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エルフ妻の敵討ち  作者: 黒色粉末
8/9

分断



 死は怖くない。



 ミシェルは石牢に鎖で繋がれ、猿轡を噛まされながら敵を睨んだ。

 黒い頭巾を被った巨人かと思う程の巨体。腐臭を漂わせた拷問官

 小柄なミシェルなど背伸びしてもこの巨人の腹に届かない。


 ぐぶ、ぐぶ、と粘着質な音はどうやらこの汚らしい怪物の呼吸音らしかった。

 ミシェルは聖句を唱える。精霊神ジュナス、我に加護を与えたまえ。


 「我ら、清き地に降りて」

 「ぐ、ぐ、ぐぐ……」

 「……ジュナスの御手に慰撫されし……」


 拷問官が体格に見合う巨大な手でミシェルの髪を鷲掴みにする。


 私を殺すのだろうか、怪物よ。

 やってみるが良い、死は怖くない。


 「豊けき果実と蜜の川に……あぐっ」


 ミシェルの頭が石牢に叩き付けられた。後頭部から熱い感触が流れ出す。

 出血だ。ミシェルは聖句を止めない。


 「ぐぶ、ぐ、ぐ」

 「わ、我は身を横たえて……」


 拷問官はミシェルの目の前に巨大な肉切り包丁を突き立てた。ミシェルの背丈よりも刃が大きい。

 所々に錆が浮き、これまでの犠牲者の血痕と脂で汚れきっている。拷問官はミシェルの頭を無理やり引っ張り、肉切り包丁の刃に押し付けた。


 悪臭、嫌悪感、ひやりとした感触。


 ミシェルはぎゅっと目を瞑って叫んだ。


 「やりなさい! お前達なんて怖くない! 殺して見せなさい!」



 死は怖くない。

 これまで共に旅した仲間達は、皆そう言っていた。

 彼らはそれぞれ使命を帯びていた。私もそうだ。


 私がジュナスから与えられたそれは、別に魔王を討ち果たすだとか、そんな大それた物ではない。

 自分自身の心や、信仰や、正義に最後まで背かぬ事だ。


 私はただの子供だし、旅の途中だって仲間に沢山迷惑を掛けた。

 だが、そのくらいの事は出来るのだ。


 死は怖くない。己の心に背く事に比べたらちっとも。



 「どうした! やりなさい! 私が怖いのか!」


 ミシェルが目を見開いて拷問官を睨み付けた。


 拷問官は動きを止め、やがてミシェルを離した。


 「…………何のつもりです?」

 「……俺は」


 驚いた、話せるのか、この怪物は。ミシェルは唖然とした。


 「色々な人間を……殺してきた……。大半は……命乞いをするが……お前のような奴も……いた……」


 どし、どし、と重たい足音を響かせながら拷問官は歩いて行く。


 広い石牢の壁際にある鉄製の椅子は彼の為の物らしい。巨大なそれに腰掛けて、拷問官は肉切り包丁を放り出した。


 「……先王は……死に……新王も……死ぬ……。

  新王……シエラ様を慕い……この砦に集ったが……、最早……拷問官も処刑人も……必要ない……」

 「何が言いたいのですか」

 「俺は……処刑人……。死に行く者達の……“言葉”を集めて来た……。お前のそれも……聞かせて貰おう……」


 話している間は殺さずにおこう。処刑人は巨大な本を開き、これまた巨大な羽ペンを取る。

 文字を書くのか、風体に似合わず。

 ミシェルは思い切り眉を顰めたが、この石牢の中ではジュナスより与えられた奇跡の業が使えない。


 今は従うしかなかった。



――



 ニコールは砦の最上部

 ……を超えた、屋根の上まで連れ去られていた。


 周囲は瘴気に満ち、シエラベルタの物と思しき魔力が渦を巻いて音を立てている。


 ニコールは小瓶を取り出し、コルク栓を歯で抜いて中の薬を呷った。


 『体内に取り込んだ瘴気を打ち消す秘薬だな』

 「……ご名答」


 アストラクレスが鉛の翼を羽ばたかせ、空中で腕組みする。

 ハルバードに尾を絡ませ、手慰みにするようにゆらゆらと振り回していた。


 『人間はやはり脆弱だ。瘴気だけでない。

  暑さに弱く、寒さに弱く、風を受ければ病に冒され、水の中では忽ち死ぬ。

  欲望を制御出来ず、限界を知る事もせず、只管己らの領域を拡大しようとしている』


 酷い味の秘薬を呑み終えたニコールは胃の辺りをどんどん叩いて胸焼けを堪えながら笑う。


 「美しい魔物よ、お前達は違うとでも言いた気だな」

 『事実、違う』

 「同じだよ、少しばかり見目が違うだけだ」


 紳士としてげっぷは堪えた。ごほん、と咳払いを一つ。


