜遅くまでバイトが入っていたのかもしれないし、明日の朝が早いのかもしれない。
突然家に行って、また彼を困らせたり、気を遣わせたりするのは避けたい。
だから、家に行くのは一旦やめておこう……と、はやる気持ちを抑えた。
せめてメッセージを送ろうか。
いや……テキストだけでは、また誤解を生んでしまう気がする。
上手く喋れなくてもいいから、まずは電話してみよう。
だって……祥ちゃんの声が聞きたい。
自分の色んな気持ちを、綺麗にまとめて話すことは、まだできないと思う。
けれど、「別れたいわけでは決してない」ということだけは、絶対に伝えておきたい。
そう決心して画面を開くものの、第一声をどうやって切り出せばいいか迷ってしまい、発信ボタンを押せないまま足を進めていた。
気づけば、もうまもなく自分のマンションに着いてしまいそうだ。
(勇気、出さなきゃ……!)
息を吸い込んだ瞬間、手元のスマホがブルルッと震え、突然着信音が鳴り響いた。
「えっ……!」
ビクッとして、バッと画面を見る。
しかし、そこに表示されていたのは祥ちゃんの名前ではなく――。
ふーっと長く息を吐きながら、通話ボタンを押した。
「……もしもし? お母さん?」
『あらー? なんか残念そうな声っ! せっかくお母さんが電話したのに〜』
電話の向こうから、少し拗ねたような明るい声が聞こえてくる。
「違うよー、ごめんごめん」
ガチャガチャとドアの鍵を開けて、バタンと家に入りながら慌てて釈明した。
(祥ちゃんに電話しようと意気込んでたから、ただ拍子抜けしちゃっただけ……!)
心の中でも必死に言い訳を重ねながら、靴を脱ぐ。
『なあに? 出かけてたの?』
電話越しにドアの音が聞こえたのか、そう尋ねられる。
「うん、サークルの新歓」
『そうなのね。夜道は気をつけなさいよー』
「はあい」
返事をしながら、部屋の電気をパチリと点けた。
母からの要件は、「お米いる?」といういつもの確認だった。
親戚に農家を営んでいる人がいて、美味しいお米がたくさん手に入るため、定期的に私の元にも送ってくれるのだ。
「うん、いる。ありがとう」
お礼を伝えると、母は『お父さんは最近こうだ』とか、『二年生の生活はどう?』などと、次々と話題を広げていった。
スマホをスピーカーモードにしてテーブルに置き、温かいお茶を淹れながら、他愛ない会話に相槌を打っていた。
『あ、そうだ。越智さんちの修平くん覚えてる? 美絵が中学の時、ちょっと家庭教師やってくれてた……』
ふいに飛び出したその懐かしい名前に、お茶を注ぐ手をピタリと止めた。
数秒の空白の後、なんとか声を絞り出す。
「あー……うん、覚えてるよ。どうしたの?」
できるだけ平坦な声を装って返した。
――越智 修平。
その名前を聞いたのは、一体何年ぶりだろう。
中学生の時、私に勉強を教えてくれた人。
例の――私の「元彼(?)」にあたる人だ。
『この前、修平くんのお母さんと久しぶりにお茶会してねー。修平くん、東京で就職したらしいんだけど、〇〇商事っていう大きな会社なんですって。すごいわよねー!』
「……〇〇商事?」
その社名を聞いた瞬間、脳裏にある人物の顔がフラッシュバックした。
サークルの先輩、千尋さんだ。
同じ学部でもあり、いつも親切にしてくれて、今は就職活動を頑張っている。
そんな千尋さんが、先日悩んでいたときの言葉。
『第一志望は〇〇商事ってところなんだけど、OB訪問のツテもないし、全然情報得られなくて……』
『――じゃあ、美絵もこれからお風呂とか入るわよね?』
母の声が電話の終わりを告げようとしている。
『そろそろ切るわね。お米、明日送るから〜』
ハッとして、慌ててスマホを手に取った。
「……あ、待ってお母さん!」
思わず、やや大きな声を出していた。
祥ちゃんとのことで、頭がいっぱいだったけれど。
いつもお世話になっている、千尋さんの力になれるかもしれない。その思いが、自然と私を突き動かしていた。
「……あのさ。修平くんのことなんだけど……」
少しだけ息を整え、スマホの向こうの母に、あるお願いを口にした。




