第18話
バスのドアが開いた瞬間、むせ返るような甘い潮の香りが全身を包み込んだ。
「うわあ! 海だー!」
「あっつ! 日差し痛え!」
サークルのメンバーたちが、歓声を上げながらバスから降りていく。
東京の排気ガス混じりの空気とは違う、塩分を含んだ重たくて濃い空気が、髪にペタリと貼り付く。
空はどこまでも高く、突き抜けるような青色をしていて、白い入道雲が水平線の向こうに湧き上がっていた。
私の地元は福島の内陸なので、山はあれど、海を見るのはすごく久しぶりだった。
「美絵、早く着替え行こ! 海入りたーい!」
いずみに手を引かれ、私は民宿の更衣室へと急いだ。
◇
脱衣所の床は、海水浴客が持ち込んでしまう砂で少しジャリジャリとしていて、海の家特有の、ゴザと湿った木の匂いがする。
私はバッグの底から、新しく買った水着を取り出した。
淡いミントグリーンの、オフショルダースタイル。
フリルがついていて、胸元や体型をあまり拾わないデザインだけれど、鏡の前で合わせると、やっぱり布面積の少なさに心細くなる。
「よしっ、可愛い! 美絵、似合ってるよ!」
着替え終わったいずみは、フルーツ柄の元気なビキニ姿で、くるりと回って見せた。
「ありがとう……でも、やっぱり恥ずかしいかも」
「えー? 肌白いし細いし、出さなきゃ損だって!」
いずみは笑い飛ばしてくれたけれど、私は自分の二の腕やお腹が頼りなくて、落ち着かない。
それに、これを瀬川くんに見られると思うと……。
昨日のメッセージを思い出し、耳が熱くなる。
『似合うと思うよ』
その言葉は嬉しかったけれど、いざ実物を前にすると、自意識過剰な自分が顔を出す。
「……やっぱり、これ羽織っていく!」
私は水着の上から、持参していた白のラッシュガードを羽織った。
薄手のパーカーのような素材で、長袖で、お尻まで隠れるタイプのものだ。
「えー、もったいない! まあ…日焼け対策も大事だし、いっか」
いずみは苦笑いしながら、私の背中をパンと叩いた。
「さ、行こ! 男子たち、もう待ってるよ!」
◇
太陽が真上からジリジリと肌を焼いている。
砂浜からの照り返しが目に痛い。
僕たち男子陣は、民宿の前のビーチで、パラソルを立てて場所取りをしていた。
「お、来た来た! 女子チーム!」
正人が声を張り上げ、立ち上がる。
視線の先、民宿から続く小道を、浮き輪やタオルを持った女子たちが歩いてくるのが見えた。
カラフルな水着、眩しい肌。
男子連中が「おおっ」と色めき立つのがわかる。
僕は、無意識に喉を鳴らし、視線だけで彼女を探した。
――いた。
いずみの後ろ、少し俯き加減で歩いてくる森さん。
その姿を捉えた瞬間、僕は大きく安堵の息を吐き出した。
彼女は、白い長袖のパーカーのようなものを羽織っていたからだ。
前は閉めていて、下の水着はほとんど見えない。
「……よかった」
思わず呟いた声は、波の音にかき消された。
もし、彼女が際どい水着姿で現れていたら、僕は目のやり場に困るどころか、周りの男たちの視線から彼女を隠したくて、不審な動きをしてしまっていたかもしれない。
……『見たい』という男としての本能がゼロだったとは言わない。
けれどそれ以上に、『他の奴に見せたくない』という独占欲にも似た焦燥感が、僕の中で渦巻いていたのだ。
「おーい、ここここ!」
正人が手を振る。
近づいてくる森さんと目が合う。
彼女は僕の顔を見ると、少し照れくさそうにパーカーの袖口をぎゅっと握り、小さく会釈をした。
「……暑いね」
僕が声をかけると、彼女はホッとしたように笑った。
「うん、すごい日差しだね。……瀬川くん、ちょっと焼けた?」
「ああ、ちょっとだけ」
中学時代、真っ黒に日焼けしていた僕を知っているであろう彼女にそう言われると、なんだか少しこそばゆい。
潮風が、彼女の栗色の髪を揺らす。
パーカー越しでもわかる華奢な肩のライン。
水着は見えなくても、その白さと、夏の光の中に立つ彼女の存在感だけで、僕の心拍数は上がりっぱなしだった。