 アストラクレスはハルバードを右手に握り直し、剣呑な目付きになる。


 「アストラクレスと言ったな。魔族に夢を見過ぎだ。

  成程お前のようなガーゴイルは血を流さない。故に我らの心の機微は分からぬだろう。

  同じだよ、魔族も、人間も。我らは只管に生存競争を繰り返しているに過ぎん」

 『妖妃ダナエを』

 「ん?」


 ダナエ、ニコールが討ち果たした淫魔達の女王の名を再び聞く。

 アストラクレスが自信を目の敵にするのもそれが理由なのだろうが、それだけでないような気もする。


 『貴様が我が主、妖妃ダナエを殺した時そう言っていたのだろう』


 ニコールは紳士として表情には出さなかったが、不愉快だった。


 ダナエとの会話を知っていると言う事は、アストラクレスとダナエとの間に何らかな魔術的繋がりがあるのか、或いは過去を覗き見る秘宝か。

 何にせよニコールはダナエに対し複雑な感情を抱いていた。


 過去を蒸し返されるのも、ごちゃごちゃと何か言われるのも、不快であった。


 『勝利を掴むか、滅びるまで、我らの戦いは終わらぬ。お前はそうも言った』

 「彼女との事を知っているようだが……だからと言って全てを知った気になられては……良い気はせんな」


 ニコールが語気を強めていくと同時に、アストラクレスも戦意を高めていく。

 抑えきれぬとでも言いたげに身を捩る彼女は獰猛かつ妖艶だ。


 『私も本来はこのような話をするつもりは無かった。貴様を殺し、貴様の仲間達を殺し、そして勇者を殺し、それで終わりにする筈だった。

  しかしニコール、お前を目の前にすると……どうも腹の底が疼いてならぬ』

 「目的は復讐か?」


 否、とアストラクレスはハルバードを一振り。


 『最早復讐を超えている! 貴様ら人間に合わせて言うならば、この感情、まさしく愛だ!』

 「愛と来たか。魔物まで虜にするとは、俺の男ぶりもまだまだ捨てた物ではないな」

 『剣を抜け、ニコール! 私は忘れていないぞ!』


 ニコールは既に剣を抜いている。しかしアストラクレスは更にもう一本、腰の左後方に下がる古ぼけた剣を抜く事を要求していた。


 『“私を殺したあの時”、貴様は確かに双剣だった!』


 ニコールは目を剥き、奥歯を噛み締めた。紳士然とした余裕など一瞬で取り払われた。

 誰も知る筈の無い遣り取りを知り、ニコールに執着する理由。


 「貴様、妖妃ダナエの分霊かッ!」

 『ニコォォォールッ!』


 アストラクレスが滑空する。ニコールは二本目の剣を抜いた。



――



 「……実に宜しい」



 シエラベルタは白金の髪を揺らして玉座にある。


 遠見の銀盆を足元に創り出し、水を浮かべて砦の各所を観察していた。


 「皆、それぞれの本懐を遂げようとしている」


 魔族は強き者にしか従わない。

 シエラベルタは強き者であったが、やはりカイラルに敵う程ではない。そもエルフと言うだけでシエラベルタに反骨心を抱く物は掃いて捨てる程要る。


 しかし今この砦にいる者達はシエラベルタの我儘に近いこの戦いに付き合ってくれている。

 好きにさせてやりたくもなろう。


 ふ、と溜息一つ。いずこかへ増援として赴くのが正しいのだろうが、シエラベルタの部下達にとってそれは無粋だ。


 魔女との戦いが呆気なく片付いてしまったのが拙かった。

 あれほどの魔道の者、さぞや手強いと踏んでいたのだが、興が乗って格闘戦などしたのが悪かった。

 やはり魔女に肉弾戦は無理だ。そのせいで今、戦いに昂揚する身体を必死に宥め、退屈を持て余している。


 「なぁ魔女よ、目覚めているか?」


 玉座の後ろの柱。竜の彫刻が施されたそれに、赤毛のアルネッタは鎖で縛り付けられていた。

 気絶しておりシエラベルタの声にも反応しない。呼吸の度に身体が少しばかり動く程度だ。


 魔女の正装であるローブも三角帽も剥ぎ取られ、彼女の身体を隠す物は何もない。

 筋と脂が見事なバランスで乗ったその身体、勇者が奮い立つのも無理はないな、とシエラベルタは暗く笑う。


 「早く目を覚ませ。勇者リヴェレが死ぬその瞬間を、貴様に見せてやる」


 勇者は強い。シエラベルタよりも。


 だが殺す方法はある。この命と引き換えに。



――


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